四章 喰い合う獣

―心、とける―

「よっくっぞ、我が王冠を取り戻した! 褒めて遣わすぞ、勇敢なる若者達よ!」
 黄金の王冠を頭に乗せるなり、国王デーレ・モルド・ロマリアは喜びの色を満面に浮かべ、そう言った。
 カンダタから金の冠を取り返し、シャンパーニの塔からルーラで帰還。宿に一泊した翌朝、シーザらはさっそく王の下に出向いた。待ち構えていた兵に先導されながら通された謁見の間には、大臣、仕官に騎士や兵士、果ては学者や使用人など、およそ城のありとあらゆる人間がひしめいている。ロマリアへ帰還の際、イクスの提案で先に王冠奪取の連絡を入れておいたのだが――
 グラフトは横目でイクスを見やると、彼は案の定ほくそ笑んでいた。こうなることを予測していたのだろう。
「約束通り、ここにお主を勇者と認める!」
 そこで一息おいて、
「勇者シーザの誕生じゃ!」
 国王の宣言に、周囲から一斉に喝采が上がった。広間に割れんばかりの歓声が沸き、怒涛のような拍手が巻き起こる。グラフトは思わず呆気に取られてしまった。誰もがカンダタを倒した英雄達に、一様に笑みを浮かべ、賛辞を送っている。あまりの歓迎ぶりに驚くとともに、若干の呆れさえも感じる。
(この混乱の世に、何とも能天気なものだ)
 世が乱れているからとて、始終暗い顔をしているよりは、前向きに生きている方が良いに決まっている。だが、ここにいる連中には、魔王や魔物に対する潜在的な恐怖心すら感じられなかった。
 しかし考えてもみれば、無理からぬことかもしれない。魔王に攻め込まれたアリアハンとサマンオサ。魔王に滅ぼされたネクロゴンドの近隣の国ならともかく、地理的にも立場的にもそれらとはかけ離れた国というのは、今ひとつ危機感というものが感じられないのだろう。自国を賢者ナジミの結界によって守られているのだからなおさらだ。魔王による世界の混乱など、彼らにとっては対岸の火事なのだ。

 そうして、喉元に刃を突きつけられて初めて、迫っている危機を覚るのだろうか。

 思惑にふけっている間に、やがて拍手が静まり、王は玉座を立った。そうして彼は尊大にとんでもないことを言い放つ。
「勇者よ! 主はなかなかに出来る男と見た。そこでじゃ、ワシの変わりに王をやってみる気はないか?」
 思わず渋面を深める。
(滅茶苦茶だ)
 噂には聞いていたが、まさか本当にこんなことを言い出すとは。
 ロマリア王は、自分が特に気に入った者に期間限定で王の座を譲る。そんな酔狂なことが行われているのは、世界中でロマリア(ここ)だけだろう。一定期間とはいえ、民間人に王権を明け渡すなど。
 王の言葉に、脇に立つ大臣が顔色を変えた。
「陛下! 何もこんな時に……」
「なに、ほんの一月、なんなら十日程度でもかまわん。どうじゃ? こんなチャンスはもう二度と無いぞ。勇者よ」
 諫言をあっさりと流して、王は尚も言い募った。馬鹿馬鹿しさにグラフトは呆れてものも言えない。ただでさえカンダタ討伐という寄り道をさせられたのだ。この上一ヶ月もここに留まるなど、論外だ。
 だからグラフトは、次の言葉に今度こそ我が耳を疑った。
「光栄です。ありがたく引き受けさせていただきます」
 少しの逡巡もなく、シーザは当たり前のようにそう答える。
(なんだとっ……!?)
 グラフトは弾かれたように顔を上げ、正面にひざまずく少年の背を凝視した。
 王はおおいに喜ぶと、周囲からは再び喝采が巻き起こった。「さっそく準備に取り掛かれ!」という一声で、場の人間が慌しく動き始める。シーザはすぐさま王に手を引かれ、城の奥へと連れて行かれた。
(一体、何を考えているんだ!)
 グラフトは拳を固く握り締めた。



「勇者殿はこれから一時戴冠の準備に入ります」
 直立不動の兵士がそう告げるのに、グラフトはもう言葉も無い。
 あの後、城の一室に案内されたグラフト、イクス、アリアの三人は「式典の準備が整うまでこちらでおくつろぎください」という兵士の言葉を最後に、この部屋に閉じ込められた。
 おそらく城の中でも、賓客を扱うような最高級の部類に入るのではなかろうか。あらゆる調度品が絢爛に並べられたそこは、部屋の隅々に至るまでが自らのことを高級品だと主張しているが、一介の戦士であるグラフトにしてみればただ居心地が悪いだけだ。
 期間限定の国王交代。それはロマリアという国にとって、一種の祭りのようなものらしい。そうやって一時的にでも王を入れ替えることで、国政に新鮮な風を取り入れるというのがお題目らしいが、実質は日々の責務に疲れた王が僅かな期間の休暇を得るための措置だそうだ。
 それは別にいい。問題なのは、
「シーザは何を考えているんだ!」
 湧き上がる憤りを抑えきれず、グラフトは声を荒らげる。それにイクスは皮肉げな笑みを浮かべ、アリアはびくっと身をすくませる。
「さぁねぇ。やっぱアレじゃない? 偉大な勇者様も名誉欲には弱かった、と」
 イクスは豪奢な椅子に背を預け、尊大に足を組む。その仕草は妙に様になっていたが、今のグラフトにはどうでもいいことだった。
 名誉欲。そんなものであの少年が心動かされたとは思えない。しかしそもそもグラフトには、シーザの考えていることがさっぱり解らないのだ。ひょっとしたら、そういうこともあるのかもしれない。
「そんなことないと思います。きっと、何かお考えがあるんですよ」
 それに対してフォローを入れたのは、言うまでもなくアリアだった。この少女はいつだってシーザのことを信じて疑わない。それは無垢な心からくるものなのか、あるいは何かしらの確信があるのか。どちらにしろ、グラフトには理解しがたい感覚だった。
 シーザと出会ったころから今まで鬱積した『違和感』。それが今、グラフトの中で『不信感』として形作られていた。

 勝つためには手段を選ばないやりくち。
 いかな状況でも揺るがない人形のような表情。
 他人に対し見せる『勇者』の演技。
 凡夫をはるかに凌駕する天才的な能力。

 そして人を殺めることにすら抵抗が無いという、凍てついた心。

 果たしてこのまま、シーザについていっていいのか。グラフトの(まど)いは既に、この旅を続けることへの迷いにまで発展していた。
 だから、問わずにはいられなかった。
「……アリア」
「はい?」
 少女は笑顔で、ルビーのように赤い瞳を向けてくる。
「どうしてお前は、それほどまでにシーザが信じられる? あの――」
 そこで息を呑み、喉の奥から搾り出すように、
「魔物を殺すも人を殺すも同じことだと、断言できるような男を」
 シャンパーニの塔の戦いで、グラフトの不審は一気に高まった。「魔物を殺すことと人間を殺すことは同義だ」。少年の言葉は、道義的に考えて常軌を逸している。
 苦渋を含んだその問いに、少女はグラフトの予想もしていなかった答えを返した。
「それは違います」
「違う?」
「はい」
 彼女の、いささかの迷いも無い笑顔に、返す言葉を失う。
「シズ様は、人の命を魔物と同等に扱っていいと思っているんじゃありません。逆なんです」
 逆? そう返そうと口を開きかけたその時、グラフトの脳裏に一つの説が浮かび上がった。それは、つまり、
「魔物の命を、人の命と同じように思っているんです」
 その考えを裏付けるように、アリアの口から言葉が紡がれる。
「シズ様にとっては、魔物も人も同じ命なんです。だから、魔物の命を奪うことは、人の命を奪うのと同じことだと考えている」
 人を魔物と同様に扱っているのではない。魔物を人と同様に扱っているのだ。
 それは、安易には受け入れがたい考えだった。本能のままに人を襲う、人類にとっての天敵と呼ばれる魔物(モンスター)。その命を人間と同じに? 目の前の少女はともかく、あの冷徹な少年がそんな感傷を持っているなど到底信じられない。
「なぜ、そんなことが解る」
「なぜって……」
 思わず詰問口調になるこちらに気付く様子も無く、アリアは至極当然のように言った。
「訊いたからですよ」

 そうしてアリアは、シーザとの対話を語った。
 塔から帰還したその日の夜。シーザのあの発言にどうしても納得することができず、アリアはロマリアの宿、自分の割り当てられた部屋へシーザを呼び出した。
「シズ様は本当に、魔物の命を奪うことも人の命を奪うことも同じことだと、考えておられるのですか?」
 問いにシーザは表情の無いまま、しかしかすかに目を細めて、
「アリア。お前は、人の命を奪うことに抵抗を覚えるか」
 問い返してくる。もちろんアリアはすぐさまうなずいた。
「じゃあ、魔物の命を奪うことは」
 今度は少し戸惑いつつも、やはりアリアはうなずく。人も魔物も同じ命なのだから。そう答えたアリアは「あっ」と声を上げた。
「つまりは、そういうことだ。人だろうが魔物だろうが、命を奪うというその行為に相違は無い。魔物を殺すことと人を殺すこと。人間にとって、違うのは罪悪感だけだ。しかし大局的にはそれらは同じことだろう」
 それでアリアは自分の、自分達の誤解に気付いたのだ。

「私は今まで表面ばかり見ていて、シズ様が心の中では何を思いながらこの旅をしていたのか、気付くことができませんでした」
 彼女は悼むように目を閉じ、手を胸元にあてる。まるで自らの胸の痛みを抑えつけるかのように、その手を固く握り締め、

「シズ様はきっと……魔物を倒すそのたびに、人の命を奪うのと同じくらい心を痛めてきたのではないでしょうか」

(何を……言ってるんだ)
 理解できない。いや、信じられない。あのシーザが、どこまでも怜悧冷徹に戦うあのシーザが、その剣を振るうたびに心を痛めていたと?
 何の表情も浮かべないまま、次々に魔物を斬り捨てていく少年の姿を思い出す。やはり、信じられない。
 思わずイクスの方を見やると、彼は普段見せない真剣な表情でアリアの言葉に聞き入っていた。その面にはやはり、驚きと疑いの感情が浮かんでいる。
 再び開かれた瞳に悲しみを浮かべ、少女は続ける。
「だから、心を閉ざしてしまったんだと思います。悲しみを忘れるために、感情を、心を殺して」
 常に無感情なのは、心を傷つけないためだと。
 そしてそのために、心を殺したのだと。
 それはどうしようもないほどの矛盾だ。しかし同時に、バラモス討伐の旅という使命を負った少年にとって、それは必要なことだったのだろうか。心を乱さないために、心を殺す必要が。
 信じられない考え。だがなぜか、否定の言葉を見つけることができなかった。それは少女の確信めいた口調からなのだろうか。それとも純粋な憂いを映した、透明な眼差しによるものだろうか。
「アリア……お前はなぜ、シーザのことがそれだけ理解できるんだ」
 そうだ。シーザとアリアは出会ってまだ一ヶ月半。一人の人間のことを、そんな短期間にそこまで理解するなど、心を読む力でもない限りできるわけがない。
 そんなグラフトの疑問に、少女は真っ直ぐな目をこちらへ向けた。その眼差しに思いを重ねるように、アリアは言葉を紡ぎ出す。
「グラフトさん。貴方は、彼のことを理解しようとしていますか」
「――!」
 何の裏表も無い、真心からの言葉。
 だからこそ、それは真っ直ぐ、グラフトの心を貫いた。
「人は、そうと努力しない限り、人を理解することはできません。私にはグラフトさんが、シズ様に対して距離を置いて接しているように思います」
 衝撃に総身が打ち震える。静かな声音が心の奥に染み渡って、グラフトを揺さぶった。
 当たり前のことだった。アリアがシーザを理解できたのは、理解しようと努力したからなのだ。
(俺は――)
 自分は果たして、一度でもシーザを真正面から見たことがあっただろうか。
 オルテガの息子。魔王討伐隊のリーダー。世界の命運を担う勇者。そんな色眼鏡越しに、彼のことを見てはいなかっただろうか。
「もっと心を開いてあげてください。そうすればきっと、相手も心を開いてくれるはずです」
 そういって、少女は微笑む。彼女の双眸にあるのは咎めでも叱責でもない、それは純粋な祈りであり、願いだ。
(俺は、なんて矮小(わいしょう)なんだ……)
 グラフトは自らの狭量さを恥じた。先入観に縛られて、真実を見ようともしなかった今迄の自分を恥じた。
 そして目の前の、ただのおっとりとした少女と思っていた彼女に対して、ただただ恐れ入る。
 人を、何の先入観も持たずありのままに見る。言葉にすれば簡単なことだが、実際にはこれほど困難なことは無い。人は自我と知識を得れば、それらを介して外界に接するようになる。それは人間の成長過程において当たり前のことだ。そうすることで外部の情報を認識し、その価値を判別するのだから。
 そこにあるものをありのままに受け入れる。それはただの優しさではない。全てのものに向けられる愛情、博愛の心からくるものだ。高潔であり、清浄であるその信念。
 まさに、聖女だ。
「そうだな……」
 息を吐く。張り詰めていた何かが解きほぐされて、高ぶった心が緩やかに静まっていく。
 シーザに対する疑念が晴れたわけではない。しかし、自分が彼の表面ばかりを見て、核心を知ろうとしなかった。これは間違いない事実だ。
「私が悪かった。これからは……シーザのことを理解できるよう、努力しよう」
 だから自分でも驚くほどに、言葉が自然に口をついて出た。
 それに少女は、まるで自分のことのように「ありがとうございます」と、本当に嬉しそうに頭を下げる。
 いつしか心のわだかまりは、完全に消え去っていた。



 広大な王城を埋め尽くすように参列する群衆。荘厳な大広間には楽隊の奏する音色が静かに流れ、厳かな空間を作り出している。人々は沈黙し、皆一様に王と、その前にひざまずく少年を見上げる。
 王、デーレは自らの頭上に輝く黄金の冠を手に取り、そのまま少年、シーザに授けた。サークレットの代わりに金の冠をいただいた少年は、すっくと立ち上がり、優雅な動作で聴衆を振り返る。
「デーレ・モルド・ロマリアの名において、汝をロマリア王国の国王に任命する!」
 デーレの宣言に、音楽が静かなものから一転、雄々しく力強いものへと変わる。それに合わせシーザはゆっくりと、広間の中央に足を進める。周囲を取り囲む群集を割るように真っ直ぐ引かれた絨毯を、彼は一歩、一歩、力強く踏みしめる。
 シーザは普段の服装とはかけ離れた、まさしく王族の格好をしていた。極上の生地で仕立てられたであろう、緻密な紋様が描かれた貴族服に全身を包み、分厚いマントを重たげもなく(まと)う。随所に宝石をあしらった宝剣を腰に帯び、頭上には巨大な金の冠。背筋を伸ばして泰然と歩むその姿は、覇王の気風すら漂わせていた。
 やがてシーザは足を止め、楽隊の演奏も止む。民衆の声も徐々に静まり返り、大広間を静寂が支配した。
 シーザが高らかに言い放った。
「シーザ・クラウソス・ロマリア! ロマリアのため全霊を注ぐことを誓う!」
 短い、しかし力強い言葉に、群集が再び沸いた。

 戴冠式典が終わったら、すぐさま都でパレードが始まった。豪奢な馬車で王都をくまなく周り、民に新たな王の誕生を知らせる。夕方近くまで続いた宴が終わると、その後には王侯貴族の晩餐会が催された。
 グラフトらがシーザと再び会うことができたのは、その日の深夜だった。



 昼間に案内された貴賓室でシーザは待っていた。
「遅くなってすまないな」
 グラフトらが入るなり投げかけられた少年の言葉には、疲労が滲んでいる。昨日カンダタとの死闘を終えたばかりだというのに、今日は今日で朝から今まで動いていたのだ。当然のことだろう。
 少年は王の装束から冠とマント、剣を外しただけという格好だった。それでもあの黄金の冠と分厚いマントが無いだけで随分と身軽そうに見える。
「シズ様、お疲れ様です。大丈夫ですか?」
「……ああ」
 アリアが心配そうに言うのへ、少年は気だるげに返す。口調にいつもの抑揚が無いのはやはり疲れからなのだろうか。しかしグラフトには、目を伏せたままに椅子に沈み込む彼の姿に疲労以外の何かを感じた。それが何なのかは、解らなかったが。
 ともあれ、まずは真意を正さねばならない。グラフトは彼を正面から見据えた。
「シーザ。説明してもらえるんだろうな」
 意識せず、詰問口調になってしまう。シーザは気にした様子もなく、皆に「座ってくれ」と促した。
 着席が完了したのを確認し、勇者は口を開いた。
「説明というのは、なぜ俺が王の代任などという馬鹿げた依頼を引き受けたか、ということで間違いないか」
 さすがに察しがいい。グラフトはうなずいて肯定する。
「わざわざ説明するほどのことでもないんだがな。俺たちの目的を忘れたわけではないだろう」
「バラモスの討伐、だろ」
「そのためには何が必要だ」
「ラーミアを復活させるために、六つの宝珠(オーブ)を集めるんですよね?」
「では、それはどこにある?」
 その問いには、三人はすぐさま答えを返すことが出来なかった。そもそも宝珠などというものは、存在自体が伝説に近いものなのだ。それを探すとなれば、とにかく世界各地から情報を集めていくしかない。
 そこでイクスが「ああ〜」と納得の声を上げる。
「つまり宝珠を捜すために引き受けたってわけか」
「当初はカンダタ討伐の礼に、王室の文献を調べさせてもらうつもりだったんだがな。手間がはぶけた。上手くすれば、国家権力を使っての情報収集ができるかもしれない」
 それでようやくグラフトは合点がいった。
 宝珠についての情報収集は、主に聞き込みと文献の調査によって行うことになる。しかし大抵の王宮には、一般人には閲覧の許されない特別な文書というものがあるのだ。伝説上のものを探し出すとなれば、当然それらも調べなければならない。つまりこの旅には国家の協力が必要不可欠、ということになる。
 シーザが旅の進行を遅らせてまで、王の代行という依頼を受けた理由は解った。それ自体については異論は無いし、この上なく合理的な判断だろう。
 しかし、
「それは解った。だが、シーザ」
「なんだ」
「つまりカンダタ討伐の依頼を受けた段階で、既にそういう目論見を持っていたのだな?」
「ああ」
 棘のある口調にならないよう、グラフトは気を落ち着けた。冷静に、沈着に、しかし力強い声音で、
「だったらなぜ、それを我々に話さなかった」
 そう、シーザのことを真正面から見つめる。少年は虚を突かれたように、目をしばたかせる。
 何を伝えればいいのか、正直なところ、解らない。シーザと真向から向かい合う。そう心に決めても、いざとなると上手い言葉が見つからない。グラフトは生来、口下手なのだ。それに人の心というのは、変えようと思ってすぐさま変えられるものではない。
 だからグラフトは、思うままの言葉を(つづ)った。
「確かにお前の判断はいつだって最善だった。だが、だからといって、今後も間違えないということではない」
 シーザは無言のまま、言葉に耳を傾けている。グラフトは一息を呑んで、言った。
「俺たちは……仲間なのだろう。だったら独りで考え込むことはない。もう少し、こちらを信用してもらってもいいのではないか?」
 仲間。その言葉をシーザに向けて発したことに、自分自身が驚いていた。アリアハンからここまで旅をしてきたが、それまで少年と自分との関係は、互いにどこか冷めた、打算的なものだったような気がする。
 そこから一歩踏み込むために、グラフトは少年に笑顔で、手を差し出した。
 少年はその手を無表情で見つめた。しかしそこに、いつもの冷徹さは無い。
 しばしの黙考。やがて彼は意を決したように、
「……そうだな。以後、気をつけよう」
 そう言って、どこかぎこちなく右手を差し出す。
 二人は短い握手を交わした。それは儀式だ。剣を交えるよりも確かな、互いを解り合うための儀式。
 そこでグラフトはようやく解った。今、少年が戸惑っていることを。
 思えば、シーザは物心ついた時から、人とまともにコミュニケーションをとったことが無かったのではないだろうか。若くして飛びぬけた才能を現し、勇者となるために日々を重ね、また演じてきた。少年はもしかして、他人と腹を割って話したことが、一度としてないのではないか。
 そう思ったとき、シーザのことをずっと身近に感じられるようになった。
 「人を神格化するな」。シーザは自分にそう言った。これは何も偶像崇拝をするなという意味ではない。シーザが言いたかったのは、自分もまた、ただの人間だと言いたかったのだ。
(そうか……)
 グラフトの中で何かがとけた。それは疑問か、疑念か、はたまた固まっていた心そのものだったのか。
 と、唐突にイクスが横から顔を出して、
「いっや〜、青春だねぇ! 俺も仲間に入れてくれよ!」
 いつもの軽口を喋りながら、イクスはシーザとグラフトの首に腕を巻きつけてくる。シーザの「鬱陶しい奴だな」という抗議も、今はどこか可笑しかった。アリアもそれを見て、優しく微笑んでいる。
(ほんの、些細なことだったんだな。俺の悩みは)
 グラフトは瞑目して、自嘲気味に笑った。

 アリアハンを旅立ってから今迄で、最高の気分だった。




  目次