五章 邂逅する戦場

―核心の確信―

 ロマリア王城の一室に、長机を囲って五人の人間が居た。いずれも王宮において高い地位、役職を占める者ばかりだ。その中でも最高位、ロマリア大臣であるクリストフが、上座から厳格な声を上げた。
「現状の報告を」
 端的すぎる言葉に、しかし怪訝な顔をする者はいない。何の現状報告なのか、それが解らない人間はこの場にいない。
 クリストフを除いた四人の文官は、口々に議論を始めた。
「軍の編成は八割方終了しております。早ければ十日以内にも整うかと」
「訓練の方はいかがか?」
「抜かり無く。この一年で入念に対―――を想定した戦闘訓練を積ませた。何の問題も無い」
「だが、相手はあの化け物どもだ。今の戦力で本当に対抗できるのか?」
「何を仰る。所詮―――など魔法を使うしか能のない下賤どもよ。我がロマリア騎士団の敵ではないわ」
「確かに奴らの魔法は脅威ではある。そのために魔封じの杖を大量に買い付けたのだろう。今更臆する理由がどこにある」
「あれは大層な出費だった。これで実用に至らなければ、我々の責任問題になりかねん」
「それについては解決済みだ。カンダタがボンクラ貴族どもから奪い取ってくれた財宝は、あの出費を補うに余りある」
「新王の勝手で幾分か減じたが」
「取り戻したのもまた彼らだ。それに返還した財宝もあくまで一部、たいした損失ではないよ」
「カンダタの討伐を彼らに任せたのは良策だった。こちらは一兵の犠牲無く、威信を回復することができたのだから」
「だがあの少年は切れすぎる。この時期に王に据えたのは明らかな失策だ」
「あの状況では、大臣殿も決定を覆すことはできまいよ。疑いを深めるだけだ」
「旧王にそんな頭があるとは思えないが」
「あの勇者の方は油断ならない。事実、我らの動きに勘付いている節がある」
「新王とて全容までは探れまいよ。民衆への情報操作は完璧だ。兵士や城の人間にも厳重な緘口令を布いている。たかだか十六の子供にこれ以上踏み込めるものか」
「勇者はアリアハンと直結している。あの国に事実を知られるのは面白くない」
「ふん、あんな辺境の国に何ができる?」
「アリアハンの国力などたかが知れているが、あの国はイシスと、そしてイシスはエジンベアとの繋がりが深い。下手な真似はできんよ」
「よもや臆病風に吹かれたか? 小娘の治める国や愚昧族どもの国、そんなものに恐れをなしてどうする。どうせ攻め入れば遅かれ早かれ知れることだ」
「攻める前に知れるのと、攻めた後に知れるのではまったく違う。この計画に失敗は許されんのだぞ」
「その通りだ。―――どもを皆殺しにするためには、作戦を速やかに遂行しなければならない。それさえ上手くいけば、後の情報操作はどうにでもなる」
「ともあれ、実行が速いに越したことは無い」
「最終通告はどのタイミングで?」
「新王の任期が過ぎてからだろう。あれが上に居座っている間は、うかつに動けん」
「どうせあと七日だ。計画に支障は無い」
「勇者の処置は?」
「邪魔ではあるが、暗殺は物理的にも社会的にも難しい。なに、王座から引き摺り下ろせばもう何もできんさ」
「勇者に関しては、現在の動きの方が問題だ。何やらこそこそと探りを入れてきている」
「監視は付けているのだろう」
「否、付けていないのだ」
「なんだと! それでは小僧の動きが把握できんではないか!」
「落ち着かれよ。何分、奴はどんな密偵の気配をも瞬時に見抜く。到底見張りを付けることなどできないのだ」
「ちっ……腐ってもオルテガの息子ということか。忌々しい」
「あの一族こそ人外の怪物ではあるまいか」
「今はそれについて論じても仕方ない。新王の方には、無駄に仕事を押し付けて動きを封じればそれで済むだろう」
「ふむ、こんなところか。大臣殿、いかが致しましょうか?」
 議論が終りにさしかかり、それまで黙して聞いていた大臣が再び重い口を開く。
「宜しい。最終通告は王権返還の四日後だ。勇者の措置については任せる」
 会議をまとめる簡潔な一言で、闇に交わされた言葉は一点に収束する。四人は揃って「そのように」と答え、諸々に席を立った。
 文官らが去った後、クリストフは独り手を組み合わせ、虚空を睨み、呟やいた。
「―――どもを根絶やしにする。それが人の、………のためなのだ」
 昏く、冷たい瞳をたたえたまま、自身に言い聞かせるように。


     ×××××


 喧騒の飛び交う酒場の一角に、興奮したような声が上がった。
「いやぁ、まさかあの有名な『紅翼(くよく)』とこうして酒を飲むことができるなんて、夢にも思いませんでしたよ」
 まだ若い男の言葉に、グラフトは苦笑を浮かべた。
 ロマリア城下にあるそれなりに繁盛した酒場。城からは離れているため、王宮兵士よりも労働者や冒険者などが出入りするようなこの場所で、グラフトは酒を飲んでいた。同じテーブルにいるのは一人の王宮騎士、ロマリア騎士団との交流をする間に親しくなった男の一人だった。
(紅翼……か、久しぶりに聞いたな)
 誰が始めに言い出したのかは知らないが、冒険者の間ではそれなりに知られた名だった。十年も戦士をやっていれば、実力さえあればある程度名も広まる。だからグラフトとしては特別その名に愛着があるわけでも、ましてや誇っているわけでもない。
 ただ、まだ年若い青年に尊信の念を込めて呼ばれるのは、何とも気恥ずかしかった。
「私は、そんなにたいそうな人間じゃない」
「何を仰います! 『紅翼』のグラフトと言えば現冒険者の中で十指に入る実力者だって……あ、自分は冒険者出身なんですけど、とにかくそう言われてるじゃないですか」
 熱を込め、力説する若者にグラフトは苦笑を返すことしかできない。
(俺がその十指に入る実力者だというのなら、シーザは一体なんだというのだ)
 自分はシーザと、いざ真向から真剣勝負した時、勝てる気がしない。
 既に何度も剣を交え、僅かな癖も互いに見抜くことが出来る。単純な戦闘力だけを言えば、まだグラフトはシーザに勝っていると自負していたが、しかし戦いはそれだけでは決まらない。
 シーザは絶対的な戦闘センスの持ち主だ。瞬間の判断力。とっさの機転。勘。それらが並外れて優れているのである。まるで戦うために生まれてきたかのようだ。
 それに常々劣等感を覚えていた。が、今はそれに抗しようとする前向きな意識がグラフトの中で芽生えている。シーザを脅威という高みに置かず、その存在を認めた上でそれに匹敵しようと切磋琢磨する姿勢。それを築くことが出来たのは仲間の少女、アリアの諭しのおかげだ。
 しばらく談笑を続けた後、グラフトはさりげなく本題に入った。
「そういえば、近頃軍内の動きが慌しいようだが、何かあったのか?」
 なるべく不自然にならないよう努めたつもりだったが、青年は虚を突かれたように口をつぐむ。しばし逡巡する様子を見せた後、彼はテーブルに身を乗り出して、
「……ここだけの話なんですけど、実は最近訓練の様子が変なんですよ」
 周囲をさっと見回し、こちらに誰も注視していないのを確認すると、青年は聞こえるか聞こえないかの声で(ささや)いた。
「自分はここの騎士団に入って四年になるんですが、二年前……ちょうど今の大臣が就任したくらいの頃から、異様に訓練が厳しくなったんです。それまでは、ここの国風っていうのか、気が抜けるほど軽いものだったんですけど……。しかも内容が普通じゃないんですよ」
「普通じゃない、とは?」
「訓練が厳しくなったのは、きっと氾濫する魔物に対抗するためだと、自分を含めた大部分の兵士は思ってたんです。けど、何ていうのか……仮想とする敵が魔法を扱う相手ばかりなんですよ」
 グラフトは眉をひそめた。普通、魔物に対抗するために対魔法の訓練は重点的にはしない。野性の魔物で魔法を扱うものはごくごく一部だからだ。つまりは、魔物以外を対象にした訓練ということになる。
「対魔法使いの訓練ばかりなんです。しかも大規模の魔法部隊を対象にした。先月には部隊総出での演習までやってますし、それについて上に聞いても知らぬ存ぜずですし。自分達のような下っ端には教えられないってわけですよ。嫌になりますね……」
 後半は愚痴に変わり始めるのを聞き流しながら、グラフトは思考を巡らせた。
 相手が魔物ではないということは自然、人間を対象にしていると考えられる。しかし現在の世界情勢で、他国に攻め入ることができる国があるだろうか? 世界に名だたる軍事大国であるネクロゴンドがあっさりと滅亡し、世界中に魔物が氾濫する今、各国は自国の防衛で手一杯だ。仮に侵攻し首尾良く滅ぼせたとて、戦で疲弊した国は魔物の格好の餌食となりかねない。
 加えてロマリアには、歴史上も取り立てて敵対するような国は見当たらない。世界暦以前には、国土拡張のためにかなり強引な支配を強いていたというが、それも何百年も昔の話だ。
 では、敵は何か。
「あ、今の話、自分が喋ったことは内緒にしておいてくださいね。上から色々と厳しいこと言われてるんで」
 厳しいどころか、発覚すれば厳罰は免れないだろうに。まるきり不安感の無い青年の言葉に、グラフトは内心苦笑しながら肯いた。


     ×××××


「君はまるで、朝露に濡れた白百合のようだ。慎ましく、淑やかで、それでいて瑞々しい」
 窓から差し入る西日を、自慢の金髪が鮮やかに照り返す。夕焼けに彩られた一室で、イクスは甘く囁いた。
「今日は僕にとって人生最高の日だ。こうして君の笑顔に出逢えたのだから」
「まあ、お上手ね」
 目の前の女性、マリーの頬が赤いのは、決して夕日のせいだけではないだろう。自己陶酔をするつもりは無いが、イクスは自分の容姿に自信を持っている。艶のある黄金の髪、水晶のように透き通った碧眼、誰もが振り返らずにはいられない美貌。そんな男に優しく微笑まれて、頬を染めずにいられる女性などいない。
(あ、まあ、アリアちゃんにはさらりと微笑み返されちゃったけどね)
 ふと、妹のように慕っている少女のことを思い出し、若干の罪悪感にさいなまれる。彼女が今の自分の行動を見たら、驚くだろうか。それとも何ら衒い無く、祝福してくれるのだろうか。それとも……軽蔑されるだろうか。
「マリー、君は城では何の仕事をしているんだい?」
 そんな思惑を強引に打ち切って、イクスは最高の笑みで語りかけた。マリーは面白がるように口元に手をやって、
「ふふっ、そんなことを聞いてどうするつもり?」
「僕は君のことなら何でも知りたいのさ」
 返した言葉に彼女は満足げに肯くと、鳶色のショートを右手で掻き上げながら言った。
「大臣付の侍女よ。もちろん私の他にも何人か居るんだけど」
 知っている。だからこそイクスは今ここに居るのだ。
 シーザに頼まれた、大臣とその周辺の情報収集。そのためにイクスは大臣に関わりの深い人間――その中でも主に女性――と交流を深めてきた。といっても半分は自分の楽しみだ。毎日何人もの女性の下へ通い詰め、隙あらば口説いて回っている。
 今もこうして大臣の側仕えであることを見越して、彼女を人気(ひとけ)の無い一室に連れ込んだのだが、イクスはそんな様子はおくびにも出さない。
「へえ、驚いたな。ということは君は、侍女の中でも一流なんだね」
「どうかしら」
「大臣と言えば……あんまり良い噂を聞かないな。何でも戦仕度を始めてるとか……」
 さらりと言ったそれに、彼女の眉がぴくんと跳ねたのをイクスは見逃さなかった。マリーは先程よりも若干警戒気味に、
「どこでそんな話を?」
「酒場で小耳に挟んだんだよ。ただの噂……なんだけど、君は何か知っているのかい」
「……知らないわ」
「僕に嘘を付くのはやめてくれ、マリー」
 眉を下げ、目を潤ませた悲しげな微笑。ぐっと息を詰まらせるマリー。
「駄目よ。……そんな顔しないで。上から厳しく口止めされているの。もしばれたらクビじゃ済まないわ」
「口止めされているのは戦争に関することだね。じゃあ大臣のことについて、何か知っていることはない?」
「知ってどうするの。あなた、何を考えて……」
「ちょっと勇者様に頼まれ事をされてしまってね。僕個人としては別にどうでも良いことなんだけど」
「………」
 『勇者』の単語に安心したのか、それともこちらを信用してくれたのか。僅かな逡巡の後、マリーは観念したように溜息を付いた。
「絶対に他言はしないでよ。私も人から聞いた話だから確かなことは知らないんだけど……大臣はね、十年前に息子さんを亡くされているの」
 大臣の息子。その存在はここ数日の調べで何度か耳にしているが、詳細は解っていない。声を潜めるマリーの言葉に、イクスは耳をそばだてた。
「その息子さんを産んだ時に奥さんも亡くなられていたから、格別に可愛がっていたらしいわ。だから、それを境に大臣が変わってしまったって、古株の先輩が言っていた」
 そうして彼女は、とうとうと詳細を語った。それほど長い話でもなかったが、今までに無い新しい情報だ。これが真実であるなら、大臣の目的は――
「――さあ、もう良いでしょう。ご満足されました?」
 ムードを壊されたからだろう、不満げに皮肉を言うマリー。それにイクスはすぐさま頭を切り替える。
「まさか。大臣の話なんて、君と合うための口実さ」
 そう言って、彼女のあごを優しく持ち上げた。
「僕の楽しみはこれからだよ」


     ×××××


 日がとっぷりと暮れ、ロマリア城内は暗闇に満たされていた。通路には火も焚かれておらず、窓から差し入る月明かりだけを頼りに、アリアは暗がりの中を恐る恐る歩む。
 一歩、一歩、また一歩。時折左右を見回しながら、広く、長い通路を覚束ない足取りで闇に分け入っていく。
(ここは……どこかしら)
 完全に迷っていた。
 毎日黙っていても食事が出てくる生活に慣れなくて、ここ十日間ほど、城の給仕場で手伝いをさせてもらっていた。そして今日はたまたまいつもとは違う部署を任されたのだが、帰り道が解らなくなってしまったのだ。
 ロマリア城はとにかく広い。おまけに通路の造りが似たり寄ったりだから、一度道を間違えれば難解な迷路に早変わりだ。時刻が遅いこともあって、誰かに道を尋ねることもできない。
(確か、給仕場から上へ三階……だったはずなんだけど)
 考え事をしながら歩いていたためか、すっかり道を間違えてしまったようだ。もはや目的の階が上なのか下にあるのかすら判然としない。
 このままでは埒が明かない。仕方なくアリアは一旦給仕場まで戻ることにしたのだが、
(階段は……どこだったっけ)
 八方塞がりだった。
 途方に暮れるアリアの行く手で、扉を開く音がする。続いて現れる複数の人影。助かった。顔を輝かせてそちらに駆け寄るアリアは、それらの人物を見てはたと足を止める。
 向かいから歩いてきたのはロマリア王国大臣、クリストフ・ハールステットと四人の文官らしき人物だった。シーザが不穏の元凶と名指ししていた人物の登場に、思わず息を呑む。大臣らは立ちすくむアリアに興味も無さげに、一瞥もくれることなく通り過ぎていく。
 その瞬間、
「―――!」
 アリアの全身を、ぞっとするような寒気が襲った。口に汚物を流し込まれたような、絶対的な不快感。込み上げてくる吐き気に口元を押さえながら、アリアは震える体でその集団を凝視する。
(これは、邪気! それも物凄く強い……!)
 並みの魔物とは比較にならないほどの邪気。大臣らとすれ違った一瞬、アリアの鋭敏な感覚がそれを捉えた。
(誰? 大臣……違う。あの四人の誰か……)
 大臣の後ろに従う文官。邪気はあの四人の誰かから発せられた。今はもう何も感じないが、間違い無い。
 激しい動悸に胸元を押さえ、乾いた喉に唾を流し込む。通路の隅で硬直していたアリアは、やがて五人が通路の影に消えると、思わず壁に寄りかかった。
「何をしている」
「!!!」
 心臓が跳ね上がり、アリアは思わず跳び上がった。叫び声を上げそうになってとっさに自分の口を押さえる。
 恐る恐る振り向いたその先には、
「し……ズ、様」
 暗闇に溶け込むように、しかし強烈な存在感を放つ少年。その姿を見てアリアは緊張の糸が切れ、へなへなと床に座り込んでしまう。
「なぜお前がここに居る。それもこんな時間に」
 問いに、アリアは口をぱくぱくさせるだけで言葉を発することができない。そんな様子を怪訝に思ったのか、シーザは屈んでアリアと目線を合わせた。
「何があった」
 真正面から向けられる真剣な瞳。顔の近さにアリアは別の意味で緊張してしまう。
 ふとアリアは、シーザの目に朱がはしっているのに気が付いた。ここ最近、突然王としての仕事が忙しくなったらしく、おまけに夜は呪文の訓練までやっているから、ほとんど眠っていないのだろう。シーザは、大臣らの注意を自分に引き付けることでその分グラフトやイクスが動きやすくなると言っていたのだが、
(また、無理をされているのね……)
 己の体を労わってくれないことが、そしてそのことに、自分が何もすることが出来ないことが、アリアには悲しかった。
 一つの深呼吸の後、アリアは気持ちを整えて、先ほどの出来事をとつとつと語る。
 話し終えた時、シーザの両目が僅かに細められた。しかし一瞬後にはそれも消え失せ、彼はすっくと立ち上がり、アリアを助け起こしてくれる。
「とりあえず、部屋に戻ろう」
 そういって足早に進むシーザの背中を、アリアは慌てて追いかけた。


     ×××××


 揃って部屋に帰ったシーザとアリアは、待っていたグラフト、イクスと円卓を囲み、それぞれ収集した情報を交わした。一時間近く経過して、シーザは今までに集めた情報から一つの結論を導き出す。
「これまでの情報から、ロマリアが戦争を起こそうとしているのはまず間違いない。そしてその目標は――」
 三人の視線が集まる中、シーザは断言した。
「エルフだ」
 この地上には人間の他に、知性と文化を持った幾つかの種族が存在する。
 エルフ。優れた知性と温和な精神性を持ち、争いを嫌う種族と言われている。大半が森で生活をしており、そこから出てくることも少ないために他の種族との交流は薄い。また人間に比べて格段に寿命が長く、伝説には五百を数える者すら存在するという話だ。しかしそれに反比例して種族の絶対数は少ない。
「ロマリアは時代背景からしても、エルフに対する差別意識が強い。二百年以上前の世界平和会議でエルフ族保護法が制定されてからは、表立っての迫害は少なくなったはずだが……、一般市民はともかく王侯貴族連中の頭は未だ凝り固まっているようだ」
 特に王侯貴族という奴は、婚姻も仲間内で行うために思想の変化というものに乏しい。閉塞的かつ保守的。幾百という年月を数えても、それは変わらないらしい。
「エルフは優れた魔力を持つ種族だ。ここ最近の訓練が対魔法訓練であるというのも、そのためだろう。加えて半年前に、アッサラーム商会へ『魔封じの杖』の大量発注が行われていたことが解っている」
「魔封じの杖?」
 グラフトが疑問符を上げる。戦士として生きてきた彼にとっては、馴染みの薄いものかもしれない。
「その名の通り、対象の魔法を封じる魔道具だ。術者の魔力集中を阻害する魔法、マホトーンが込められている」
 説明に納得した様子のグラフトを横目に、今度はアリアが遠慮がちに手を挙げた。
「あの、魔道具というのは……」
「仔細を語れば長い。魔法を道具の中に封じ込め、誰でも扱えるようにしたものと解釈してくれ。イクスの持っている理力の杖もその一つだ」
 その言葉にイクスが驚いたような声を上げる。
「なんだ、気付いてたのかよ」
「見れば解る」
「だったらもうちょい派手なリアクションしてくれよなー。『ああっ! これはあの有名な理力の杖っ!!!』とかさ」
「エルフに対する偏見は昔からあった。それが戦争という事態にまで発展したのは、二年前に大臣となったクリストフの影響が大きい」
 大仰に言うイクスを無視して、シーザは反れた話を修正する。
「イクスが調べた通り、今から十三年前、クリストフは異種族外交官をしていた。もちろん相手はエルフ族だ。その時に起こったロマリア、エルフ間のトラブル解決のため、クリストフがエルフの里に派遣された記録が残っている」
「トラブルというのは具体的にどういったものなんだ」
「きっかけは、エルフの森でロマリアの人間が死亡したというものだ。事件の全容は知れないが、ロマリアはこれをエルフの仕業と考え、エルフ族の森からの立ち退きを要求した。当然そんな要求は呑めないと、問題はこじれにこじれたようだ」
 実際、事件の解決というよりもそれにかこつけたエルフの追放という意味合いが強いだろう。事件そのものさえ、ロマリアが自作自演した可能性もある。
「そして、何年もの時間を掛けてエルフと接触する内に、なんとあるロマリアの男とエルフの女が恋に落ちてしまったわけだ。嗚呼、何と皮肉な運命かっ」
 イクスが得意の芝居がかった口上を述べた。気にせず、シーザは説明を続ける。
「クリストフの一人息子、リエロ・ハールステットと、エルフの女王の娘、アン・スプライテス。この二人が問題の最大原因といっても過言では無い」
「種族の差を越え、燃え上がる愛! しかし両者の親には当然その関係は許されず……。悲しみに枕を濡らす日々。逆境にますます加熱する二人の想い。そして二人はある決断を下した……」
「駆け落ちだ。しかしそれだけなら大した問題じゃない。厄介なのは、二人が消息を絶つと同時に、エルフ族の至宝である『夢見るルビー』が無くなったことだ」
「それはもう、エルフにとっては大変なことだった。ロマリアでいう金の冠が盗まれたのと同じくらい、彼らにとっては大切なもんだったみたいだからね。そんで、エルフの女王様は激怒して、ルビーを奪うためにリエロ君が娘に近づいたんだと思い込んじゃった。しかし大臣さんは大臣さんで、アンちゃんが息子さんを(たぶら)かして濡れ衣を着せたと考えた」
「致命的なまでに混迷した状況は、ついにエルフに実力行使をさせた。九年前、ロマリアの北、カザーブからさらに北部にある町、ノアニールに、エルフが呪いを掛けたのだ」
 温厚な種族と呼ばれるエルフ。それが町に、しかも無関係な人間に呪いを掛けるというのは、どれほどの怒りだったのか。迫害の歴史を持つエルフは、寿命が長いだけにその記憶もまだ新しい。積もり積もったものがあったのだろう。
「死を招くほどのものではないらしいが、とにかく呪いを解いてほしければルビーを返せ、というのがエルフからの通達だ。しかしルビーのことなど身に覚えの無いロマリアは、エルフとの全面対決の姿勢を固めた。そして二年前、エルフへの憎しみが成せる技か、クリストフは大臣の地位に上り詰め……今に至る、というわけだ」


     ×××××


「……厄介な問題だな」
 長い沈黙の後、グラフトが嘆声を漏らした。まったくもってその通りと、イクスは重々しく肯いて見せる。
「それで、どうするつもりだい? シーザ君」
 説明を終えて口をつぐんだシーザに向け、イクスは鋭く切り込んだ。
「この問題はさ、他国に触れ回ったところで解決するようなもんじゃないぜ。実際、エルフの方も手出ししてるわけだから、例えロマリアを抑えられてもノアニールの呪いは解けない。かといって放っておいたら人間対エルフの大戦争勃発だ。この状況を打破する策が、お前にあるのか?」
 イクスとしては、こういうお国のごたごたに関わるのはさらさら御免だった。解決が望み薄なら尚更だ。
 少年は眉一つ動かすことなく、さらりと切り返してくる。
「問題の核心、それは『夢見るルビー』がどこにあるか、だ。女王の方はどうか知らないが、エルフ族全体がこの問題に執着するのはそれがためだ。回収できればエルフの方はなんとでもなるだろう」
「それが無くなったのは十年前の話だぜ。見つかるわけねーだろ」
「探してみなければ解らない」
 頑ななシーザの言動にイクスは違和感を覚える。イクスの少年に対する印象は、怜悧冷徹で目的のためには――少年の言を借りれば、目的と手段のバランスが保たれているなら――手段を選ばない、そんな人間だったはずだ。最近はそれでも人間らしい心の動きなども発見できるようになってはきたが、今回のシーザの行動はとりわけ感情的であるように思えてくる。
「なあシーザ、お前、何でそんなにこだわるんだ?」
 イクスは訊いた。人は、そうと努力しない限り、人を理解することはできない。以前聞かされたアリアの言葉が脳裏を過ぎる。
「お前こそ、何に疑問を持っている。俺達の目的を忘れたのか?」
「魔王討伐、だろ」
「では魔王を討伐する理由はなんだ」
「理由って……」
 問われてイクスは言葉に詰まる。まだ誰にも話したことの無い、自分が魔王討伐を目指す理由。話したことが無いのは、それがあまりにもちっぽけなものだったからだ。仕方なくイクスは考えるフリをしながら、それらしい無難な答えを返す。
「世界平和?」
「世界は個人の集合だ。世界を平和にするとは、あまねく個人を救済することに他ならない。俺にそんなことはできない」
 シーザは平坦な声で、しかしどこか自嘲気味に言った。
「バラモスを倒したとて、世界が平和になるわけじゃない。個に全は変えられない。俺に出来るのはきっかけを作ることだけだ」
 感情のこもらない(おもて)、しかし少年の両眼にはこれ以上に無い、力強い光が宿っていた。今までにこんな眼を持つ人間に出会ったことがあっただろうか。イクスは突然そんなことを考えた。
「バラモスは放っておけば必ず、世界を破滅に導く。俺はそれを許容できない。だから魔王を討つ。それだけだ」
 シーザの言葉に、イクスも、グラフトも、アリアも、ただただ圧倒されて聞き入っていた。彼が垣間見せた胸の内に、イクスは自分が動揺していることに気付く。
(こいつ……こんな信念を持ってやがったのか)
 八年前に自ら魔王討伐を宣言し、そのために生きてきた少年。イクスはその話を聞いた時、周囲の状況が別の選択肢を許さなかったから、少年は仕方なくそうしたのだと思った。しかしそうではない。シーザは自分の意志で道を選んだのだ。
 そのことに強い劣等感を感じてしまい、イクスは頭を振った。
「ご高説はありがたく賜っておくけどな、それがこの問題とどう関係する?」
 内心の動揺は毛ほども見せず、平気な顔で反駁する。シーザの表情は変わらない。まるでこちらの浅はかな本心など、全てお見通しだとでもいうようだ。
「言ったはずだ。世界は個人の集合だと」
 室内に響く言葉も、イクスにはまるで東天に響く雷鳴のようにしか聞こえない。
「今、目の前で、数多くの個人が破滅しようとしている。それを阻止することが、魔王を倒すこととどれほどの違いがある? これも既に言ったことだが、俺はただ無駄に血を流させたくないだけだ」
 その言葉に、唐突にイクスは気付いた。
(無駄な血は流したくない……そういうことかよ)
 酷な環境下にて性格がひねくれてしまった、無感情な少年。そんなシーザに対するイクスの印象は、ここにきて変貌を遂げた。シーザは無感情ではあるものの、性根は決して曲がっていない。ただ思考が極めて合理的なのだ。
 バラモス討伐。世界滅亡の阻止。シーザはその目的を達成するため、どこまでも合理的に行動をしている。自分の感情を殺すことも、襲いくる魔物や人を殺すことも、逆に殺し合いを止めることも、全てはそのために必要があることなのだ。
 ある意味純粋。ある意味一途。そしてある意味狂気とも取れるその行動原理。
(グラフトの気持ちも解っちまうな……。こいつには、どうやっても敵いそうに無い)
 背負うものの重さも。それに見合う意志の強さも。背負ったものを投げ出してしまった自分には、到底敵いそうにない……。
「それに、だ。この問題にはもう一つ、厄介な要素がある」
 イクスの思考をよそに、シーザの言葉は続けられる。
「先程アリアが、城内で通常の魔物とは比較にならないほど、強力な邪気を感知したそうだ。それも、大臣配下の文官達の中から」
「どういうことだ」
「この問題、水面下で魔族が暗躍している可能性が高い」
 グラフトが目を見開き、アリアが身をすくませる。イクスはどこか傍観するような気持ちでそれらを眺めていた。
「魔族というのは野生で暴れる魔物とは違い、高い知性と狡猾さを持ったバラモス配下だ。しかも城に入り込んで、尚且つ強力な邪気を隠し通すことが出来るほどの存在。バラモス直属の幹部クラスであることも考えられる」
「バラモス直属の部下……そんなことが……」
「奴らは最近目立った動きは見せていないが、それは動いていないのと同義ではない。もしかしたらここ以外の国の上層部にも、いつの間にか食い込んでいる恐れもある」
 それを聞いてイクスの胸に微かな不安がよぎる。イクスはそのことを頭から締め出すと、大仰に諸手を上げて降参のポーズをとった。
「おーけーおーけー。この問題もバラモスに繋がってるって言いたいわけな。了解致しましたよ。んで、具体的にどうするんだ?」
 早く話を切り上げてしまいたい。そんな、自分でも良くわからない観念に迫られ、イクスは結論を促した。シーザは僅かに目を細めてみせた後、
「あと三日で王権返還だ。それが終わった後、ノアニールに向かう。呪いの状態を確認しておきたいし、ルビーに関する情報を集める必要もある。そこから西にあるエルフの里にも行くつもりだ」
「うんうん、それじゃあ次の舞台はノアニールに決定〜」
 陰鬱な気持ちを呑み込んで、イクスは強引に話を打ち切った。




  目次