五章 邂逅する戦場

―波乱の予兆―

 盗賊カンダタの討伐から十日が経過した。
 雄大に構えられたロマリア城を中心に、同心円状に広がる王都。十日前の式典時には群集でごった返していた街並みも、今はすっかり平穏を取り戻している。王都を南北に分かつメインストリートをアリアはゆっくりと歩いていた。
 ロマリアにて新調したルビス教の聖服に身を包み、城への帰り路を進む。穏やかな陽気の昼下がり。南中を過ぎた太陽が燦々と輝き、腰まで伸ばした空色の髪を映えさせていた。
 ルビス教は全世界で最も広く信仰されている。特に盛んなのはアリアハンや教会の総本部であるランシールだが、ここロマリアにも少なからず教会は存在している。ロマリアの城に滞在することになってから、アリアは毎日街の教会へ通っていた。それは巡礼と同時に宝珠(オーブ)に関する情報を集めるという意味合いも持つ。アリアハンとはまた違った雰囲気を持つ教会と交流することは、アリアにとってとても新鮮で、嬉しいことだった。
(平和……なんだなぁ)
 街行く人々、商店で声を上げる店主、教会の神官達。彼らと接する度、アリアはそう思わずにはいられない。
 彼らが浮かべる表情の中には、悲しみや憂い、不安の陰というものが見当たらないのだ。アリアハンの人々には、笑顔の中にもどこからしらの悲哀が見え隠れしていたものだが……、
(ここにいると、世界が魔王の恐怖にさらされてるなんて嘘みたいに思えてくるな……)
 しかしそんなはずは無い。魔物の勢力は衰えることを知らないし、現にアリアハンとサマンオサでは十数年前に実際に魔王の軍の侵攻を受けている。世界は確実に危機に晒されているのだ。例外などあるわけがない。
 だからこそ自分は、自分達はこの旅を続けている。
「今頃……シズ様はどうされているのかしら」
 目の前にそびえる王城を見上げて、アリアはぼつりとつぶやいた。


     ×××××


 ロマリア王宮のとある一室。シーザはそこに居た。
 華美な装飾の施された王の衣装に身を包む姿、それはそのまま、このロマリアという国の王であることを示していた。シーザの脇に置いてある黄金の冠も、この十日間ずっと自分の頭上を飾っているものだ。
 シーザはこのロマリアの、愚法と呼んで差し支えない法律に従い、現在ロマリアの国王の座にいる。それはロマリア王であるデーレ・モルドの頼みでもあり、シーザの目的を叶えるためでもあった。
 ここは王の執務室だ。シーザの付いた執務机の上には、五十数冊もの本がうず高く積み上げられている。これらは王宮でも一部の者しか閲覧することが許されない、貴重な文献だ。もちろん一般人であるシーザの目には本来触れることの出来ないものである。一時とはいえ王という立場にあるからこそ、許される行為だ。
(もっとも、全てとはいかなかったが)
 これらの本は王室の文献の中でも一部に過ぎない。ロマリアとは親交が深いとはいえ、流石に『アリアハンの勇者』に見られては困る文書というものもあるのだろう。シーザとしても、国家の深い内情に関わる気はさらさら無かった。調べているのはラーミアの伝説と宝珠についての情報だ。

 ルビス教の聖典にある不死鳥ラーミアの伝説。それを、暗示的な言い回しや内容をはしょって要約すると、こういうことになる。

 魔王が台頭し支配を強めたため、神々の力によってラーミアが創り出される。
 六神の力を与えられ、ラーミアは生まれる。
 ラーミアは大空を舞い、ルビスの使徒と共に、魔王へと続く道を切り開く。

 これらは数千年前に、既に記されていたものだ。
 書の示す通り現在世に魔王は現れ、支配を着々と拡げている。そしてそれに繋がる道を模索するため、『勇者』と呼ばれた自分はラーミアを求めている。
(伝説の通り……か、胡散臭い話だ)
 しかし実際、勇者の存在が世にこれだけ受け入れられたのはルビス教の聖典の影響が大きい。世界的に広まっているルビスの教えにある、魔王とそれを滅ぼす救世主についての記述。魔王が現実に台頭した今、救世主の(ロール)を勇者に任ぜられるのは自然の流れと言える。
 ならば勇者とはルビスの使徒、神の加護を受けた者だというのか。そう思って、シーザは内心苦笑する。およそ神に手を合わせたことの無いこの自分が。
 シーザは神の存在を否定も肯定もしていなかった。存在の確証を得られない以上、いると言い張ることも、いないと決め付けることもしない。それに神がいようといまいと、自分のすることは変わらない。
 即ち、魔王バラモスの殺害。
 しかしそれに、人類救済などという大層な大儀は含まれていない。殺し合いに正義を掲げるつもりはない。ただ、バラモスの行為を甘受できない、それだけだった。
「………」
 シーザは黒の両眼を本に向けながら、右手ですばやくページをめくる。一秒に一ページの速度だ。目で捉えた情報は、一部の狂いも無くシーザの頭脳へ記録されていく。今までに幾万という本を読んだが、その一冊一冊をシーザは一字も余さず記憶していた。本だけではない。今迄の十六年という人生を、自分は細部に渡って語ることが出来る。
 生まれついての驚異的な能力。それは『勇者』という立場に収まることにより如何なくその力を発揮している。
 そして自然の成り行きとして、常識を超越したこの力に、幾度と無く非難や嫉妬を向けられた。輪から阻害されたことも、身を裂くような言葉を投げられたことも、シーザは完璧に記憶していた。
(唯一忘れたものといえば……感情くらいか。いや、失ったというべきか)
 しかしそれも、今は取るに足らないことだ。この旅に役立つのなら、自分は何だって投げ出してやる。そうシーザは決意した。八歳の時に。
 やがて読み終えた本を、ぱたんという音と共に閉じる。これで数百あった文献は完全に読み終えたことになる。シーザは改めて、今までに集めた情報の整理を始めた。

 伝説にある六つのオーブ。それらはラーミアに力を与えた、六つの神にそれぞれ対応している。

 太陽神ラー   = レッドオーブ
 地母神ガイア  = グリーンオーブ
 海神ネプトゥス = パープルオーブ
 風神ハヌマーン = イエローオーブ
 雷神バール   = シルバーオーブ
 精霊神ルビス  = ブルーオーブ

 六色のオーブは、それぞれの教会のシンボルカラーでもある。ルビス教なら、青地に聖十字の描かれた僧服。バール教なら黒地に銀糸の紋様が描かれたもの、という具合だ。

 これまでの調査から、オーブはそれに対応する神の信仰が特に盛んな場所にある、もしくはあった可能性が高い。歴史的背景や信仰者の数などから判断して、おおまかに六ヶ所の目標地が立てられる。

 太陽神ラー   = レッドオーブ  = イシス
 地母神ガイア  = グリーンオーブ = サマンオサ
 海神ネプトゥス = パープルオーブ = ポルトガ
 風神ハヌマーン = イエローオーブ = アッサラーム
 雷神バール   = シルバーオーブ = ネクロゴンド
 精霊神ルビス  = ブルーオーブ  = ランシール

 さらにこの中で、明確にオーブに関する記述の残っている地域が三ヶ所。

 イシス。砂漠の真っ只中に存在するその国では、世界的に最もラーへの信仰が盛んで、オーブも代々、神器としてイシス王家に伝えられているらしい。
 アッサラーム。二百年近く前に起きた政権の崩壊以降、商都として栄えているこの街。商業の神でもあるハヌマーンの信仰が最も盛んだと言われているが、肝心のオーブは政権崩壊と共にマーケットへ流出してしまったらしい。
 ランシール。ルビス教の総本山として知られるランシール神殿に、かのオーブが何千年もの昔から納められているらしい。アリアハンの司祭に直接聞いた話だから、信憑性は高い。
 サマンオサ、ポルトガに関しては情報が少なく、実際に行ってみないと判断がつかない。問題なのは、
(ネクロゴンド……もしもシルバーオーブがそこにあるなら、この計画は頓挫することになる)
 宝箱の中にそれを開けるための鍵があるようなものだ。ネクロゴンドに行くためにオーブを集めているのに、当のオーブがそこにあるなら手の出しようが無い。
(雲を掴むような話だとは思っていたが……唯一の手がかりすら危ういとはな)
 だがこれも仕方が無い。望み薄だろうが何だろうが、可能性がある限り進む。自分に出来ることはそれだけだ。
(まずは宝珠の実物を手に入れたい。ルートから考えて、まずはアッサラーム経由でイシスへ向かうべきか……)
 コンコン。
 思案に耽っていると、執務室の扉をノックされる。「失礼いたします」という言葉と共に、入ってきたのは王宮兵士だった。彼は一礼して、
「陛下、お時間です」
「解った」
 短く答え、シーザは再び重苦しい冠を手に取った。



「……以上が、シャンパーニの塔から押収した盗品の全てです」
 シーザの目の前に数々の金銀財宝が広がる。
 これらは全て、カンダタが数年間の活動で盗み出した品々だ。純金製の甲冑。装飾された儀式剣。床一面に並べられた色とりどりの宝石類。山と積まれた金貨。美術、骨董品。用途の知れない魔道具らしきもの……。
「これで、全部か?」
「はい。塔の隅々まで探索しましたので間違いありません」
 即答する兵士に、シーザは眉をひそめる。
(足りない……)
 シーザは塔で一度宝物庫の中身を見ていたため、それらを完全に記憶していた。その記憶と目の前の光景には、若干の食い違いがある。
(宝石類が三、四十個……それに魔道具らしき杖が三本足りない)
 塔にて捕らえたカンダタ一味はカザーブに駐留しているロマリア兵に引き渡し、ロマリアまで連行する手はずになっている。だが中には戦闘の最中に逃げ出した者も何人かいた。そいつらが盗み出したのだろうか。それとも火事場泥棒が持っていったのか……。
 思案するシーザの耳に兵士の報告が続く。
「持ち主の照会は現在五割まで終了しておりますが……何分、所有者が殺害されているものもありまして、進行はあまり芳しくありません」
 カンダタの犯行は残虐非道だった。貴族の館に侵入して住人を皆殺しにし、金目の物を根こそぎ奪っていったこともあったというほどだ。人的被害も多大なものだろう。
「可能な限り照会を続けてくれ。最終的に判別できない物は、カンダタからの被害に遭った者や遺族、死者への供養に……」
「なりません」
 横手から響いた声に、シーザは僅かに目を細めた。
 現れたのはこのロマリア王国大臣。
 齢五十を越えるというその男。彫りの深い顔つきに引き締まった体躯。厳格な物腰は、この国の正式な国王とは比較にならないほど威圧感があった。
「クリストフ」
 呼ばれた男は静かに歩み寄ってきた。シーザはそれに正面から相対する。
 クリストフ・ハールステット。実質、ロマリアの全権を握る男。
 彼はシーザの視線をかわすように体の向きを変えると、突然の闖入者に戸惑っている兵士に向かって告げた。
「不明の物品は全て国庫へ入れろ」
「はっ……ですが……」
 王と大臣。二つの立場から全く違う命令を受けた兵士は、困ったように二人の顔を見比べる。
 普通の国であれば、王の判断が優先されるのだろう。しかしこの国は違った。
「……構わない。そう計らってくれ」
 シーザが言うのに、兵士は「はっ」と威勢良く返した。
 そう、この国は王よりも大臣の意見が優先されるのだ。国を実質大臣が取り仕切っているからこそ、王の一時的な交代などという暴挙もまかり通る。
 実際シーザが国王に就任してやったことと言えば、謁見への応対や貴族らとの会食程度だ。内政に関わる部分にはほとんど触れてもいない。もっともそれはシーザにとっても望むところではあったが。
 ロマリアの王とはいわば国の顔だ。だから国の頭脳である大臣には逆らえない。今、シーザの頭上にある冠と同じ、(かざ)りだけの存在。
(俺と同じだな)
 シーザは内心で自嘲気味に呟いた。飾りの王を演じる飾りの勇者。皮肉としか言いようが無い。
「それと、捕らえた二十九人の盗賊の処分はいかが致しましょうか?」
 兵士の言葉に、クリストフはこともなげに言った。
「全員処刑しろ」
「なんだと」
 思いがけない指示に、シーザは弾かれたように大臣に目を向ける。
「カンダタ一味の犯行は残虐非道。死刑にしてもありあまるくらいです」
「中には死罪になるまでの罪を犯していない者もいる。皆殺しなど、やりすぎだ」
 淡々とした口調で語られる冷酷な指示に、こちらも淡々と反論した。鉄面皮な二人の、表面上は落ち着いたやりとり。場に緊迫した空気が流れるのに、クリストフは僅かの動揺も見せず、
「見せしめです。特に最近、国内で賊の活動が活発になっています。それらを牽制するためにも、必要な措置です」
「だが」
「陛下」
 威圧的な口調でクリストフはシーザの言葉を止める。
「貴方は確かに王だ。だがこの国のルールには従っていただく」
 鋭い眼光で見据えてくる。そう言われてはこちらの打つ手は無い。
「……解った」
 シーザは不承不承ながら肯く。それを聞き届けた兵士は、緊張に耐えられなくなったのか、足早に去っていった。
「では、私もこれにて」
 兵士が部屋から出て行ったのを見て、クリストフは用は済んだとばかり、扉へと足を向ける。
 その背中に、
「クリストフ」
 呼び止められて、男はゆっくりと振り返る。
「何か」
 平坦な表情。冷たい瞳。どこか酷似した二人の睨み合い。
「最近、軍の動きが活発なようだが、どういうつもりだ?」
 それはシーザが王になったこの十日間で感じたことだった。この平和ボケした国風に反し、ロマリア軍は不穏な動きを見せている。まるで戦支度のように、だ。魔物が氾濫する世とはいえ、楽観視できるものではなかった。
 問いに大臣は無表情できびすを返し、
「貴方には関係の無いことです」
 それだけ告げて、今度こそ去っていった。


    ×××××


 陽が落ち、窓の向こうが黒で塗りつぶされる。新月の今日は普段に増して闇が濃かったが、室内は上等なランプによって昼間と遜色ないほど照らされている。普段利用する安宿ではこうはいかないだろう。
 その部屋に、まるで明るさに負けまいとでもするようにことさらに陽気な声が響いた。
「第四十五回! イクスお兄さんの“スライムにも解る”魔法概論講座〜♪」
 ぱちぱちぱちぱち……
 目の前の青年が自分で自分に拍手を送る様を見て、グラフトは嘆息をもらす。

 シーザがロマリア王に就任して十日。その間は当然、魔王討伐の旅を続けられるはずもなく、グラフト、イクス、アリアの三人は客人としてロマリア城の一室をあてがわれていた。流石に王城ということで、最高級の部類に入るであろう客室。食事も三食豪勢なものが振舞われる。しかしグラフトとしてはただ落ち着かないだけで、それらを堪能することは到底出来なかった。
 それは隣に座る少女、アリアも同じようだ。元々僧侶としての質素倹約の習慣に慣れている彼女にとっても、この贅沢な生活には些かの戸惑いを覚えているに違いない。
 対して目の前の青年、金髪碧眼の魔法使いはそれにすっかり順応し、悠々自適の生活をおくっている。要領が良いというか、得な性格だ。

 部屋にはグラフトとアリア、そしてイクスの三人だけだ。普段通り夕食を終えた三人は、イクスの呼びかけでこうして同じ部屋に集められた。そして全員が椅子に座るなりの第一声が、それだった。
 グラフトの漏らした嘆息を気にする様子も無く、イクスはこちらの反応を楽しむようににやにや笑っている。横目でアリアを見やれば、彼女はどこかおどおどと落ちつかない様子だった。まるで『解らなかったらどうしよう』とでもいった風だ。
「……その“スライムにも解る”というのはなんなんだ?」
「あ、気にすんな。ただの宣伝文句だから」
 アリアが横でほっと息をついたのが聞こえた。
 誰に宣伝をするんだと思いつつも、口には出さなかった。グラフトとしてはとにかく話を進めたい。
「それで、その魔法講座とやらに俺が呼ばれる理由が思いつかないが」
 堅い口調で冷たく告げる。ここ数日、忙しいシーザに代わりイクスがアリアに魔法の訓練を施していたのは知っている。しかしなぜそれに自分が、魔法のことなどさっぱり解らない自分が呼び出されなければならないのか。
 問いにイクスは「よくぞ聞いてくれましたっ」と、いやにテンションの高い反応を見せた。
「実はな、この魔法概論講座も四十五回……まではいってねーんだけど、とにかくおおまかな所までは終了したわけよ。んで、せっかくだから今までの講義の内容をちゃんと理解してるか、テストしようと思ってね」
「それで何故俺が呼ばれるんだ」
「まーまー最後まで聞けよ。それで、アリアちゃんがどれだけ理解しているかを確かめるには、実際に誰かに説明してみるのが一番だろ? つーわけで、魔法のことはナメクジの触覚ほども解らないグラフトお兄さんに参上してもらったわけ」
「なるほど。後半の言い回しは気に入らないが、おおむね理解した」
 確かにそういう事情なら、事前知識がほとんどない人間の方が適任だ。それに、魔法については多少なりとも勉強しなければとは痛感していた。いい機会と言えるかもしれない。
「よーし、そんじゃーアリアちゃんよろしく!」
「は、はい。頑張りますっ」
 僅かな緊張を見せながら、アリアは真剣な口調で語り始めた。

 魔法とは、『魔力』というエネルギーを用いて発動する力のことで、肉体を媒介する『理力』と違い、精神を媒介して作用します。理力と魔力は、それぞれまったく別のエネルギーだという説もあれば、根源は同じだという説もあって、どちらが正しいのかははっきりしていません。
 魔法の発動には三つのプロセスが必要です。
 第一に、精神の集中。これは精神エネルギーである魔力を源とするからで、精神が乱れていては魔法を扱うことはできません。

 肉体が疲労していたら理力が扱えないのと同じか。グラフトはふむと肯いた。

 第二に、魔力の集中。魔法には多量の魔力を消耗するため、自らが保持する魔力を一点に集中しなければ効果は発揮されません。魔法を扱うときに、どれだけの魔力が集中されたかで魔法の威力も決まります。

「シーザなんかは精神集中と魔力集中が異常に速いのな。その代わり、あんまり魔力を集中してないから威力は低いけど」
 イクスが言葉を挟む。
 確かにシーザの魔法発動は、素人目から見てもイクスやアリアと比べて格段に速かった。会話の最中に放ったこともあるほどだ。それもシーザが特別ということか。

 第三に、呪文。『メラ』や『ホイミ』というキーワードを口にすることで、初めて魔法は発動します。これらの言葉は古代に使われた言語で、一説には竜族が扱っていたものだと言われています。
 例えば『メラ』は現代の言葉で『火』。『ホイミ』は『癒し』ですね。そのまま魔法の効果を表す場合が多いみたいです。

「なぜ古代の言葉が魔法に関係するのだ? 他の言葉では駄目なのか?」
 グラフトは疑問をそのまま口にしてみた。それにアリアは首をひねり「何でなんでしょうか」と問いをイクスにまわす。彼は苦笑を浮かべて、
「これも判然とはしないんだけどな。魔法はそもそも竜の力を根源としてて、その力を借りるために竜言語を使わなければならないとか色んな説があるんだけど、この辺りはまだまだ研究途上」
 そう言ってイクスはアリアに続きを促した。

 魔法を扱うということは、手や足を動かすことと同じで人間にとって自然な動作だと言われています。人は本能的に呪文を扱う術を知っていて、後はその方法を体で覚えること。それが魔法の習得の手段となります。
 具体的には、書物などで魔法の効果を調べたり、実際に目で見たりして、その魔法がどのように発現されるのかを理解し、それを頭の中で明確にイメージする、という練習をします。そのイメージ訓練が本能を揺り動かして、ごく自然的にその魔法の発動手順を身に付ける、というものです。

「知性の低い魔物の中にも魔法を使う奴がいるけど、そーいうのは本能でやってるんだな」
 説明の要所要所でイクスが解説を入れてくる。案外この男、教えるのが上手いのかもしれない。

 魔法はさらに、『聖性(ディアラ)』と『邪気(ダトニ)』という二つの要素の影響を受けます。
 『聖性』とは人間の正の感情。嬉しさ。楽しさ。喜び。慈しみ。正義感。愛情。それらの感情を抱いた時、その人の聖性は強くなります。
 『邪気』とは人間の負の感情。怨み。妬み。悲しみ。愚痴。偽り。悪意。そんな感情が邪気を強めることになります。

「聖性? 邪気? なんだそれは」
 聞きなれない単語にグラフトは疑問符を浮かべる。
「う〜ん、要は人格を構成する要素……みたいなもんかな? 例えば聖人だったら聖性が強くて、逆に極悪人は邪気が強い、って感じ。魔物とかになると人間の比じゃないくらい邪気が強いんだ。賢者ナジミの結界なんかはその辺を利用して、邪気が一定以上強い奴を弾くっていう仕組みなんだよ」
「ふむ……という事は、ネクロゴンドに張られているという結界も?」
「調べたわけじゃねえけど、多分基本は一緒だろ。邪気が一定以上強い奴だけが通れる、みたいな」
 それに、グラフトはふと思いついた。
「だとすれば、邪気さえ強ければ人間でも通ることはできるのではないか?」
「魔物並みの邪気を持つ人間……か。確かに理論上は可能かもしれないけど、そんな奴がいるとは思えねーな。例えばカンダタとかでも、この辺にいる魔物に比べたら全然邪気は低いほうだし」
 もしかしたらと思ったが、どうやら無理らしい。
 会話が終わったのを見計らい、アリアは言葉を続けた。

 聖性、邪気の影響が最も強いのは僧侶が得意とする回復魔法などです。私が使う、ホイミやバギの魔法がそうです。バギなどは風を巻き起こすだけの魔法のように見えますけど、風に聖性をまとわせているので、邪気の強い魔物にとっては大きなダメージとなります。

「アリアちゃんはさ、聖性が桁外れに強いんだよね。だからホイミとか使っても回復力が普通人と比較にならない。逆にシーザは聖性が弱いな。やっぱり回復魔法が苦手みたいだし」
 意外だった。何でもそつなくこなす少年にも、苦手な分野はあったのか。
「その強い弱いというのはどうやって解るんだ?」
「んー第六感かな。魔法を使ってると自然に身につくもんだけど、個人差もあるし。感受性が強いとそれだけ聖性や邪気の感知力も高いらしいけど……アリアちゃんなんか結構敏感なんじゃない?」
「あっ、はい。そうみたいです。アリアハンの教会でも、魔法を教わったときにそう言われました」
 少し頬を赤らめて、アリア。
「そこへ行くと、シーザなんかはさっぱり感じないね。聖性も邪気もぜーんぜん」
 感情に左右されるものならば、常に無感情なシーザから感じないというのは無理からぬことかもしれない。
 イクスは皮肉げな笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「だいたいあいつは愛想ってもんが無いんだよなー。いっつも事務的なことばっか言いやがって、色気がねぇったら。もうちょい若者らしい熱意が欲しいもんだ」
「そいつは悪かったな」
 部屋に響いた第四の声に、イクスは椅子ごと引っくり返った。
「シズ様?」
 アリアの呼び声に応えるかのように、絶妙のタイミングで部屋のドアが開かれた。
「よ……よお。お疲れさん」
 イクスが倒れた姿勢のまま、扉の向こう――シーザに向かって片手を上げた。彼はそれに無反応のまま黙って空いた椅子に掛ける。そのままおもむろに言った。
「アリア」
「はい。なんですか?」
「イクスの言った通り、お前は聖性が強い。恐らく聖性だけなら賢者ナジミも超えるレベルだ」
 その言葉にグラフトは驚いた。強いとは言っても、まさか賢者を超えるほどだとは想像もしていない。それはアリアも同じだったらしく、両目を丸くしている。
「え、え、そ……そうなんですか?」
 戸惑いの言葉にシーザは肯き、言葉を繋ぐ。
「それはお前にとって強力な武器になる。アリア。ニフラムという呪文を知っているか」
「アリアハンで、司祭様が使っておられるのを見たことはあります」
「ニフラムは使用者の聖性をそのまま対象にぶつける呪文だ。術者の聖性が強いほど相手の邪気を減殺することが出来る。人間にとっては無害なものだが、邪気によって存在を保っている魔物に対しては絶大な威力を発揮する。加えて魔力の強弱に威力が左右されないから、習得さえすれば賢者以上に扱えるようになるだろう」
 そこで一拍置いて、シーザは改めてアリアを見据えた。
「どうだ、覚えてみる気はあるか?」
 問いに含まれるのは、単にこの魔法を覚えるかというそれだけではない。魔物に対して効果的な魔法を習得するということは、とどのつまり魔物の命を奪う術を磨くということだ。
 アリアもそのことは理解したようで、ごくりと息を呑む。が、
「それがこの旅の助けになるのなら、ぜひお願いします」
 淀み無い口調で返された言葉に、シーザは満足したように肯いた。
「解った。明日からでも始めよう」
「明日からって、王様の仕事はいいのかよ」
 椅子を起こして座りなおしたイクスが横槍を入れる。
「夜ならば問題無いだろう。お前にニフラムが教えられるとは思えないからな」
「むかつく言い方だな〜おい。ま、確かに知らねーんだけど」
 イクスが渋面を浮かべるのに構わず、次にシーザはこちらの方へ向いてくる。
「グラフト。軍の動きはどうだ」
「相変わらずだ。多くの兵士から話を聞いてみたが、ここ二年くらい前から軍の訓練が相当厳しいものになっているらしい。先月には大規模な演習も行ったそうだ」
 五日前、グラフトはシーザからある頼みごとを受けた。『ロマリア上層部が不審な動きを見せている。軍の様子を逐次知らせて欲しい』というものだ。
 それからグラフトは毎日、訓練もかねてロマリア騎士団の方へ顔を出し、交流や模擬戦などを行っていた。客人とはいえそんなことが出来たのは現国王であるシーザの計らいだ。
「どーいうことだ? まさか戦争でもおっぱじめようってのか?」
 半信半疑といった表情のイクスに、シーザはかぶりを振る。
「まだ解らない。だが、何らかの予兆であることは間違い無い」
「予兆……」
 アリアが不安げにその言葉を繰り返す。顔を曇らせる三人に対して、シーザの表情は相変わらず平坦なものだ。
「イクス、お前にも調べて欲しいことがある」
「あ? 何をだよ」
 唐突な切り出しに、イクスは怪訝そうに首をかしげた。シーザは淡々として言葉を連ねる。
「ロマリア大臣クリストフ・ハールステットとその身辺、側近の動きだ」
「大臣の動き?」
「今のロマリア大臣が就任したのが二年前。軍の動きが慌しくなったのもその頃からだ。ロマリアの不審な動きは、どうもあの大臣を中心に起こっている。噂でも何でも良い。大臣と身辺の人間の不審な動きや情報を探ってくれ」
 それを耳にしたイクスは眉をしかめて、押しとどめるように手のひらをシーザに突き出した。
「おい待て、シーザ」
 いつにない真剣な眼差しに、シーザは落ち着き払った様子で目線を合わせる。
「まさかお国の内情に関わる気か?」
「………」
 言葉にシーザは沈黙する。
「俺達の目的は、あくまで魔王討伐だろ。だったらとっとと情報集めて、次の目的地に向かうのが筋ってもんじゃねーのか?」
 お国の内情。確かにそれに関わっていくのは、魔王討伐の目的には外れている。そもそもこの旅は悠長にしていられるものではない。イクスの言は正論だといえるだろう。
「大事の前の小事、とでも言いたいのか?」
「仮に戦争を企てていたとしてもだ、俺達に何ができる? せいぜい近隣の国に告げ口して周るくらいだろ。それが勇者の仕事だとは思えねーな」
 シーザの反駁にイクスは理路整然と返す。
 彼の言は間違っていない。確かにロマリアの不穏な動きは黙認できないかもしれないが、かといって個人にできることなど高が知れている。自分達は一刻も早く魔王を討伐しなければならないのだ。寄り道はが好ましい選択とは思えなかった。
 しかしその言葉にも、少年は揺るがなかった。
「勇者の仕事だとか、そんなことはどうでもいい。俺はただ無駄に血を流させたくないだけだ」
 確固たる意志を感じさせる言葉に、イクスは「へえ……」と感心したように呟いた。グラフトとしても、シーザの口からそんなセリフが出てくるとは予想していない。それだけに新鮮な心持だった。
「内情に関わるかどうか、それは今後の状況次第だ。グラフトとイクスは、それぞれ情報を探ってみてくれ。くれぐれも慎重に、な」
 グラフトは力強く肯き、イクスは「しょうがねえなぁ」と気だるげに返した。
「何も起こらなければ良いですね……」
 不安そうに手を組み合わせて、アリアがぽつりと呟いた。窓の外、月の無い暗黒の夜に、闇の蠢動(しゅんどう)を見た気がした。




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