第六章 砂の果ての再会
―再会〜砂漠の商人〜―
暗い、昏い場所。
地の底、決して日の届かぬ沼底のように、そこは暗く、冷たい。淀んだ空気には邪気が充満し、常人ならば即座に発狂せずにおれない、空間。
そこに、唐突に、場違いなほど気楽な声が響く。
「やあ、元気かい」
かすかな燐光を伴って現れたのは人影――長い長い藍の髪を体に巻きつけ、薄い笑みを浮かべる人間。
「貴様か」
アラストルは特に驚くでもなく、呟いた。
ここはネクロゴンドの居城、その一室。元は文官か何かが使っていただろうその部屋で、アラストルは一人、漆黒の体を休めていた。
原生生物に邪気を当て変質させた野生の魔物と違い、純粋な魔族は、眠らない。食事もしない。その命の糧は邪気であり、毒は聖性だ。そのため、身を癒し、力を蓄えるには、濃厚な邪気を浴び続ければいい。
「まだこの間の傷が癒えていないのか。存外、大きい痛手だったのかね」
面白がるような言葉に、アラストルは「ふん」とだけ返す。
勇者の仲間である僧侶から受けた、ニフラムの魔法。その強烈な聖性は、純正な魔族であるアラストルにとって確かに手痛い一撃だった。聖性で受けた傷は治りも遅い。が――この傷はそんなものではなかった。
「何の用だ、シャンプ」
そう言って目の前の――世界で唯一、魔王の居城を出入りできる人間を見やる。シャンプは邪気渦巻くこの空間で、しかしその影響を毛ほども感じさせず、悠々と、
「なに。少し様子見に、とね」
「暇なことだ」
「おそらく地上で、私ほど暇な存在はいないだろうよ」
自嘲して肩をすくめる。
「ところで、ロマリアであれだけの失態を演じて、愛しのバラモス様からお咎めはなかったのかい」
唐突に振ってくる話題。やはりというか、シャンプもあのロマリア――エルフの戦いを傍観していたらしい。
「あの方は、この程度のことで気を乱すことなどない。笑いながら、焼いて下さったさ」
心から楽しむような、甲高い笑いを思い出して、アラストルは自らの体を見下ろした。光沢ある漆黒の体は、今は擦り切れた雑巾のようにずたずたで、炭化した皮膚の下からなかみが覗いている。生きているのが不思議な状態だった。
シャンプは「寛大だね」とひとしきりくつくつ笑い、
「なぜあの場で勇者を始末しなかったのか、聞かせてもらいたいな」
また話題を切り替える。こちらの返答を予期した上での質問。いちいち芝居がかったやり方がわずらわしい。
「解っているんだろうが、貴様には。我々の目的も、存在理由も。奴が真に勇者となるなら、あんなところで死んでもらってはつまらん」
そう、真なる勇者となる前に殺してしまっては、面白くない。死んで困るわけではないが、理想形ではない。
果実は熟れてからもぎ取るものなのだ。
「はて、その割には勇者一行に色々とちょっかい掛けているようじゃないか。大量発生させた魔物をけしかけたり。崖を崩してみたり」
本当にどこまでも見ている。まったく、暇なことだ。
「余興さ、ただの」
自然、口元がつり上がる。
「勇者が半ばで倒れようが、生きてネクロゴンドに辿りつこうが、どっちでもいい。どちらに転ぼうが我々の目的は達せられる。ただ早いか遅いかの違いだ。私は――」
「ただ状況を楽しめればいい、かい?」
薄笑いに、嘲笑を返す。
「そうだ。貴様と同じよ」
シャンプは僅かに目を細めると、また自嘲的に笑う。
「そう、だな。私は常に傍観者でいるつもりだよ。世界が滅ぼうがどうなろうが、私にとって価値は無い。今のところは、ね」
言葉を切って、シャンプは呪文を唱えた。暗い室内にかすかな燐光が散り、その体が徐々と霞んでいく。
「しばらくはまた、勇者と魔王の物語を楽しませてもらうよ」
それだけ言い残して、気まぐれな風は跡形も無く消え去った。
部屋に再び暗い静寂が戻る。闇に沈み込みながら、アラストルは薄笑いを浮かべた。
「さて、次はどこに行こうか」
×××××
「次の目的地はイシスだ」
ロマリアを発つ前晩、シーザは仲間達にそう告げた。
「現状行ける場所で最もオーブの存在が確かなのはイシスだ。イシスについて書かれた歴史書の中に、王家が古くから所有する紅い珠の記述がある。国交のあったアリアハンでもロマリアでも同様の記述があったから、信憑性は高いだろう」
イシスの初代女王が戴冠のとき〜云々、アッサラーム王朝との戦争で〜云々、アリアハンとの同盟締結の際〜云々と続くシーザの口上を、グラフトは半分聞き流していた。学の無い自分では、そんな説明を聞いても真偽のほどは判断つかない。シーザの情報収集力を信用するしかないだろう。
一行の現在の行動指標、それはオーブの発見。魔王住まうネクロゴンドの城へ乗り込むため、聖鳥ラーミアを復活させること。
伝説によると、ラーミアの魂は六神に与えられた宝珠の中に眠っている、と言われる。しかし、伝説は伝説だ。グラフトとしては、それを当てにして世界を巡るというのは、有体に言って途方も無い話だというのが正直な気持ちだが、他に良い方策も無い。
シーザも本気で伝説を信じているわけではないのだろう。差し当たって明確な目標が無い以上、他の方策を検討しつつオーブも探しているわけだ。
「イシスねぇ……」
いつも飄々として気楽そうな青年が、この時ばかりは顔を曇らせた。何とはなしに気になってグラフトは視線を向ける。
「なんだ、何かあるのか」
「いや、何かってことないんだけどな」
曖昧な返答。僅かに目線を反らして、鈍い笑みで腕組みをする。どうにも挙動不審だ。
その視線を気にしてか、イクスは取り繕うように言った。
「イシスは良い国だぜ。褐色肌のエキゾチックな女性達。女王様はまさに絶世ってやつだしな。ただ……」
「ただ?」
「砂漠が死っぬっほっど、キツイんだよ。熱いわ砂がすげーわで。俺、先にルーラで行ってていい?」
「駄目だ」
空とぼけるイクスをシーザが一蹴。普段通りの掛け合いを見て、それ以上の追求はしなかった。
そうしてイシスへの中継地点であるアッサラームの街にたどりついた一行は、しばらく別行動をとった。シーザとイクスはそれぞれオーブに関する情報の収集。グラフトとアリアは砂漠を渡る準備だ。
イシスは広大な砂漠地帯の只中にある王国。グラフトも一度だけ渡ったことがあったが、灼熱と砂塵渦巻く、まさに地上の地獄だ。イクスの嘆きも無理はなかった。
ともあれあの大砂漠を素人4人で渡るのは自殺に等しい。多くの冒険者がそうするように、4人もイシス行きのキャラバン隊に同行するつもりだったのだが、
「イシスぅ? 無理無理」
話を持ちかけるなり渋面を浮かべる商人を前に、グラフトは深い息をついた。
何年前かにアッサラームへ行った時は、数え切れないほどのキャラバンが往来していたものだったが、今日あたったのはこれで5軒目だ。いずれもかつてはイシスへ商隊を出していたはずだったが。
「砂漠も昔とは状況が変わっちまってなぁ。今やあそこは魔物の巣窟だよ。昔ぁイキモン自体いなかったんだがな。ここ1、2年で砂漠に適応した魔物どもが現れだしやがったってわけよ」
「では今は、イシスとの交易が行われていないのか」
「交易はオルカーヌ商会の独占さぁ。あすこはルーラ便が使えるかんな。卸もやってっからこっちも文句言えねぇし。ま、わざわざ命投げ出してまで砂漠を渡ろうなんて奴ぁいねぇわな」
嘆息吐いて愚痴りだす男に別れを告げて、グラフトは再び雑然とした街中をさまよう。
商人の町。
世界の全てが集まる場所。
その名を冠した街並みは、かつては露店商店の洪水だった。武器屋と道具屋の間の隙間に服屋が露店を広げ、その向かいに宿屋と小間物屋、食品店が立ち並ぶという、混沌とした、しかし活気に満ちた町。
それが今や店の数は数年前の半分に減って、昼間となれば歩くのすら困難だった人ごみもまばら。完全にかつての活気を失っていた。
(これも魔物の影響なのか)
近来の魔物の活性化で、イシスとの交易はもちろん、各地からの旅行者、商人、冒険者、巡礼者なども激減している。ロマリア・イシス・バハラタを繋ぐ交易拠点として栄えたアッサラームにとっては、砂漠で水を失うほどに、深刻な問題なのだろう。
町の行く末を憂いていても仕方ない。今一度別のキャラバンに当たろうと歩き出した時、
「そんなに安いんですか!」
知った声を聞きとめて、グラフトは視線を巡らせた。青の僧服。買出しに行ったアリアだった。彼女は何やら、いかにも怪しげな露店の前で、驚くほど胡散臭い店主の口上を真剣に聞き入っている。
「驚くのも無理はありません! なぜならこのマント、かの有名なエジンベアの有名ブランド『スイート・スイーツ』製の有名マントなんです! 耐久性は従来の有名マントのなんと1.0倍! しかもデザイナーはかの有名なモルモル・モントゴメリ氏によるもの! 本来ならどんなに安くても5000Gはする一品なんですが、今回は特別に4980Gでのご提供だぁ!」
「よ、よく解らないけど、何だかすごいですね!」
「さらに本日限定特別サービス! 今ならこの『あらゆるものを貫く槍』と『あらゆる攻撃を防ぐ盾』をお付けして、さらにさらに! 今回は初回限定のこの薬草セットをお付けして! お値段そのまま9980G! 9980Gです!」
「矛盾を絵に描いたような文句だな……」
呆れかえって、目を輝かせる少女に呼びかける。アリアはこちらに気付くと、後ろ髪を引かれるようにして、
「今、手持ちがこれだけしか無くって……残念です」
そう言って見せた手の平には銀貨3枚。舌打ちして背を向ける商人に目をしばたかせる少女を引っ張って歩き出す。
「ここでの買い物は気をつけなさい。だいたい、マントなんてどうするつもりだったんだ?」
「いえ、シズ様に似合うかな、って」
照れるようにはにかむ様子を見て、改めて思う。純朴な娘だ。とてもこんな途方も無い旅には似つかわしくない。
「ややややっ! アナタがたはっ!」
しばらく歩いた先で、新たな商人の呼び声。グラフトは深く、深く、溜息を吐いた。前言撤回。この街の活気は相変わらずのようだ。
声の主は男。長い口ひげに頭にはターバンを巻いた、この地方ではよく見かける商人の定番衣装だ。今度はいったい何を売りつけるつもりだと露骨に渋面を浮かべるのに、商人は思いもしない言葉を掛けた。
「戦士グラフト・オデュッセ殿に、僧侶アリア・ルマティア殿ですな! これはコレハお久しぶりでございマスる」
「なに?」
思いもかけずフルネームを呼ばれ、一瞬呆然とする。
(誰だ? どこかで見た気もするが、しかし俺はともかくアリアの名前まで知っているのは……)
片方だけならありえなくはないが、二人のフルネームを知っている人間など数えるほどしかいない。記憶のふちに引っかかるものを感じる。思い出せそうで思い出せずにいる横で、アリアが「あっ」と声を上げた。
「あなたはもしかして……ブ、ブ……、ベ? ベ……」
「商人ブランと申しマス。ルイーダの酒場以来ですナご両人」
独特のイントネーション。にかっと笑うその顔を見て、ようやく記憶の糸が繋がった。
舞う砂。それを貫く怒声と剣戟。もうもうと砂埃をまき上げて走る影を見据えて、シーザの声が飛ぶ。
「グラフト! 8時方向、2体!」
「まかせろ!」
大剣を後方に向けて薙ぎ払う。確かな手応え。しかし切り裂いたのは1匹だけだ。砂の上をすべるように回りこんできた魔物が、そのはさみを突きこんでくる。太股に激痛。それにひるむことなく剣を振るう。緑色の外殻を貫き、その体を両断することでようやく魔物は息絶えた。
地獄のはさみと呼ばれる、巨大な蟹の魔物だ。カニと言ってもその動きはすこぶる早い。砂漠の上をもうもうと砂煙を上げ、群れを成して襲い掛かる、キャラバンの商人達にとっては天敵と言えた。
「イクス! 隊後方3体!」
前衛で2体の魔物を相手にするシーザが、その信じがたい空間認識力でキャラバンの後方から迫る敵の存在を警告する。隊の後方を任されたイクスは、覇気に欠ける声で応じた。
「へーい。ヒャダルコ」
熱砂の大地に強烈な冷気が吹き荒れた。甲羅が凍り、関節が固まって、目に見えて動きの遅くなった地獄のはさみを、彼の理力の杖が貫く。
グラフトも間近に迫った1匹を斬り捨て、これで残りは6体。
魔物は前衛のシーザに集中していた。前後左右から襲い掛かる魔物に、さすがの勇者も身をかわすのが精一杯だ。
援護に向かい、カニを背後から斬りつける。固い音。一撃必殺のはずの剣は、今度は外殻に阻まれた。
「スクルトで硬化している。隙間を狙え」
シーザが背中合わせに告げた。スクルトは物体の硬度を上げる魔法。この魔物の一番厄介な特技だ。これを使われると戦士だけではどうしようもなくなる。スクルトの反呪文であるルカニを掛ければ対抗できるが、使い手のアリアが手一杯な以上、無いものねだりをしても仕方ない。
シーザは敵の動きを見定め、器用に外殻の隙間へ剣を突き入れる。自分にそんなことはできないことは承知していた。グラフトは剣を納めると、背にかついだ戦斧を振り下ろす。
がつん、強烈な反動。硬化した外殻を突き破ることはできないが、脳天を揺さぶられた魔物は脱力して地に伏した。すかさずシーザがとどめを差す。
「イクス、倍化!」
後方の敵を片付けたイクスへ、シーザが声を張り上げる。対する青年はやはりやる気の無い声で、
「はいよー。バイキルト〜」
呪文とともに、グラフトの総身に力が湧き上がる。バイキルトは瞬間的に理力を倍化させる魔法。爆発的な攻撃力を得るかわり、疲労も通常の何倍となるため、多用はできない。
高まった理力を総身に走らせる。強化された筋肉がうなりを上げ、戦斧が砂埃を切り裂き、駆け抜ける。咆哮して、グラフトは残りの魔物を瞬く間に両断した。
最後の1匹が倒れて、グラフトは斧を肩に担いだ。吹き出る汗を拭い、周囲に警戒を走らせる。視界内にもう魔物の姿は無い。
シーザが剣を鞘に納める。戦闘終了の合図だ。
「あっっっぢいいいいいい」
それを待っていたかのように、金髪の魔法使いが呻き声を上げた。
「死ぬ。死んでしまう。殺される。太陽にコロサレル……」
「うるさい」
延々と続くイクスの愚痴。グラフトの言葉にも苛立ちが混じった。
視界360度が砂に満たされた地。ギラギラと輝く太陽が、全身を覆うローブを焦がし続ける。舞い上がる砂でカラカラに乾いた口に、水筒から水を含んで、それをまた戻す。砂漠の水は宝石よりも貴重だ。
「っぐんぐんぐ……っぷはぁー! あー、ぬるっ」
「……お前は。水を無駄にするなとさっき言ったばかりだろう!」
「俺、我慢すんの苦手なんだよね」
「いいかげんに」
「まあマアお二人とも、抑えてオサエテ。砂漠での仲間ワレはイノチ取りになりますヨ」
二人の間に商人――ブランが分け入った。
ルイーダの酒場で集まった魔王討伐志願者の一人、商人ブラン。アッサラームで商いを営む彼が、今回のキャラバン隊を指揮する人物だった。
「グラフト、放っておけ。イクス、お前の水はそれだけだ。イシスまでに干からびるなよ」
この砂漠でも変わらぬ冷たい言葉を放つと、シーザは先導する商人に顔を向けた。
「イシスまではあと何日かかる?」
「そうデスな、このままジュンチョウに進めばあと3日といったトコロでショウか」
砂だけの、何の目印も無いこの地で迷い無くそう言えるのは、やはり砂漠のプロだ。ブランは呵々と笑って、
「いやハヤしかし、流石わ勇者ご一行でゴザいますナ。アレだけの数に襲われマシたら、ワレワレにはもう棺桶に入ル意外、ミチはございませぬ」
「こちらこそ、助かっている」
「何をオッシャる! こうしてキャラバンを出せるノモ、ひとえに勇者ご一行のゴエイがあってコソのもの! オマケに此度はアリア殿のおかげでラクダまで使えるのデスからな!」
そう言って振り仰ぐ先には、ラクダのこぶの間にまたがる少女の姿。
かつて、魔物のいなかった時代には、平地では牛馬。砂漠では駱駝が主に移動や物資運搬の手段に用いられていた。しかし動物は人間よりはるかに邪気に敏感で、魔物が側に寄っただけで発狂することもある。そのため現代では、移動には徒歩に頼るしかない。
しかし聖性の強いアリアは、周囲の邪気を常に中和させる。そのため今回のキャラバンにはたった3頭だけラクダが参加している。当然、大量の荷を積んで、だ。
「僧侶様に清めてモラえばラクダをダすこともできマスがね。いやハヤ何ぶんコストがかかってかなワンわけです。オマケに護衛マデ雇っていては、何ヲしているノヤラわかりまセンからナ」
ブランはよく動く口で大仰に嘆いてみせた。商人には商人の苦労があるようだ。
今回のキャラバンは、勇者一行を含めて総勢26名。こちらが道中の護衛を引き受ける代わり、彼らが旅の進行、野営や食事の準備をしてくれる。そういう契約だ。
「でも、それでもキャラバンはいつも出しておられるんですよね」
ラクダのこぶの間にちょこんとまたがったアリア。彼女は笑顔を浮かべていたが、その顔には疲労の色が見えた。初めての砂漠というのもあるが、何より戦闘のたび、結界魔法トヘロスでキャラバンの商人達20数名を守っていたのだ。
聞けば、アッサラームからイシスへキャラバンを出しているのは、現在ではこのブランが率いる隊だけらしい。魔物の出没と、アッサラームの大手商会によるルーラ便の普及によって、キャラバン隊の需要は激減していた。
しかし、冒険者、旅人、巡礼者など、イシス行きを希望する者は決して少なくない。
「困ってる人のために、危険を省みずに。すごいです」
「ハハハハハ。そうイワれると何ともムズガゆいものデスな。マアこれも商売。ジュヨウがあればキョウキュウもあるというコトですヨ」
商人はあくまで笑い顔だが、ただでさえ困難な砂漠の地に、魔物まで襲ってくるのだ。お世辞にもリスクに見合うだけの益があるとは思えない。
ブランはふと、遠い目をして呟いた。
「コレで、良かったのでショウな」
無言で佇むシーザをちらりと見て、彼は独白するように言った。
「アナタがたの戦いを見て、確信しマシタ。ヤハリワタクシは旅について行くにはフサワシク無かったのダと。ミゴトな連携! スバラシイ戦闘力! とてもワタクシなどでは肩を並べるコトなど叶うにアタワズ。だから、コレで良かったのでショウ」
満面の笑みには、しかしどこか寂しさを感じた。もし運命が違えば、彼もまたこの旅の一員となっていたかと思うと、複雑な気持ちになる。
それまで黙っていたシーザが、ぽつりと言った。
「あなたは、なぜこのキャラバンを始めた?」
ブランは即答した。
「これが今、ワタシのやるべきコトと思ったのデスよ」
肩をすくめて、おどけて見せる。
「ジブンのチッポケな夢よりも、イマ必要なコトを、すべきコトを、ナンテ思ったワケです。情けないハナシですがね、勇者ドノ、アナタのような少年に世界を任せて、ノウノウとジブン勝手には生きられないト、思ってしまったワケですよ」
それだけ言うと、ブランは隊の指揮に歩き出した。その背に、シーザが小さく「そうか」とだけ呟くのが聞こえた。
×××××
砂漠の王国イシス。アリアハン大陸とほぼ変わらない広さを持つ大砂漠の只中にあるその王国は、歴史上他国とのいさかいもほとんど無く、太古から連綿と続く王の系譜を繋いでいる。
オアシスを中心に造られた王国は、建物は全て石造り。鉱物資源が豊富で、金、銀を始め、流通するブルーメタルやミスリルの5割はイシスが原産となっている。遠く離れた島国である、エジンベアとの国交があるのもそのためだろう。
白壁と、随所に施された金細工の優美な宮殿。女王への謁見のため城を訪れた一行は、門番に勇者を名乗るなり、すぐに城の奥まで通された。
城の中にはたくさんの猫が歩き回っていた。イシスでは猫が神聖な動物とされているという話は聞いていたが、無数の猫が城内を我が物顔で歩く姿は、一種異様な光景だ。それが気になるのか、謁見の間へ着くまでの間、後でグラフトが妙にそわそわとしていた。
女王の御前。職人が一生を掛けて作るという豪奢な絨毯の上にかしずいて、シーザは玉座へ頭を垂れた。
「よく来たな。勇者殿」
高みでこちらを見下ろすイシス女王――ネフィレム・フロズキア・ド・イシス。絶世の美女だという話は国外で、またイシスに入ってからも散々耳にしたが、いざ対面して、それが誇張でないことはシーザにも解った。短く切りそろえられた、濡れたように艶のある黒髪。この砂漠ではありえないほどに白い肌。華美でなく地味でもない、絶妙なバランスで宝石を身に飾る姿。切れ長の双眸は鋭く、しかし同時に包容力を感じさせる。年齢などイクスやグラフトとそう変わらないように見えるが、この荒廃した地を治めるに足る風格をシーザは感じた。
玉座の周りには、女王を守るように女達が立ち並ぶ。浅黒い肌に薄布をまとい、腰に曲刀を差した11人の女剣士。『太陽の使徒』と呼ばれる女王の親衛隊だ。太陽の使徒は常に12人の構成で女王を守護すると聞くが、それについては今は気にしない。
型どおりの挨拶を交わすと、こちらより先に、女王の方から切り出してきた。
「ロマリアの件は聞いている。ご活躍だったようだな」
オペラならば主演を張れそうな、よく通る力強い声。シーザは頭を垂れたまま、「恐縮です」とだけ答えた。女王は薄く笑う。
「盗賊退治の件、そしてエルフ族との戦争の件……」
顔を上げると、面白がるような黒の瞳に見返され、シーザは覚った。
ロマリアとエルフとの争い。対外的には、ロマリアが大規模な魔物の討伐隊を出した、という形で広まっているはずだったが、アリアハン・イシス・ロマリアは同盟国とはいえ、当然それぞれの国に間者は居る。イシスが事の真相を知っていても不思議はない。
しかしその一件に勇者一行が深く関わっていることを知るのはごく少数のはずだった。それだけで、イシスの情報力が押して知れる。
「勇者の力が無ければ惨事は免れなかったろう。我が国も、遠い地のこと、対応が遅れた。礼を言う」
こちらが返答する間もなく、女王は言葉を続けた。無駄がなく、的確な言葉。頭の切れる証拠だろう。
「アリアハンもロマリアも、貴方を『勇者』と認めた。我がイシスもまた、勇者として貴方への助力は惜しまないつもりだ」
願っても無い言葉だった。
『勇者』という肩書きそれだけでは、アリアハンならばともかく、国外では通じない。常に力を示し、実績を上げること。そして他国の王に認められてこその勇者なのだ。その意味で、ロマリアでのカンダタ討伐、エルフ紛争への介入も決して無駄では無かった。
「私一人の力ではありません。仲間の助力があったればこそ、為せたことです」
「貴方は身の程を知っているのだな」
随分遠慮ない物言いだが、不敵に笑うその声には楽しむような響きがあった。
「才ある者は力に溺れるものだが、貴方は違うようだ。なるほど、頼りがいのありそうな仲間を……」
シーザの後に並ぶ仲間達3人を順繰りに見て、女王の言葉がはたと止まる。それまでの、全てを支配しているような悠然とした物腰が、その瞬間だけ呆けたように固まった。
正面を向いたまま視線を辿る。見ているのは、イクス?
軽く咳払いをすると、女王は何事も無かったように言葉を続けた。
「さて、そろそろ用件を聞こうか。わざわざ砂漠の果てまで、茶を飲みに来たわけでもなかろう」
「はい」
居住まいを但すと、シーザは改めて女王を見据えた。
「貴国のオーブをお貸し頂きたい」
魔王の居るネクロゴンドの地へたどり着く、現状考えられる唯一の方法。それが聖鳥ラーミアを復活されること、そのために六神のオーブが必要であること。各地オーブの情報を辿るうち、イシスにも太古から祭られる、ラー神の宝玉があることをつきとめたこと。シーザはそれらを淡々と語った。この相手に下手な駆け引きは通じない、正面から要求を伝えるのが一番だと判断した。
女王は興味深そうにふむとうなずき、
「確かに、王家には古くから伝わる赤い宝玉がある。それが魔王討伐に必要というならば協力は惜しまないが……」
僅かに言葉を濁して、
「ピラミッドは知っているな」
「イシス王家の墓であると」
「オーブはピラミッドの最奥に安置されている。しかし、今のピラミッドは魔物の巣窟だ。だが、そうだな。勇者一行にはいらぬ心配か」
艶然と笑うと、女王は一行を見下ろして、高らかに告げた。
「王墓へ入ることを許可しよう。見事、オーブを我が前に持ってきて見せよ、勇者達」
なお、力を示せと。
王家の宝物を預けられる存在であることを、女王だけでなく、イシスという国へ証明して見せろと、そう言っていた。
シーザは女王へ、少なからぬ好感を持った。端的で合理的。自身と似通ったものを感じのかもしれない。
「必ず」
力強くうなずく。力を示す、分かりやすくていい。
自分にはそれしか出来ないのだから。
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