五章 邂逅する戦場

―邂逅〜洞窟の中の二人〜―

 ノアニール西の天然洞窟。リプレ・オルカーヌは暗闇の中を、カンテラの灯りを頼りにゆっくりと進んだ。
 踏み固められた地面。ゴツゴツした岩肌。天井に残る松明の煤。それらに目線を走らせながら、手にした羊皮紙に羽ペンを滑らせる。ときおり立ち止まって前後左右に頭を動かすたびに、桃色のポニーテールがゆらゆらと揺れた。それを煩わしく思いながらも、正確に洞窟の地図を書き記していく。
「ねえビット。本当にここで間違いないの?」
 手を止め、足を止め、リプレは隣に立つ少年――もう十九のはずだが、傍目にはどう見ても少年だ――を問い詰めるように言った。
 対する少年も足を止めると、自信ありげにうなずいてみせる。
「絶対だって。夢見るルビーはきっとこの洞窟にある」
 耳にかかる程度に伸ばした銀髪。しかし生え際が黒いことから、それは染めたものだということが解る。動きやすそうな薄手の上下に、肩には大きめの鞄。片手にダガー、片手にカンテラを持ちながら、黒い瞳を子供のように溌剌と輝かせていた。
 五つも年上の少年が見せる無邪気な笑顔に、リプレは内心溜息をつきながら、
「何を根拠に絶対なのよ」
「だってさ、盗賊ギルドからの情報なんだぜ」
 世界各地には冒険者のための組合(ギルド)というものが存在する。最も有名なのはアリアハンのルイーダの酒場だが、ともあれ冒険者達はそれらの機関を利用して仕事の斡旋仲介や情報収集を行っているわけだ。
 しかし盗賊に限っては職業柄、非合法ギリギリ(あるいはまるっきり非合法)の仕事を依頼されることも少なくない。そういった裏の仕事を取り扱うため、冒険者のものとは別に盗賊ギルドというのが存在している。建前上は冒険者ギルドの補佐機関、しかし実質ならず者の吹き溜まりとなっているらしいが。
「情報に間違いは付き物よ。いくらギルドからのものでも、絶対とは言い切れないでしょ」
「そんなこと言ってたらきりがないだろ。それに大丈夫、この洞窟には何かあるって、俺の盗賊の鼻が言ってるから」
「盗賊の鼻、ねー」
 何を言い出すかと思えば。リプレは嘆息する。
「この前も『お宝の匂いがする!』とか言って、三時間も洞窟探し回って。結局見つけたの銅貨一枚だったじゃない」
「……一応お宝だろ」
「そのまた前はお鍋のフタだったわね」
「盾として使えるじゃん! 盾として!」
「お鍋のフタがどうやったら盾になるのよ!」
 言い争いの不毛さを自覚して、リプレは首を振った。
(あーもう。何でこいつとコンビを組もうなんて思ったのかしら)
 二年前、ひょんなことからパートナーとなった二人。盗賊であるビットが宝を入手し、商人であるリプレがそれを鑑定・売却する。それぞれの職業を生かした最高のタッグだと思っていたのだが――
 ビットの盗賊としての能力は決して低くない。むしろスキルだけを見れば一流の部類だろう。鍵開け、忍び足、トラップ解除、道具に関する知識や鑑定眼もそれなりに持ち合わせている。問題なのは、性格だ。
 彼は注意力散漫なのである。おっちょこちょいなのである。一目でトラップを見分ける眼があるのにうっかり落とし穴にはまったり、無音で移動できる抜き足を持っているのにうっかり壺を割ってしまったりするのである。宝の持ち腐れというかなんというか。
 それでもこうしてパーティとしてやっていけているのは、
「ま、気にするなって。とにかく今はルビー探しと行こうぜ!」
 彼の、呆れるほど前向きで、裏表の無い性格のためだろう。信用できる旅仲間というのは、見つけようと思って見つかるものじゃない。特に自分のような美少女(強調)であれば尚更だ。信頼できないのがタマにキズではあるが。
「まあ十年経っても未だ見つからないっていう伝説の代物だから、そう簡単に手に入れられるとも思ってないけどね」
 夢見るルビー。エルフ族の女王が代々所持すると言われる宝石。それは純化された血のように紅く、燦然たる太陽の如き煌きを放つ。ひとたびその輝きを目にすれば、あまりの美しさに体が痺れてしまうとさえ伝えられている。万一売却されることがあるなら、十万ゴールドはくだらない品だろう。
 それがどういう事情か、エルフの里から程近いこんな洞窟の中に、しかも十年も昔からあるというのである。当然今までに数え切れないほどの盗賊達が探索に乗り出し、そして何も見つけられずにいる。
「あのゲイルさんすら見つけられなかったんだ。それをオレが手に入れれば、きっとあの人に認めてもらえるはず!」
 決然と拳を固めるビット。
 ゲイルさんとは、彼に盗賊の技を仕込んだ師のことである。どうやらその師匠に認めてもらうため、ビットはお宝探し(トレジャーハント)の旅に出たらしい。解り易い男である。
「ゲイルさんは良いんだけど、ビット」
「ん?」
「前にも言ったけど、この洞窟は大量にマップが出回ってるほど有名な場所なの。つまりもう隅から隅まで調べつくされてるわけ」
 未開の洞窟や遺跡に入るのにマッピングをするのは常識だが、それで目当てのものが見つけられなかった盗賊らは、その地図を他の盗賊に売る。魔物の出没によって未開地探索の危険度が急激に高まったため、起こった需要だった。
「解ってるよ。つまりオレ達は地図には無い通路や部屋を探さないといけないんだろ」
「そーゆーこと。例えば落盤で崩れた先にあるかもしれないし、天然洞窟だからぱっと見には解らないような隙間があるかもしれない。とにかく注意深く観察するのよ」
「りょーかい」
 親指立ててうなずくビット。「いつも威勢だけはいいのよね」とリプレは息をついた。
 洞窟に入って丸一日。今はおおよそ昼過ぎくらいだろうか。事前に購入した地図と新たに書き起こした地図を見比べてみる。もう洞窟の半分は踏破したはずだった。
(ま、見つかるわけないんだけどね)
 今まで通った道も隅々まで見渡したが、不自然な場所は一切見当たらない。一体どういういきさつで、夢見るルビーがここにあるなんて情報が出て来たのか知らないが、何人ものプロが探して見つからないなら、それはつまり存在しないのだ。
(それでも探そうって奴が後を絶たないんだから、おかしな話よね。一攫千金を夢見るのは解るけど)
 まさに夢見る(・・・)ルビーだと内心皮肉りながら、それを解ってなお探索に来ている自分らの経済状況こそ皮肉な話だと自嘲的に笑う。
「これに失敗したら、明日からご飯抜きよね……」
「えっマジ? なんで?」
「あんたねえ……今あたし達は無一文なのよ!」
「だってさ、この前ロマリアで黒こしょう売ったじゃん。その金は?」
「そんなの、食費や宿代その他諸々でとっっっくに消えました」
 実のところその諸々の中には、リプレの研究費用(・・・・)も含まれていたりするのだが、それは言わないでおく。
 それに再び口を開こうとしたビットは、
「っと、出たか」
 次の瞬間顔を引き締めて、カンテラを地面に下ろした。少し開けた空間の先、既に見慣れた魔物の姿が目に入る。どこかから光が入っているのだろう、洞窟内は灯り無しでも支障がない程度には明るくなっていた。
「えーっと、こいつは、何ていったっけ?」
「……入り口で出た時教えたわよね」
「えーあー……あ、タマンゴ!」
「マタンゴよ! マ・タ・ン・ゴ! もう、魔物の名前くらい覚えなさいよ」
 叱咤して、前方のマタンゴの群れに注意を向ける。一抱えはあるかという巨大なキノコに、目、口、小さな手足を生やしたような魔物。数は七。紫色のかさから振りまく胞子に催眠作用を持っているが、それさえ注意していれば何ということも無い相手である。
「それじゃ、行くぜ!」
 ビットは左手を懐に突っ込むと、大きく振り抜いた。瞬間、矢のように放たれた二本のナイフが、寸分違わず一体のマタンゴの両目に突き刺さる。
 素晴らしいほどに正確な狙いだ。これだけでも十分芸として通用する(実際本当に苦しい時には、これで路銀を稼いだ時もあったのだが)腕前だ。ビットの得意技の一つである。
 くぐもった魔物の悲鳴と共に、ビットは地面を蹴った。彼は先ほど投擲したナイフにすら匹敵する速度で、群れの只中へ突っ込んで行く。刹那の時で間合いを詰めると、右手のロングダガーを振るった。一匹のマタンゴを斜めに断ち割るや、さらにもう一匹、ナイフでダメージを与えた方に止めを刺す。群れが彼の姿を認識する頃には、既にビットは魔物たちの背後に出ていた。
 ほとんど非常識なスピードである。端から見ているリプレでさえ、目で追うのがやっとだ。この尋常ではない素早さこそ、彼の最大の武器。
「っらぁ!」
 二度目の攻撃。ビットはダガーを腰の鞘に収めると、今度は鎖分銅(チェーンクロス)を薙ぎ払う。長い鎖がうねりを上げ、先端の分銅が迫り来る五体のマタンゴたちをまとめて吹き飛ばした。
 リプレもただ見ているだけじゃない。肩掛けのカバンに差し込まれたロングナイフの柄に手を掛けると、目の前まで転がってきたマタンゴの額に向け、突き立てた。耳をつんざく悲鳴を聞き流しながら、残りの四匹を見渡す。
 相手は知能など無いに等しい野生の魔物。どういう思考が働いたのか知る由もないが、二匹はビット、二匹はリプレの方へそれぞれ襲い掛かってきた。距離的にビットのフォローを待つ余裕は無い。
(もう、考え無しに突っ込むなっていつも言ってるのにっ)
 先走ったビットを胸中で罵りながら、リプレは腰に差す杖を手に取った。
 杖、といっても大地を突くためのものではない。れっきとした魔道具だ。長さは肘から手首ほど。白木に朱色の紋様が描かれた軽量のもので、先端には紋様と同じ淡い赤の水晶が埋め込まれている。
 迫り来るマタンゴをナイフで牽制しつつ、杖先を一匹へ向け、振るう。
『跳べ!』
 叫びに杖の水晶が赤い光を発したかと思うと、次の瞬間握りこぶし二つ分ほどの火球が一直線にマタンゴを直撃した。キノコの魔物はその身から炎を上げ、ほどなく絶息する。
 魔法を扱えない者でも、特定のモーションとキーワードを発することで何らかの魔法を発現させることができる。それが魔道具と呼ばれるアイテムだった。世界四大賢者の一人、封魔賢者アープが実現させ、かつアープにしか扱えなかった技術で、世界にある魔道具は一部を除いて全てアープの作品である。
 リプレが今使ったのはメラの魔法が込められた魔道具。魔道師の杖(ウィザーズワンド)と呼ばれる数少ない市販品の改良版(・・・)だった。
 再び杖を振るい最後の一匹を燃え上がらせた所で、ようやく片付けてきたらしい銀髪少年をギロリと睨む。視線に込められた怒りを察して曖昧な苦笑いを浮かべる少年を、リプレは冷淡な言葉で迎えた。
「勝手に先行するなって言ったわよね?」
「え、いや、だってさ」
「戦闘はあんたが主力であたしはサポートってパートナー組んだ時にそう決めたわよね?」
「いや、だから……」
「それなのにサポートの人間置き去りにして敵の真ん中に突っ込んでこっちに魔物がやって来てるのにフォロー無しってどういう了見なわけ?」
「えーっと」
「マタンゴは足が速いしかさから催眠性の胞子を撒くからあんたみたいな高速ヒットアンドアウェイ戦法か中距離武器でも使わないと攻撃できないからあたしは必然的に魔道具を使うしかないって事前に説明したわよね?」
「つまり」
「魔道具は水晶に圧縮した魔力を補填させてそれを動力にしているから使用回数に限りがある上に充填(チャージ)するには手間と最悪コストまでかかるからなるべく使いたくないし残りあと四回しか撃てないしただでさえ路銀が無いんだから出費は最低限に抑えなきゃならないってのにどうしてあんたはこうそういう事情を綺麗さっぱり忘れて馬鹿みたいに突っ走るのかな?」
「すみませんオレが悪かったです」
 がっくりとうなだれるビットに、リプレはしたり顔で言った。
「わかればよろしい」



 リプレの耳に水のせせらぎが届く。ほどなく視界に目的のものを見つけ、二人はほっと肩の力を抜いた。
 それは小さな泉。聖水の湧き出る泉だった。
「ようやく休めるわね〜」
 バッグを下ろし、腰を下ろし、リプレは大きく息を吐いた。泉の聖水から発せられる聖性が、洞窟内の魔物よけになるのだ。暗がりの中を丸一日歩きづめだったリプレにとって、ここでの休息はあるいは千金に値するものだった。どちらを取るかと聞かれたら間違いなくお金の方なのだが。
 夢見るルビーについての情報が世にもたらされて十年。探索に挑んだあまたの盗賊達は、ルビーを持ち帰ることこそ叶わなかったが、その副産物としてこの泉を見出した。史上類を見ない、聖水の湧き出る泉。それは憩いの場として、あるいは探索失敗の残念賞として、盗賊や商人達にささやかな潤いを与えている。
 どこからか懇々と沸き出でる聖水。リプレは泉の淵に手を掛け、そっと手を差し入れた。心地よい冷たさにしばらく浸ったあと、バッグから数本の竹筒を取り出す。
「ビット、あんたも詰めて」
「へいへい」
 とくとくとく。軽快な音を立てて筒の中が聖水で満たされる。実のところルビーは見つかればラッキーという程度で、リプレとしてはこれが本来の目的なのだった。ハイリスク、ハイリターンは商人たるリプレの本道とは違うものだ。その辺り、盗賊との決定的な意識の違いとでも言うべきなのか。
 聖水は本来ガラスの瓶に入れられるが、旅中に用いる容器として、リプレは容易に壊れる陶器よりもこの竹筒を愛用していた。原材料は取れるところなら無料で手に入るし、加工も簡単だ。ただし、このままで売りに出すのは難しいが。
 計八本を満杯にしたところで、おもむろにビットが口を開く。
「思ったんだけどさ、聖水って、普通の水を僧侶が清めてるんだよな」
「そうよ」
 水にニフラムの呪文を掛けて聖性に満たす。ただそれだけで聖水は完成する。教会の主要な収入源である。
「じゃあここの聖水って、なんなんだ?」
「そんなの知るわけないでしょ」
「そりゃそうだけどさ、不思議だと思わないか? なんかそういう原因とかあるはずじゃん」
 いぶかしげなビットに、リプレは少し関心したように言った。
「ふうん、結構良いとこ突いてるのかもね。ただの水が聖水になった理由かぁ……」
(ひょっとしたらそれが夢見るルビーの謎を解き明かす鍵に……なるわけないか)
 胸中で苦笑して、冷たい地面に背を乗せた。とにかく今は休みたい。ビットに一応の見張りを頼むと、リプレはすぐさま浅い眠りについた。



 それぞれに仮眠と軽い食事を取って、再出発。地図がようやく八割方埋まろうかというところで、二人はある物を発見した。
「ほーら、やっぱりあったじゃん!」
 喜び勇んで胸を張るビットを横目に、リプレは目の前の宝箱(・・)を凝視する。
 長方形の上に半分に割った円柱を乗せた、宝箱と聞いて誰もが想像するスタンダードなものだ。それが通路の脇、岩の陰にぽつんと存在していた。
(怪しい。怪しすぎ)
 ここはただの天然洞窟であり、過去遺跡だったり盗賊の住処だったりした事跡は無い。そもそも既に隅から隅まで調べつくされているはずなのに、こんな所に手付かずの宝箱など放置されているわけがないのだ。
 しかしだからと言って見過ごすことも出来ない。
「ビット、ちょっと調べるから、構うんじゃないわよ」
「わかってるって」
 念のため釘を刺して、リプレはカバンをごそごそとあさった。程なく目当てのアイテムを取り出す。
 それは眼鏡だった。鋭利な三角形のフレームの、一見何の変哲もない眼鏡。しかしその実はれっきとした魔道具である。
 リプレはそれを掛け、つるに軽く手を添えると、キーとなる言葉を囁いた。
『示せ』
 それに応じ、リプレの目に、眼鏡越しに黒い霧のようなものが映る。宝箱の隙間からかすかに漏れ出でるようなそれは、高密度の邪気だった。普通、一種の超感覚でしか認識できない聖性や邪気を視認するための魔法、インパスの呪文がこの眼鏡には込められている。それにより悪意の込められた仕掛け――トラップなどを識別することができるのだ。
 陰照(インテリ)眼鏡と名付けた、リプレオリジナル(・・・・・・・・)の魔道具である。
「うん、やっぱり罠ね。すんごい邪気。多分擬態(ミミック)系の魔物じゃないかしら」
 その言葉にビットは露骨な落胆を見せる。
「なんだよ期待させやがって……このっ!」
 ガンッ。八つ当たり気味に宝箱を蹴り飛ばす。と、意外に軽かったそれは後方の壁にぶち当たり、ぱっくりとその口を開けた。
「あ」
「え?」
 二つの間の抜けた声を合図に、箱は唐突に飛び上がると、文字通り口をぱっくりと開けて見せた。本来宝箱の縁である場所にびっしりと鋭い牙を生やし、箱の中から嘲るような両目と巨大な舌をぬるりと出す。
 擬態系の魔物、人喰い箱だった。
「こ……の……馬鹿あああああ!!!」
 リプレの罵声を皮切りに、二人は脱兎の如く駆け出した。その後を人喰い箱が、形態からは想像もつかないスピードで追いかけてくる。
「馬鹿莫迦バカばかああああっ! なんだってトラップだって解っててそれにひっかからなきゃならないのよおおおっ!!!」
 涙すら浮かべて叫ぶリプレに、ビットは後頭を掻きながら、
「いやー、まさかあんなことになるとは予想も」
「しろっ!!!」
 リプレは腰から魔道士の杖を引き抜いた。このまま逃げ続けるのは現実的じゃない。全力で走りながら、リプレは背後の敵をうかがい、
「リプレッ!」
 唐突に横から手を引かれ、つんのめる。抗議の声は、次の瞬間足元にかぶりついてきた魔物によって掻き消された。人喰い箱が身を起き上がらせた後には、硬い地面がざっくりと抉り取られている。あと一瞬遅ければ、そうなっていたのは自分の方だっただろう。
『跳べ!』
 その隙を逃さず、リプレは杖を振るった。炎がうなりを上げて、人喰い箱を後方へと吹き飛ばす。しかしその表面にはせいぜい焦げ目が付いた程度だった。
「駄目! やっぱり通じないわ!」
 人喰い箱は物理攻撃も魔法攻撃も効きにくいという厄介な魔物だった。唯一の弱点は内部、宝箱の中であるが、
「このっ!」
 弱点を狙ったビットのナイフは、魔物の長い舌によって弾かれる。あの魔物は知能も高い。遠隔から攻撃しても通じないのは目に見えていた。
「くそっ、こうなったら……!」
 彼は胸元からナイフと、中指くらいの大きさの筒を取り出す。それを見たリプレは血相を変えた。
「馬鹿――やめ」
「っだあ!」
 制止も聞かず、ビットはナイフを放つ。そのコンマ数秒差で、
『弾けろ!』
 リプレが魔法の玉を改良、小型化した指向性爆薬――魔法の筒をキーワードと共に投げ放った。
 人喰い箱は飛来したナイフを舌ではじく。が、時間差で投げられたそれ(・・)には対処できず、慌てて口を閉じるも爆弾を内に閉じ込めただけだった。
 ビットはその機を逃さず、チェーンクロスで人喰い箱を絡めると、
「くたばり、やがれっ!」
 岩壁に向けて思い切り叩きつけた。
 瞬間、洞窟内を白光が満たす。
「―――!!!」

 リプレの悲鳴は、洞窟を揺るがす轟音に掻き消された。



 もうもうと立ち込める砂煙の中、リプレは恐る恐る身を起こした。爆音によるものか耳がよく聞こえず、頭もぼーっとしている。
 朦朧とした頭を振り、リプレは前方――爆心地の方に目を向けるが、砂の幕に遮られ何も見えない。
「ビット! 無事!?」
 よろよろと立ち上がりながら、相棒の姿を探す。徐々に晴れてくる粉塵の先に、見慣れた人影は見つけ出せなかった。
「ビット! ビット〜!」
「……お〜い」
 二度目の歓呼に応えた声は後から。勢いよく振り向いたその先には、上下逆さまになって壁によりかかるビットが手を振っていた。ほっと安堵の息をついて――次の瞬間リプレは怒りを爆発させる。
「あんたねえ! 洞窟内で魔法の筒使うなんて何考えてんの!?」
「あ、あの場合は仕方ないだろ?」
 たじろきながら、ビットは体を起き上がらせた。爆心に近かったためだろう、全身埃まみれで、体のあちこちに擦り傷が見られる。
「オレは直接攻撃でダメージ与えられるほど腕力無いしさ、だからとっさの判断で……」
「それにしたって他にいくらでも方法があるでしょ。下手したら落盤起こしてたかもしれないのよ! そ・れ・に! 魔法の筒を一個作るのに、一体いくらかかると思ってるのよ!?」
「えーっと……五百くらい?」
「倍! 千よ! せんごおるど! それだけあれば一ヶ月は生活できるっていうのに!」
 一月で千という計算はかなり切り詰めての金額ではあるが、それは言わないでおく。
「まあまあ、過ぎたこと言っても仕方ないだろ」
「あんたが言うなっ! 少しは反省しなさい、反省!」
「してるって」
「してないっ! だいたいあんたは……」
 さらに追いすがろうとしたとき、何かが崩れ落ちるような音が言葉を遮った。はっとしてリプレは背後、爆心地に視線を戻す。そこには――
「あ、あああああああっ!!!」
 悲鳴か歓声か分からない叫び。爆発が起きた場所、ビットが人喰い箱を叩きつけた岩壁に大きな風穴が開いていた。
 慌てて駆け寄る二人。穴を覗き込むと、どうやら先に通路が抜けているようだ。あらためて壁面を観察するが、落盤か何かで埋まったような形跡は無い。まるで何者かが故意にこの通路を埋め立ててしまったように。
 何であろう、探し求めていた地図に無い道である。
「う、嘘みたいだけど……」
「もしかしてこの先に、ルビーが?」
 喜ぶよりも唖然として、二人は隠蔽されていた通路を見つめる。偶然に偶然が重なっての、ほとんど奇跡に近い発見。確かにこれなら今まで誰も見つけられなかったのにも納得がいくし、他の可能性など考えられない。
「と、とにかく、行ってみましょ」
 うながして、恐る恐る中に踏み入った。外観を見る限り、通路はやはり自然にできたものらしい。とすれば元々あった場所を誰かが、何らかの目的で、隠したということになる。
(何か、陰謀を感じるけど……)
 しかし今はそんなことはどうでもいい。これは千載一遇のチャンスだ。十年間、誰も見つけることのできなかった秘宝が、偶然とはいえ、手に入れられるかもしれないのだ。
 次第に湧き上がってくる興奮を抑えながら、リプレは足を急がせた。しばらくして唐突に、ただっぴろい空間に出る。
「うっわー」
 目の前の光景に感嘆するビット。視界いっぱいに巨大な地底湖が広がっていた。リプレはぴんときた。これはきっと聖水の源泉だろう。陰照メガネを使う必要もなく、湖面から眩いばかりの聖性が発せられている。
 そして湖の(ほとり)、ごく浅い水の中にそれ(・・)はあった。リプレはごくっと息を呑むと、水面にそっと手を挿し入れ、恐る恐る、つかみ取る。
「これ、が……」
「夢見る……ルビー、なのか……?」
 夢見るルビー。エルフ族の女王が代々所持すると言われる宝石。それは純化された血のように紅く、燦然たる太陽の如き煌きを放つ――。目の前のそれは、その評に恥じないものだった。
 ルビーと言っても普通のものとは違い、その形状は六角柱。筒状になったそれの上面と底面に金の装飾が施されている。紅く煌めくその宝石は、思わず目を覆いたくなるほどの輝きを放ちながら、しかしいつまでも見つめていたくなる美しさをかもし出していた。ただのルビーなど、これと並べたら青天の下のろうそくと言っていいだろう。
「まちがいない……間違いないわ! これは、夢にまで見た夢見るルビーよ!」
 自分でもよくわからないことを言って、リプレは驚喜した。それを見てビットも上ずった声を上げる。
「うわオレ今すっげー感動してる」
「当たり前よ! だってだって、十万ゴールドよ!」
「ああ、これでオレも、ついに、ゲイルさんに認めてもらえるんだ!」
「十万あったらまず青錬鋼(ブルーメタル)を買い付けるでしょ……あっ、どうせなら新しく工房を建てようかしら」
「独り立ちして三年……オレも今日から大盗賊と呼ばれるのかぁ」
「水晶も買いだめしておくとして、ダーマから腕の立つ魔法使い雇って一気に魔道具製作進めてやるわ」
「へへへへへ」
「うふふふふ」
 二人して、端から見たらこの上なく怪しいであろう笑みを浮かべる。しかし最高に高揚したリプレの精神は、ありもしない人目など歯牙にもかけない。
 感慨にふけることしばし。ふとリプレは、目の前の湖がなぜ聖水となったのかさとった。水中につかった夢見るルビーの帯びる聖性が、永い時をかけて湖全体に広がったのだ。ビットの勘はあながち的外れでもなかったのである。
「なあなあリプレ、オレにも触らせてくれよ」
「いいけど、絶っ対に傷つけないでよ」
 興奮冷めやらぬビットに、手中のルビーをそっと手渡す。彼は子供のように好奇心をあらわにして、ルビーを様々な角度から眺め回す。さらには何を思ったか、カンテラをかかげ、その灯りをルビーに照らして透かし見た。
 次の瞬間、ビットは顔面を引きつらせたかと思うと、まったく唐突に後へと倒れた。ガシャン、という音はカンテラの落ちた音だ。彼はルビーを手にしたまま、仰向けでしたたかに地面に倒れこむ。
「び、ビット?」
 思わぬことに事態を把握できないリプレ。慌てて彼のもとに駆け寄る。
「ビット、ねえちょっと、大丈夫?」
「は……はあがら……」
 よく解らない言葉を口にする彼に、リプレは慄然とする。見た限り体が痙攣(けいれん)しているだけで、さしあたっての生命の危険はなさそうだが、まったく原因不明の事態にただただうろたえることしか出来ない。
 原因――。ビットはルビーを覗き見た直後にこうなった。ならばそれが原因であると考えるべきなのだろう。リプレは恐る恐る、ビットの手からルビーを引き剥がす。
 と、
「!」
 リプレは物音を聞きつけ、反射的に魔道師の杖を抜いた。杖先を背後の暗がりに構えたまま、神経を研ぎ澄ます。静寂とした洞窟に響くそれは、次第に大きくなってくる。これは――
(靴音……それも複数?)
 直感は正鵠を射た。暗闇から姿を現したのは四人の男女。一見して冒険者と分かる、武装した旅装束である。
 その内の一人、自分より二、三ほど年上であろうかと言う少年がこちらに歩み寄ってきた。乱雑に伸ばされた黒髪に、黒目。見かけだけならかなりの美少年と呼べそうだが、しかし冷厳な瞳と無表情さが、単純に優男とは称せない鋭さを放っている。
(遠くから鑑賞するのはいいけど、付き合いたくはないタイプね)
 第一印象で、リプレは少年をそう評した。
 少年は無言のまま、リプレの二、三歩手前で立ち止まる。
「誰?」
 彼が口を開く直前を狙って、リプレは機先を制した。少年は気分を害した風もなく、淡々とそれに答える。
「その左手のもの(・・・・・)に用がある」
 よく通る声で告げられた言葉に、リプレは薄ら寒いものすら感じた。怜悧な、しかし断固とした意志を感じさせる声音。
「夢見る……ルビー!?」
 驚きをあらわに駆け寄ってきたのは四人の中で唯一の女性――少女だ。暗い洞窟に青空が現れたような鮮やかなロングヘアーに、それこそルビーのごとき紅の双眸。線の細い優しそうな、およそこんな場所には似つかわしくない少女だが、それはリプレも同じだ。
(男女両方に好かれそうなタイプかしら)
 第一印象で、リプレは少女をそう評した。
 ともあれ、どうやらこの四人は同じ穴のムジナらしい。そう判断して、左手に握るそれをさっと背後に隠す。
「残念でしたー。これは私達が度重なる苦難の末にようやく手にしたの。渡すわけにはいかないわね」
 言葉に多分の棘を含んだつもりだったが、少年は何らの反応も示さない。代わりにこんなことを言ってきた。
「あったのはルビーだけか?」
「え……」
 不可解な問いにこちらが首を傾げるのに、少年はつかつかと歩みだして、ぎょっとするリプレの脇を抜け、湖の畔に立った。遅れて少女もその後を追う。気付けば残りの二人も目の前まで来ていた。囲まれてしまった――しかしそれほど危機感が湧き上がらないのは、この四人から敵意らしきものを一切感じないからであろうか。
「シズ様、ビンがありました」
 少女の声に少年が振り向く。どうやら少年はシズという名らしい。様付けということはどこかの貴族の息子と従者のような関係なのだろうか。そんなことを思いながら、リプレは少女の方へ目を向ける。
 先ほどはルビーに気をとられて気付かなかったが、確かにビンだ。それには二通の手紙らしきものが入っていたようで、少女はそれぞれ取り出し、宛名を口にする。
「『親愛なる父へ――リエロ・ハールステット』。もう一通は……やっぱり、『愛するお母様、そして皆さんへ――アン・スプライテス』となっています」
「遺書、か」
 少女から受け取った手紙を、少年はちらっと一瞥してすぐ返した。彼の面に変化は見られなかったが、
「くだらない……」
 吐き捨てるようなそのセリフが、妙にリプレの印象に残った。
 と、
「ひ……ひうれえええ……」
「あ、忘れてた」
 突然の闖入者に、隣で痙攣するビットのことをすっかり失念していた。それに、シズなる人物はビットのことを一瞥して、呟く。
「ルビーの光にやられたか」
 その一言に、リプレは夢見るルビーについて思い出した。ひとたびその輝きを目にすれば、あまりの美しさに体が痺れてしまう――。あれは比喩ではなく、そのまま体が痙攣してしまうという意味だったのか!
 少年はビットの脇でかがむと、彼の手首を取り、また指で(まぶた)を開いて覗き見たり、何やらてきぱきとし始める。どうやらビットの症状を確認しているようだが……、
「視覚からの影響ではないな……ルビーの光は人間を麻痺させるとは聞いていたが、ふむ、これはむしろ精神的なショック症状だ。アリア」
「はい。お役に立てますか?」
「ああ、キアリクで充分だろう」
「解りました」
 短く言葉を交わして、少女――アリアは目を閉じて仰向けのビットに手をかざす。麻痺解除の魔法、「キアリク」と唱えると、両手からビットの全身に、淡いグリーンの光が広がった。光が消えた時、それまで引きつっていた顔面がすっと緩むと、少年は惰眠から覚めるようにのっそりと体を起こす。
「ん……あ〜、う?」
 彼は自らの状況がつかめていないのか、半目でしばしぼーっとしていたが、やがて立ち上がり体を解きほぐし始める。どうやら黒髪少年の言葉通り、ただの麻痺であったようだ。
「うんっ……あー、死ぬかと思った」
「大げさねー。たかだか痺れたくらいで」
「お前なー、少しくらい心配してくれたっていいだろ?」
 こっちの気も知らないで、と内心リプレは腹が立ったが、ここで声を荒らげるのも妙な誤解を招きそうなのでやめておく。と、
「あの、大丈夫ですか?」
 先ほどの少女が心配そうに声をかけてきた。それにビットはあからさまな動揺を見せる。
「え? あ、はい。えっとその、おかげさまで」
 早口でどもりながらの返答。それに、
「良かった」
 ぱっと花が咲いたような、どんな極悪人でも胸の内があったかくなってしまうような笑顔を浮かべた。これが演技だったら名役者ね、と少々嫌なことを考えながら、横目でちらりと相棒の(つら)を見やる。
 想像通り、リプレの横には顔面を茹で上がらせた男の姿。そのマヌケ顔に思いっきり右手の杖を打ちつけてやる。
 ごん。鈍い音がしてビットはうつ伏せに倒れた。殴ったのは別にうわついた理由じゃない。単純にむかついたのだ、とリプレは胸中で自己弁護しておく。
 「いきなりなにするんだよ!」という憤慨を聞き流して、リプレはビットを引っつかみそのまますたすたと歩き出した。しかし眼前は既に、先ほどの少年が立ち塞いでいる。
「どいてくれない」
「夢見るルビーを渡してほしい」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。何が悲しくて苦労して見つけたお宝をほいほい赤の他人に渡さなきゃならないわけ?」
 ギロリと睨むが、少年にはやはりどこ吹く風のようだ。人形に話しかけているようで気味が悪い。ますます顔をしかめるリプレの横から、ビットがあっけらかんと言った。
「でもリプレさあ、一応助けてもらったんだぜ」
「それはあんただけでしょ。何よ。だいたいビット、ゲイルさんに認めてもらいたいんじゃなかったの?」
 そのためにずっと旅を続けてきたのではないのか。問いにビットは頑として首を横に振る。
「いや、『借りは必ず返せ、貸しは作って逃げろ』がゲイルさんの口癖だったからな。借り逃げなんてしたら認められるどころかぶん殴られるよ」
「黙ってればいいことでしょ!」
「駄目だ。オレは六年前に嘘は付かないと誓ったからな」
「あんたの薄っぺらい誓いなんて知るかっ!」
 ビットへひとしきり罵声を浴びせたところで、その掛け合いを淡々と見つめていたシーザは、やはり何事もなかったように口を開く。
「それには多くの人命が懸かっている。頼む、ルビーを渡してくれ」
 そんな口上に騙されるか――そう口にしようとして、少年の思いのほか真剣な視線に封じられてしまう。だが、それでも、こんな大物をみすみす見逃すなど出来るはずもない。
「ノー、よ」
 両手で×印を作っての明確な拒絶。
「そうか。なら、仕方ない」
 シャンッ。鞘走りと共に少年の右手に剣が現れる。あまりにも自然に抜き放たれたそれに、リプレは身構えることすら出来なかった。
 向けられた切っ先に戦慄するリプレ。そこに、横手から二人の男が、少年に制止をかけてくる。
「シーザ、いくらなんでもそれは酷いだろう」
 短く刈った赤髪にがっしりとした肉体を鎧で固めた、熟練の戦士といった風貌。年齢は三十前後くらいか。引き締まった顔つき、物腰から、厳格さがありありと感じ取れる。
「そうだぜ。こ〜んなか弱い少女に剣突きつけて脅すなんて、紳士のやることじゃあないな」
 対照的にもう一人はどこか軽い口調だ。すらっとした長身に金髪碧眼という、美形を絵に描いたような男。束ねて胸元にたらしている長髪は、間違いなくこまめに手入れをしているのだろう、女の自分が思わず羨んでしまうほど綺麗だった。
(赤髪の人は、付き合うのは疲れるけど、いざ結ばれたら優しくしてくれそうなタイプ。金髪の彼は恋人にはいいけど、伴侶にはしたくないタイプってかんじね)
 この状況にもリプレのどこか冷静な部分が、彼らの第一印象をそう評価した。
 仲間二人の言葉にもシズ――シーザは眉一つ動かさない。
「女王にルビーを返すこと、それが俺達の至上目的のはずだ。それに元々ルビーはエルフ族のもの、ためらう理由などない」
「やらせねえよ」
 そう言ってシーザとリプレの間を遮ったのは、いつになく真剣なビットの後姿。
「リプレは口うるさくって生意気な女だけどな、オレの大事な相棒(パートナー)だ。指一本触れさせねえ」
 ここは本来なら感動すべき場面なのかもしれないが、くさいセリフに頬を染めるような感傷も余裕もリプレは持ち合わせていなかった。何より今の状況はまずい。明らかに旅慣れた三人の冒険者に取り囲まれ、退路は完全に断たれている。何かこれを打破する術はないか――思索を巡らせたリプレの視線が、シーザの額にある(サークレット)を捉えた。
(あれはっ!)
 その瞬間、リプレの脳裏に天啓のごとき閃きが走った。この場を最高の結末で乗り切るための手段は、もうこれしかない。確信を胸に抱いてリプレは、シーザと火花を散らすビットのさらに前に出ると、堂々と言い放った。
「わかったわ。但し! 相応の代価を払ってもらいましょうか。アリアハンの勇者様ご一行なら、そのくらい簡単よね?」
 にんまりと笑って切り札を突きつける。動揺を期待していたわけではないが、やはり少年は平坦な顔で刃を収めた。若干不安はあったが、どうやら相手は本物の勇者らしい。
「いくらだ?」
「そうねー、これだけの一品なら、捨て値でも二十万はするわよね」
 さらっとふっかけてみせる。金は取れるところから取る、というのは商人の基本だ。国家に財布を支えられた勇者一行なら、このくらいなんとでもなるだろうと見てのことである。
「あれ? 確か十――」
 ごすっ。
「まあ二十万を持ち歩いてるとも思えないから、直接アリアハンの方で代金引換させてもらってもいいわよ」
 余計なことを口走りかけたビットを黙らせて、リプレは満面の営業スマイルを浮かべた。
「話にならないな。そんな大金は出せないし、俺達はルビーを即座に持ち帰らねばならない」
「そんなこと言っても、こっちだって慈善事業でやってるわけじゃないんだからね。それじゃあ……特別に五パーセントオフってことで」
「一万だ」
「ちょっ……冗談でしょ!? これはホントの話、夢見るルビーは捨て値で売っても十万はするんだってば!」
「つまりさっきのはぼった(・・・)わけだな」
「う……。で、でも一万なんて酷すぎるわ! せめて九万!」
「一万だ」
「こっちだって生活がかかってるのよ! ええい、大負けに負けて八万でどう!」
「一万だ」
「信じられない! こっちがこれだけ譲歩してるってのに、あんた本当に人間!?」
「一万だ」
「七万!」
「一万だ」
「五万! これ以上は譲れないわ!」
「一万だ」
「嘘でしょ? こんな可愛い女の子が必死でお願いしてるのにっ。この外道! 鬼畜! サディスト!」
「………」
「ね? そのくらい勇者のあなたなら何ともないでしょ? それに自分のお金じゃないんだし」
「自分の金ではないからこそだ」
「あっそうそれはお偉い心がけねー。わかったわ、私ももう疲れた。お互いこれ以上時間を掛けても浪費にしかならないし、三万五千で手を打ちましょ」
「一万だ」
「あのね、交渉っていうのは意見をすり合わせて、互いにもっとも納得が行く地点に軟着陸させるものなのよ? 意地を張るだけじゃ駄目なの。わかる?」
「一万だ」
「っ……! 分かったわよ、どうしても意見を変えないってわけね。あなたみたいに頑固な人は初めてだわ。聞き方を変えましょう、最大いくらまでなら出してくれるの?」
「一万だ」
 ぱんっ。
「せめて一万五千……」
 両手を合わせて懇願するリプレに、シーザはようやく首肯した。
「いいだろう」
 にやりともせずに肩の荷物から皮袋を取り出すと、中から何枚かの金貨を取り出した後、袋ごとこちらに放ってくる。慌てて受け止めたそれのずっしりとした重量感に、リプレは思わず口元をにやけさせた。即座に中身を確認したあと、シーザの眼前にルビーを突きつける。
「これは貸しだからね、アリアハンの勇者君!」
「………」
 叩きつけるように放ったルビーを、少年は危なげなく受け止める。そうして彼は要は済んだとばかりにあっさりと背を向け、仲間を集めると、
「リレミト」
 唱えた呪文に四人の周囲を白光が包んだかと思うと、次の瞬間その姿は完全に消失していた。空間転移呪文であるリレミトで洞窟の外まで脱出したのだろう。やれやれとリプレは大きく溜息を吐いた。
「なんだったんだ、あいつら?」
「さっきの会話聞いてなかったの? あれが噂の、アリアハンからの魔王討伐隊でしょ」
「えっ、あの無愛想なのがオルテガの息子!?」
「みたいね」
「イメージしてたのとは全然違うなぁ」
「英雄の子供だとか勇者だとかなんて、人を見るのに何の参考にもならないわよ」
「そりゃそうだけど……。あっ、じゃあさっきの女の人も魔王討伐隊なのか!?」
「じゃないの? 従者か何かかもしれないけど」
「あんな可憐な人がそんな過酷な旅をしてるなんて……」
「人間、腹の中じゃ何を考えてるかなんて解らないわよ。外見に惑わされないことね」
「そうだよなあ」
「……なんでそこでこっちを見るのよ」
 何やら納得顔でうなずくビットを半眼で睨みやる。
「でもまあ、とにかく無駄足にならずに済んで良かったわ」
 両手でしっかりとつかむ皮袋の感触にほくそえむ。それにビットは意外そうな顔をして、
「あれ? ご機嫌だな。てっきり値切られまくって落ち込んでると思ってたんだけど」
「そうでもないわよ。勇者君が一万と言い出した時点で、そのくらいになることは覚悟してたもの」
 あれは交渉でもなんでもない。そもそも立場が対等な上での取引じゃないのだ。こっちが売らないと言えば相手が実力行使に出る恐れもある。リプレとしては相手の言い値に合わせるしかなかったのである。
 それを伝えると、予想通りビットは怪訝そうな顔をした。
「じゃあ何であんなに言い争ったんだ?」
「ばっかね〜、そんなの決まってるじゃない。少しでも値段を引き上げるためよ」
 にっこりと笑って、リプレ。
「本当は三万前後までは引き上げるつもりだったけど、相手もなかなかのつわものだわね」
 それにビットはげんなりした顔をして呟いた。
「女って怖い……」
 聞かなかったことにして、リプレはあらためて勇者一行四人を思いやる。偶然に偶然が重なっての邂逅。これは果たしてただのすれ違いだろうか? それとも大きな運命の輪の一端なのだろうか?
(なーんて、馬鹿げてるわね)
 自嘲気味に笑って、リプレは一万五千の使い道を考え始めた。




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