五章 邂逅する戦場

―邂逅〜仇敵〜―

「これは……驚きました。正真正銘、夢見るルビーのようですね」
 言葉の通り面に驚きを表して、エルフ女王イルフェリナは言った。
「本当にたったの三日で見つけ出すなんて、あなた方は一体――」
「ただの偶然です」
 女王の下にひざまずき、シーザは簡潔に答える。
 実際、見つかったのはただの偶然、あるいは奇跡だった。洞窟にリエロとアンがルビーを持ち込み、そのまま行方知れずとなったこと。そしてそこから何も発見されなかったことから、第三者――魔族の可能性が高いとシーザは見ていた――の介入により隠蔽されたのではという予測はしていたが、それもルビー自体が破棄されていればどうしようもない。
 洞窟内を入念に調べるうち、突如響いた爆音を辿って見つけた隠し通路。破壊跡を見れば、壁の厚さは五○センチ以上もあった。あの盗賊と商人がいなければ、まず見つけることは出来なかっただろう。その意味では一万五千という報酬も妥当なものだったかもしれない。
「女王、これを」
 シーザはすっと立ち上がり、一通の手紙を差し出す。イルフェリナは宛名を見るなり目を見開いた。無言で封を切り、読み始める。
 夢見るルビーを持ち出して、その後行方知れずとなった娘が、死に際に遺した手紙。シーザからその表情はうかがえないが、小さからぬ動揺があったのだろう。僅かな静寂を挟んで上げた女王の顔にはかげりが見えた。
 そうして手紙をそっとこちらに返してくるのに、シーザは目をしばたかせた。
「よろしいのですか?」
「あなた方にはそれを読む権利があるでしょう」
 告げる女王の心情をおもんばかって、シーザはうやうやしく手紙を受け取ると、声に出して読み上げる。

愛するお母様、そして皆さんへ

 この手紙が読まれている時、私はもう天界イデーンへと
 旅立っていることと思います。

 お母様、白の森の皆さん、本当にごめんなさい。
 夢見るルビーを持ち出したのは私です。エルフ
 族の象徴たるルビーを里の外に出すという暴挙、
 きっと皆さん、許してはくださらないと思います。

 愛するお母様に、里の皆さんに多大なご迷惑を
 おかけしたことを考えると、胸が痛みます。
 それでも、リエロとの間を引き裂かれることは、
 私にとって命を絶たれるよりも辛いことなのです。

 エルフと人。同じ大地に生まれ合わせた生命が、
 なぜ争わねばならないのでしょう。なぜ、愛し
 合うことすら許されないのでしょう。

 現世においての幸福が許されないのなら、私は
 リエロと共に逝きます。天界イデーンで共に永遠となり
 ます。

 お母様、先立つことをお許しください。最後まで
 二人のことを認めてくださらなかったこと、とても
 寂しいですが、それでも私はあなたの娘であれた
 ことが幸せでした。

 今まで本当にありがとう。そして、さようなら。
 お母様と皆様の幸せを、そして願わくば、人と
 エルフの共存を祈ってます。

                アン・スプライテス

 最後の一文を口にして、シーザは手紙を再び返した。
「あの子は……この手紙を見つけてもらうために、ルビーを持ち出したのですね」
 女王は悲しげに瞼を閉じる。それは黙祷を捧げたようでも、涙を堪えたようでもあった。
「なんて……なんて愚かなことを……」
 痛みを堪えるようにかぶりを振って、女王は嘆く。無責任な発言――とはあながち言えないだろう。彼女が二人の仲を認めていれば、回避できた結末かもしれない。しかしそれは結果論であって、まさかアンが遺書を発見してもらうというそのためだけにルビーを盗み出し、あげくそれが隠蔽されるなど誰が想像しえただろうか。
 それきりイルフェリナはうなだれて口を噤んでしまった。場に再び、破りがたい沈黙が下りる。しかしそれは長からず、静寂のカーテンは女王自身の手によって開かれた。
「あなた方には、随分と迷惑を掛けてしまいましたね」
 そうして浮かべた微笑に、シーザは見覚えがあった。あれは内の痛みを押し隠した笑い。旅立ちの日、母親が浮かべていたのと同じものだ。
「ノアニールの呪いは解きます。そして勇者シーザ、貴方の言う通り、我々は世界樹の森へ移住しましょう。長く住み暮らした白の森を捨てるのに未練が無いと言えば嘘になりますが……同胞の命には代えられません」
 凛とした力強い言葉。この真実を前にして冷静さを失わず、的確に判断を下す。ロマリアの王ではこうはいかない、とシーザは内心で皮肉った。
 これでエルフに関しては大丈夫だ。だが、これで終りというわけにはいかない。
「女王、もう一つ、お願いがあります」
「何でしょう」
「夢見るルビーを今しばらく、お貸し頂けないでしょうか」
 イルフェリナは眉をひそめる。
「……貴方を信用しないわけでは決してありませんが、それは何故ですか」
「まだ問題は解決していません。この一連の事件には黒幕がいます」
「黒幕?」
「はい。リエロとアン、ルビーを隠蔽し、ロマリアを煽動し、またエルフの姿でロマリアに攻撃を仕掛けた、エルフとロマリアの戦争を裏から手引きした存在」
「まさか」
「おそらく、バラモス配下の魔族が」
 バラモスという単語に、女王だけでなくその場に居たエルフ達全体に動揺が走った。どうやらエルフの間で、魔王の存在は認知されているらしい。
「影で糸を引く黒幕を舞台に引き摺り出すには、どうしてもルビーの力が必要なのです。お願いいたします」
 頭を下げてシーザは言葉を待つ。しばしの沈黙の後、
「解りました。我々も出来る限り協力させていただきます」
 女王の毅然とした態度に、シーザは一先ずの安堵を得た。だが、本当に大変なのはこれからだ。アリアハンと出て三ヶ月。予想通りの事態ならば、ついに魔王の一角に触れることとなるのだから。


     ×××××


 荒々しい音が整然と一定のリズムのもとに、朝焼け前の草原に響き渡る。ザッ、ザッ、ザッ……。幾万の足が地面を蹴るたび大地が震え、それに奮いたたされるように兵士達はさらに進軍を続ける。決戦が近いことで、軍の戦意は益々高くなっていた。

 全ては、計画通りに。

 行軍する隊列の後方。鉄鎧に身を固める騎士達に守られた二頭立ての馬車。幌の無いそれに乗るのは御者を除いて二人。ロマリア王国大臣、クリストフ・ハールステットと、もう一人――
 アラストルは表面上は緊張感を保った顔で、しかし内心では歓喜のわらいを上げていた。

 魔王バラモスの命にてロマリアへ潜入し、既に十三年。ついに計画――ロマリアとエルフの全面戦争という計画の最終段階に到達しようとしている。
 十三年前、ロマリア貴族を何人か拉致して殺害し、死体をエルフの森で発見させる。それがアラストルの撒いた最初の火種だった。
 ロマリア異種族外交官の一人に姿を変えて入れ替わり、潜入。ロマリア内部でエルフに対する不信感が高まるよう工作を働き、またエルフ、ロマリア間の外交を泥沼へと追いやりながら、徐々に火種をほむらへと成長させていく。
 行動を開始して三年、チャンスが巡ってきた。リエロとアン、人間とエルフが愛し合い、なんと夢見るルビーを持ち出して駆け落ちをしたのだ。事前にそれを察知したアラストルは、二人を追跡し、洞窟の奥で入水自殺を見届けた後、その現場を丸々隠蔽する。本当ならルビーそのものを始末したかったところだが、強い聖性を放つそれに、魔族であるアラストルは近づくことさえ叶わなかったのだ。
 通路を完全に埋め立てた後今度はエルフに姿を変え、二人を追ってきたイルフェリナ達に、人間に姿を変えてクリストフ達に、それぞれ『アンとリエロが洞窟に入ったまま出て来ない。唯一の出入口であるここを見張っていた』という旨を伝える。当然ルビーもリエロもアンも見つからず、炎はますますその勢いを強めていった。
 その後エルフはノアニールに呪いを掛け、クリストフはエルフ打倒にその身を投じる。アラストルは当時のロマリア大臣やその候補らを暗殺・失脚させつつ、クリストフと共にロマリアの頂点まで上り詰めた。
 そして仕上げに、エルフに扮してのロマリア攻撃だ。これにより、火種はついにロマリア全土を覆いつくすまでの大火となったのだった。
(長かった……)
 十三年。エルフとロマリアを戦争させるのに、あくまで合理的に行動をするのであれば本来こんな年月はかからない。ロマリア国王、あるいは大臣になりすまして軍隊を動かせば済む話だ。しかしバラモスにロマリア地区での活動を一任されたアラストルは、あえてこの遠回りな、まどろっこしい方法を執った。
 なぜか。それは人間を手のひらの上で踊らせるということが、アラストルにとって無上の喜びであるからだ。他の連中のように・・・・・・・・トップと入れ替わってただ命令を下すだけというのは、自分の趣味には合わない。裏から、陰から、誘導し、煽動する。それにより、人間達に自発的に戦を起こさせる。抜いた剣があらかじめ用意されていたものだとも知らず、殺し合う。その様の何と滑稽なことか。
「大臣閣下」
 アラストルは金色の両眼をぬらりと光らせ、クリストフに恭しく会釈する。
「閣下のご子息の仇、ついに晴らすことが出来るのでございますね」
 確認するような、あるいは呪いをかけるようなアラストルの言に、大臣は重々しく肯く。
「ああ、もうすぐだ……あと少しで、あの薄汚い化け物どもを始末することができる」
「御意に。この大地一面がエルフどもの血で色を変えたとき、それこそが我らの長年の悲願が叶う時」
「そうだ。リエロの、リエロの仇を……もうすぐ、この手で、晴らすことが……」
 ほとんど独白しながら、大臣は薄く笑う。その瞳に狂気の色を見て、アラストルも微笑した。
(そう、ついに舞台はフィナーレだ。閉幕カーテンフォールまで、せいぜい愉快なダンスを踊っていただこう)
 三日後に巻き起こるであろう喜劇を瞼の裏に映し、アラストルは目を閉じた。


     ×××××


 エルフの里、女王の屋敷の一室。円卓を囲んでシーザ、グラフト、イクス、アリア、そして女王イルフェリナの五人が額をつき合わせていた。机にはノアニール〜白の森間の詳細な地図が広げられている。
「ロマリア軍は現在、この地点に居ます」
 白い指で地図の一点を差し、イルフェリナが告げる。エルフによる最新の調査結果だ。シーザはその場所に×印を付けると、
「地形の関係から、ロマリア軍はこういうルートを通る可能性が高い」
 ペンを左、上、左と滑らせる。西に進んだ後、一度北上して、さらに西、ということだ。
「先頭の部隊が森に到達するのはおそらく三日後。移住はそれまでに可能でしょうか?」
「不可能ではありません。ですが、出来ることなら今しばらく準備のための時間が欲しいところですね」
 シーザの問いに女王が簡潔に答える。エルフ全員の移動は可能だが、物資その他の移動は難しい、ということだろう。
「ノアニールに掛けた呪い、あれは使えませんか?」
「あれは特定範囲内にしか有効ではありません。それに効果が出るまでに半日以上を要します。移動する軍隊相手には通じないでしょう」
「なら、やはりこの作戦しかありませんね」
 そう言って、地図の横に置いてあるルビーに目線をやる。この作戦というのは、会議の最初に全員に説明をした、夢見るルビーを用いた作戦のことである。
「決行のポイントはここだ」
 地図上に西、北、西と引かれた曲線。その北の部分にシーザは○印を付ける。
「ここは東西が山に囲まれている。軍がここを通過するのは二日後。決行は二日後の早朝になるな」
「シーザ、本当にそんな作戦が可能なのか?」
「理論上は問題無いはずだ。但し失敗も充分考えられる」
 返答にグラフトは渋い顔をしてみせる。
「そもそも魔族は、本当に軍の中に紛れ込んでるのか? もしかしたらロマリアで高見の見物をしているかもしれないだろう」
「それも確かなことは言えないが……相手は恐らく愉快犯だ。自分の仕掛けた計略の結末を、間近で見ようとする可能性は高い」
 不明確な要素が多いことこの上ないが、これも今の状況では仕方が無い。それに居ないなら居ないで今度はロマリア城への潜入を試みるだけだ。
「イクス、鷹の目は扱えるか?」
「ん? ああ。一応前に盗賊やってたからな」
 鷹の目、とは盗賊などが得意とする遠視術のことである。首肯するイクスを認め、シーザは○印の右側を指差す。
「お前はルビーを持って、この山の頂上に登ってくれ。通過する軍隊の姿がはっきりと視認できる位置がいい。俺とグラフト、アリアの三人は軍の通過点の近辺に潜伏する。それで依存無いか」
 三人はそれぞれ肯いた。イクスだけは少々嫌そうな顔をしていたが。
「我らエルフに、何か出来ることはありませんか」
「何名かに偵察と連絡の任を引き受けていただきたいのですが」
「承知しました」
 イルフェリナの快諾を受け、最後にシーザは蒼髪の少女を見る。
「この作戦の要はお前だ、アリア」
「……はい」
 答えた少女は、作戦説明をした時からずっと、緊張の面持ちである。不安は残るが、この役目を果たせるのはアリアだけなのだ。本番の成功を願うしかない。
「明後日の日の出と共に作戦決行だ。健闘を祈る」
 二日後の戦いを先見るように、シーザは虚空を鋭く見据えた。


     ×××××


 そして翌日の深夜。アリアはシーザ、グラフトと共にロマリア軍の通過予想ルート付近で待機していた。ついさっきやってきたエルフの連絡員によると、予定通りあと数時間で軍はこの場所にたどり着くという。イクスも既に所定の位置につき、あとは日の出を待つばかりだ。
 季節は秋。雪こそ降らないもののここは大陸の北端で、おまけに時刻は深夜。普段の僧服の上に厚手のローブを羽織っていてなお、体を刺す冷気に思わず身を震わせる。
(寒い、な……)
 体以上に、アリアは心に耐え難い冷たさを覚えていた。それを抑えこむような気持ちで、胸元で両手を重ね合わせる。
「緊張しているのか?」
「え……」
 横手からかけられた言葉に顔を上げると、いつの間にかシーザすぐ横に立っていた。彼は地面に腰を下ろし、アリアと目線を合わせる。
「心配するな。お前は一ヶ月間、必死の特訓を重ねてきた。必ず成功する。教えた俺が保証する」
 普段と変わらぬ淡々とした口調。しかしすぐにこれが彼なりの気遣いだと覚り、嬉しさで、冷えた胸の内が少しだけ暖まるのを感じる。
「ありがとうございます。……ただ、今は別のことを考えていたんです」
「別のこと?」
「はい。リエロと、アンのことを……」
 洞窟でルビーと二人の遺書を見つけてから、アリアはずっと考えていた。リエロとアン。クリストフとイルフェリナ。そして人間とエルフのことを。
「二人は、ただ愛し合っていただけなのに。それなのにどうしてこんな……こんなことになってしまったんでしょう」
 人とエルフの許されざる愛が、人とエルフの凄惨な争いに。愛ゆえの悲劇、と呼ぶにはあまりにも多くの人を巻き込んでしまった。
「なぜ共にあることが出来ないのでしょうか。人間もエルフも、同じように生きて、同じように笑って、同じように愛するのに。私には、それが、悲しくて……」
 仲良くするということは、争い合うことの何倍も簡単で、快いもの。そう信じるアリアにとって、この結末は悲しすぎた。
 アリアの悲嘆を無言で聞いていたシーザが、静かに口を開く。
「自己を中心にしか世界を見ることが出来ない者は、自分と違うというだけで、容易く敵を作り、排斥する」
 彼は一度目を閉じ、まるで悼むように一拍の沈黙を挟んだ。
「……人とエルフばかりじゃない。人と人の間でも、国家、民族、集落、果ては家庭内にまで、大小の差はあれ、その根は伸びている。心弱き者は、本能的に敵を欲するんだ。攻撃対象を手に入れることで、自我の安定を保とうとする」
「シズ様……」
 彼の口調に淀みは無かったが、アリアは漆黒の瞳にかげりを見たような気がした。この言葉はそのまま、シーザ自身が受けた痛みそのものではないのか。
 そんなアリアの思索を知ってか知らずか、シーザは朗々と言葉を続ける。
「リエロとアンも同じだ」
「えっ」
「二人は両親に婚約を反対された。しかしそれなら何処へとなり駆け落ちして、二人で暮らせば良い。死ぬ必要など無かった」
 そのことはアリアも疑問に思っていた。
「そうですね……。なぜ、自殺などしたのでしょうか。天界イデーンで幸せになろうなんて、そんな、悲しいことを」
 ルビスの教義では、自殺は他殺と同じくらい、罪深いこととされている。現世を生きない者に死後の安寧は与えられない――司祭である叔父の言葉を思い出し、思わず目を伏せる。
「人とエルフの寿命は三倍以上も違う。あるいは、未来に訪れる別離を恐れたのかもしれない。なんにせよ、二人は戦うことを恐れ、逃げたんだ。種族の差別からも、親との対立からも、生からも。そのどれか一つにでも正面から向き合うことが出来たなら、こんなことにはなりはしなかった」
 今更言ったところで何も変わりはしないがな、とシーザは冷たく切り捨てる。
「今、必要なのは責任の追及じゃない。俺達がしなければならないのは、これ以上の犠牲を防ぐことだ」
「はい」
「作戦はスピード勝負になる。今のうちに体を温めておけ」
 それだけ告げて、シーザは立ち上がる。遠ざかっていく背中へ、アリアはぽつりと声をかけた。
「シズ様」
 聞こえないかとも思ったが、シーザは立ち止まり、顔だけこちらを振り向いた。アリアは自然と笑みを浮かべ、
「ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことはしていない」
「それでも、何だか、お礼を言いたくなったんです」
 シーザはそれにただ「そうか」とだけ返し、何事も無かったように歩み去った。
 そのすぐ後、報告に来たエルフによって、作戦開始が二時間後に迫ったことを知った。


     ×××××


 ロマリア軍は整然と隊列を保ったまま、厳かに、力強く、進行を続けていた。時刻は夜明け前、明日の今頃には戦端が開かれることとなるだろう。
 今までの道程で、エルフからの襲撃は一切無かった。森の中を戦場に設定するつもりだろう。白の森は霧深いために視界が悪く、隊列も組み難い上に死角も多い。エルフにとって最も有利な戦場だ。加えて霧の水分のおかげで火も回りにくいから、単純に森を焼き払うこともできない。
(もしもエルフ側が有利となるなら、ある程度助力する必要もあるな)
 傍観を決め込んだアラストルだったが、一方が圧倒されるのは困る。互いに拮抗し、狂気のままに最後の一兵になるまで殺しあってもらうのが理想だ。時にはエルフ、時には人間兵に姿を変え、戦力の調整を図らなければならない。
 不意に、それまで黙していたクリストフが声を上げた。
「なんだ、あれは?」
 言われて彼の視線を追う。右方、東の空に目をやると、山の頂から空へ向けて、何やら一筋の光が伸びるのが見えた。かと思うと、次の瞬間それが爆裂する。
「なんだ! 一体何事だ!?」
 響いた轟音に周囲は騒然とする。馬がいななき馬車は急停止した。クリストフもアラストルも立ち上がって、東の空を凝視する。
 光は山頂から次々と天に向かって飛び、爆発した。それなりに距離があるため、当然軍の方に被害は無いが、突飛な出来事に兵士達は唖然としている。
「エルフどもの挑発か!」
 クリストフはいきりたって吐き捨てるように叫んだ。
(エルフの仕業であるのはまず間違いない。だが攻撃ではない……何かの合図にしては数が多すぎる。しかし挑発にしても被害が無ければたいした効果は無い。一体……?)
 黙考しながらアラストルは再度、東を睨む。その時ちょうど山間から太陽が顔を出し、思わず目をしかめた。

 瞬間、赤い光が走った。

「!?」
 軽いめまいを覚えて、アラストルは馬車に寄りかかる。何が起こったか考える間もなく、今度はその横で大臣が倒れ伏した。
「大臣閣下?」
 声を掛けるが返事は無い。大臣だけではなかった。馬車の御者が、周りを囲んでいた騎士達が、周囲の兵の大半が地面に倒れこんで、体を引きつらせている。
 赤い光が再び周囲を照らした。その度に一人、また一人と兵士が倒れていき、ついにこの場で立っているのはアラストル独りとなってしまった。
(なんだ、何が起こった?)
 まったく理解出来ない事態だった。あの赤い光は何か。誰の仕業か。何の目的なのか。
 その時アラストルの背後から、それら全てに答えうる存在が迫っていた。


     ×××××


 夢見るルビーの光を直視した人間は体を麻痺させる。ならばその効果を広範囲に対して発揮できないか。それがシーザの発想の大元だった。
 朝日が昇るその瞬間、山の頂、最も高い樹の上で、イクスが鷹の目で軍隊の動きを逐次確認しながら、ルビーをかざす。日の出の直前にエルフ達の爆撃魔法による轟音で兵士達の視線を東へ引き付け、明けの陽光がルビーを通し、大地を赤く染め上げる。もろに光をその目に焼き付けた兵士達は、洞窟で会った盗賊と同じように、全身を痙攣させ、地に倒れ伏した。
 もっとも、ルビーはそもそもそういう使い方をするためのものではない。当然女王にも光を広範囲に広げて効果が及ぼせるかなど解るわけもないし、実験をする時間も無かった。決して分の良い勝負ではなかったが、どうやら賭けには勝ったようだ。

 しかしこれは計画の第一段階――魔族を覆う鎧を剥ぎ取るためのもの。本命は次の一矢だ。

 ルビーとは反対の西側に身を潜めていたシーザ、グラフト、アリアは、光が止むや一直線に駆け出した。目指すは高官の乗る馬車。倒れる兵士達をかわし、あるいは踏み越えながら、車上に独り立つ男に向けて疾駆する。やがてその姿が肉眼で捉えられる距離に達した時、男がこちらを振り向いた。
 長身痩躯に金色の眼をした男――シーザは記憶を呼び起こした。アラストルという名の、大臣の腹心だったはずだ。
 男の体がこちらを向くと同時、周囲にぞっとするほどの邪気が満ちる。徘徊する魔物などとは比較にならない醜悪な気配、これで、男が間違いなく魔族であるという確信を得た。シーザは意気を奮い立たせて、さらに加速する。
 まだこちらの射程には届かない。車上の男は右手を掲げると、
「ベギラマ!」
 低い声と共に、三人を丸ごと呑み込むほどの熱線が迫った。
(速い!)
 予想よりも遥かに迅速な対応。シーザはとっさに左腕の盾で顔面を覆い、身を低くする。後のアリアもそれに合わせた。グラフトは、
「おおおおっ!!!」
 シーザの真正面で身を屈め、襲い来る熱波を一身に浴びた。高熱の光がグラフトを包む。が、後の二人にその脅威を及ぼすことなく、完全にねじ伏せてしまった。装備した鉄鎧が熱で溶解するほどの高熱を、理力を最大まで高めたグラフトの防御力が勝ったのである。
 こちらの射程に入る前に魔族が攻撃してきた場合、シーザとグラフトどちらかが壁となってアリアを守る――そういう手はずになっていたが、あの攻撃をシーザがまともにくらえば命は無かっただろう。力を使い果たして倒れるグラフトに胸中で謝辞を述べ、シーザは再び疾駆する。
 射程に、入った。
「アリア!」
「はいっ!」
 答えてアリアが立ち止まり、両手を馬車へと突きつける。魔族が二撃目を放つより一瞬早く、魔法は完成した。
 戦場に高らかと呪文が響く。

「ニフラム!」

 視界を白光が染めた。真後ろから真っ直ぐに放たれた光の帯は、射線上のシーザを素通りし、奔流となって男の姿を覆い尽くす。
「ぐあああああぁぁぁぁ!!!」
 光を全身に浴び男は絶叫を上げた。術者の聖性をそのままぶつける魔法。人間には無害でも、聖性と対を成す邪気を生命力とした魔族にとっては、溶けた鉄を浴びせられたようなものだ。射程こそ短いが、アリアのニフラムは魔族へ確かなダメージを与えていた。
 シーザは大地を蹴り、馬車に飛び乗った。そのまま隙だらけの魔族に向けて剣を振る。肩口から斜めに一閃、斬り返しに胴を抉り、よろめく男の左胸に刺突を繰り出す。剣がその胸を完全に貫いたとき、
「ギラ!」
 止めとばかりにシーザは熱線を放った。
 灼熱が男の体に突き刺さり、全身を燃え上がらせる。その瞬間、シーザは剣を引き抜いて後退し、距離を取った。男は――
「ふっ……は、ははははははは」
 男は三箇所に致命傷を負い、身を炎に焼かれながら、笑っていた。かと思うとその姿は見る間にシルエットを変え、異形のものへと変貌させていく。
 異形――体格こそ人間に近いが、それは例えるなら、神話に出てくる悪魔そのものだった。全身を黒光りする肌で包み、頭には禍々しい二本の角。両手の爪は一本一本が短刀ダガーのように鋭く、長い。唯一人間の時と変わらないのは、不気味な光を放つ金色の瞳。
 魔族は背の、巨大な蝙蝠のような翼を広げると、一打ちで空中へ舞い上がる。
「見事だ、勇者シーザ」
 天空から、しかし地獄の底から這い出てくるような声が、降り注ぐ。
「まさか貴様が邪魔をしてくるとは思わなかった。しかも、こんな方法で」
 くつくつと笑う。ニフラムを受けて、あれだけの斬撃を浴びせられて、この余裕。信じられない生命力だ。
「お前は何者だ」
「くくっ、いいだろう。名乗っておいてやろう」
 愉悦の表情すら浮かべて、漆黒の魔族は上空で会釈してみせた。
「私は魔王バラモスが配下、四魔将が一、アラストル」
 四魔将――さしずめ魔王側の幹部、というところだろうか。つまりあと三人は同等の地位を持つ存在がいるわけだ。
 シーザは会話をしながらも常に、攻撃の機会をうかがっていた。上空への攻撃手段は二つ、魔法と投げナイフ。しかしギラをまともに受けて平然としているこの相手に、果たしてそれらが通じるだろうか。
 上空から見下してくる金の両眼を、シーザは鋭く睨み返す。それにアラストルは目を細めて、
「その眼……なるほど、確かに似ている」
「何の話だ」
「その、研ぎ澄ました刃のような眼差し。お前の父、勇者オルテガにそっくりだと言ったんだよ」
 心底面白がるような口調。それもまるで見知った間柄であるような言い方だ。
「なぜお前がオルテガを知っている」
「なぜ? 簡単なことだ」
 アラストルはさらりと言った。

「オルテガを殺したのは私だからさ」

 呪いの文句を吐き出すように、アラストルは言った。
「つまり君にとって、私は憎き仇というわけだ」
 オルテガの仇。
 その言葉に、シーザの心は微動だにしなかった。それどころか、頭が、心が、急速に冷えていくのを自覚する。
「オルテガは、魔族と共に火山の火口に落ちた」
「そう、私がオルテガを火口へと引き摺り込んだ。なかなか手強い相手だったのでね、一か八かの賭けに出たのだよ。賭けというのはつまり、溶岩の熱に私自身が耐えられるか、ということだが」
 アラストルは肩をすくめる。
「ついでに言うなら――もう二十年近く前になるか、アリアハンへ攻め込んだ時の軍を率いていたのも私だ」
 シーザが生まれる一年前にあったという、魔王軍によるアリアハン襲撃。言われてみれば、その指揮官は漆黒の悪魔と呼ばれていたという記憶があった。その時オルテガが指揮官を倒すことで、アリアハンは辛くも襲撃を退けたと聞いたが……、
「それが、どうした」
「ははっ、どうしたときたか。話には聞いていたが、オルテガとは大違いだな。あの男なら怒り満面に襲い掛かって――」
「ニフラム!」
 声音と共に再び白光が走る。が、アラストルは予期していたように翼を打って身をかわした。
「おっと、さすがに同じ手は」
「ギラ!」
 回避の先を読んでシーザは呪文を放つ。狙いたがわず熱線は再びアラストルを焼いた。が、それだけだ。
「シズ様!」
 アリアが馬車に這い上がってくる。二撃目が遅れたのは、グラフトの治療をしていたからだろう。少女は上空のアラストルを凛として見上げ、三度みたびニフラムの体制に入る。
「ふ、はははっ! なかなかに面白い――いや、恐ろしい奴らだ。その力量レベルで私にこれだけのダメージを与えるとはな!」
 自嘲ではなく明らかに楽しむ調子。
「さすがに傷つきすぎたよ。今日のところはここで引かせていただこう。それにもともと、真向勝負というのは信条に反する。暗躍こそ私の本分なのでね」
 空高く舞い上がる姿をシーザは見据えた。それに悪魔は醜悪にわらい返し、
「また会う時を楽しみにしているよ、勇者シーザ」
 呪詛のようなその言葉を残して、魔将アラストルは視界から消え去った。


     ×××××


 視界を赤で塗りつぶされたと思ったその時には、クリストフは仰向けに倒れていた。体がまるで別人のものになってしまったように、指先一つ満足に動かせない。
(なんだ? 何が起こった)
 言ったつもりの疑問も、口から低い呻き声が出るだけだ。
 そしてクリストフは、動けないまま仰向けの視界で、変化事態の推移をはっきりと見た。

 突如魔法を放つアラストル。
 それを包みこむ白い光。
 上がる絶叫。
 突如現れ斬りかかる勇者シーザ。
 響き渡る哄笑。
 そして、異形の姿に変貌したアラストル。

(なんだ、あれは)
 神話の世界から抜け出してきたような、悪魔そのものの姿。
 クリストフが異種族外交官であった頃から大臣の地位に上り詰めるまで、常に側で助力をしてくれた、最も信頼の置ける部下。それが今、漆黒の翼で空を飛んでいるのは、一体どういう冗談なのか。
 混乱する思考に、悪魔の言葉が追い討ちをかけてくる。
「私は魔王バラモスが配下、四魔将が一、アラストル」
 伝説で語られる魔王。そしてその配下――アラストル。
(どういう、ことだ……)
 まさか――最悪の結論が脳裏をよぎり、慌ててそれを振り払う。混乱と葛藤の坩堝るつぼにはまったクリストフの耳に、それ以降の会話は届かなかった。



 混濁した意識の外から、涼やかな声が響く。
「キアリク」
 それを合図に、まるで人形になってしまったかのように力を失っていた体に、唐突に主導権が戻ってくる。上半身を起こしたクリストフの眼前には、半月前まで王座に座っていた少年の姿。
「勇者、シーザ……」
 意味無く呟く。少年に向けて、クリストフはどういう視線を投げかければいいのか解らなかった。カンダタ討伐に利用した勇者であり、一時の王であり、エルフとの決戦のための邪魔者であった存在。そしてこの混迷した場にさも当然のように現れた少年へ、一体どんな眼を向ければいいのか。
「大臣閣下」
 落ち着いた、あるいは冷たい声で勇者は語りかけてくる。
「説明するべき事柄が数多くありますが、まず言っておきます」
 急にクリストフの拍動が高まる。耳を塞いで逃げ出したい衝動に駆られたが、少年の言葉は無慈悲だった。
「あなたの腹心であったアラストルは、魔王バラモスの配下です。エルフがロマリアに対して行った攻撃も同様に、姿を変えたあの魔族の仕業です」
「―――!」
 思わず唇を噛んで、否定の言葉を叫ぼうとした。しかし聞かされた言葉は、既に胸の内で確信として形作られていたのだ。即ち自分は、魔族なる存在に煽動されていたのだという事実を。
「それから、お渡しする物があります」
 絶望に沈むクリストフへ、シーザは一片のいたわりも見せず、懐から何かを取り出した。受け取ったそれは一通の手紙。
「エルフの里西にある洞窟、そこで夢見るルビーと、この手紙が見つかりました」
「なっ……」
 宛名を見て、その懐かしい筆跡を見て、クリストフは唖然とした。震える手で封を切り、一枚の手紙を目の前に広げる。

親愛なる父へ

 僕、リエロ・ハールステットは、我が恋人と共に
 天界へと参ります。先立つ不幸をお許しください。

 本当なら、こんな方法で父上とお別れしたくあり
 ません。しかし僕にとって、アンと共にあれない
 人生など考えられないのです。それほどに、アン
 のことを愛しているのです。

 エルフという種そのものを否定する、父上の考え
 が僕には解りません。

 彼女がエルフだということ、それが一体なんだと
 いうのでしょう? 僕が彼女を愛し、彼女が僕を
 愛してくれること。一体それ以外に、何が必要
 だというのでしょうか。

 祝福を得ること叶わないのなら、僕は天界での
 永遠を望みます。

 二十三年間。亡き母に代わって父上が注いでくれた
 愛を、僕は決して忘れません。どうか次の再会の時
 まで、壮健であられることを祈っています。

 そして、願わくば人とエルフが共に歩まんことを。

                リエロ・ハールステット

「………」
 クリストフは無言で手紙を閉じた。
 何も、言えなかった。自分を支えていた全てが今、静かに崩れ去っていくのを感じた。
「夢見るルビーはエルフの女王に返還しました。それによりエルフは、ノアニールの呪いの解除を約束しました」
 それら衝撃的な情報も、今のクリストフには地平線の遥か彼方から聞こえてくるようだ。
「白の森のエルフはこの地を去ります。どうか軍の撤退を」
 少年の言葉を拒絶する意思も、活力も、クリストフは持ち合わせていなかった。


     ×××××


 ロマリア軍はクリストフの命により、麻痺した兵を引き連れてノアニールへと帰還。そこで、呪いが解除され、活動を再開した人々と出会うこととなる。
 国王と高官らは再出兵を主張するも、大臣クリストフの命令で全軍は王都へ帰還。その後エルフ族から森からの移住を通達され、ロマリアは再攻撃の大儀と機会を永遠に失うこととなった。
 復活したノアニールの町は、呪いがかけられる直前の生活をそのまま続けており、十年という歳月に取り残されたという以外は、何ら異常はなかったという。
 クリストフ・ハールステットはロマリア帰還後、大臣の職を辞、翌日には行方知れずとなる。腹心であるアラストルも姿を消したことで、ロマリア国が安定を保つのにはまだ時間がかかりそうとのことだった。
 そして、移住を決めたエルフは――



「残念ですが、オーブの在り処は我々にも解りません」
「そうですか」
「魔王についても、私が知っていることは多くありません。おそらく貴方の師であるという賢者殿、その知識の域を出ないでしょう」
 申し訳なさそうに言うイルフェリナに、シーザは頭を下げた。オーブは元々人間の社会に存在したものだから、それほど期待していたわけではなかった。魔王に関する情報が無いのは心もとないが、幹部の存在を知っただけでも収穫はあったというべきだろう。
 女王は微笑を浮かべて、またもあの単語・・・・を口にした。
「貴方はコリドラスなのですね」
 耳にするのはこれが三度目だ。
「コリドラスとは一体何ですか?」
 シーザの問いに女王は意外そうな顔をする。
「賢者殿から聞いておりませんか? ならば、今教えるべきことではないと判断されたのでしょうね」
 ならば私もそれに倣いましょう、と女王は口を閉ざしてしまう。
 賢者ナジミ。シーザの魔法の師であり、魔王やオーブ、その他世界の様々なことを教えてくれた恩師である老人。
 シーザが投げかけた問いをナジミがはぐらかす時、彼は決まってこう言った。『知識はそれを得る時と場合により、有益なものが無益となり、無害なものが有害となる。だから今教えないということは、時が至らないからなのだ』と。
 そしてそのを、ナジミが誤ったことは一度として無かった。ならば今回のことも、今は知るべき時ではないということなのだろう。
「いずれは真実を知ることとなるでしょう。でも、争いを止めることを存在理由と言った貴方ならきっと、その運命を乗り越えられるはずです」
 イルフェリナのその言葉は、旅立ちの時にナジミから掛けられた言葉と似ているような気がした。真の意味が解らないのは以前と同じだったが。
「我々白の森のエルフも、いずれ必ず、あなた方の力となりましょう。それまでどうか、行く先の祝福を祈っています」
 それを別れの言葉に、エルフは森を去った。

 傍観者、シャンプ。
 盗賊ビットと商人リプレ。
 魔将アラストル。

 偶然と必然によって織り成された三つの出会いは、先の未来に何をもたらすのか。次の目的地に思いを馳せて、一行はロマリアの地を後にした。




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