四章 喰い合う獣

―血塗れた剣―

 突如として上空より出現したカンダタは、鋭い蹴りでシーザとアリアを突き飛ばす。二人はグラフトとイクスの間を抜けて、数メートル先の床にしたたかに打ちつけられた。
「シーザ! アリアちゃん!」
 イクスが緊迫した声で叫ぶ。さらなるカンダタの追撃にグラフトはそれを阻止すべく背後を向くが、行く手を盗賊らに遮られる。
「邪魔だ!」
 すぐさま剣を薙ぐが、相手はこちらの接近に合わせてすかさず身を引いた。
 舌打ちする。
 盗賊達はかなりの訓練を施されていた。それぞれが六人一組の小隊を組み、三人が前衛で接近攻撃と防御。二人が後衛から弓による狙撃と援護。一人が指揮官だ。コンビネーションも抜群で、こちらが前衛に攻撃しようとした瞬間、前の人間が身を屈め、その間隙を縫って後方から弓で狙い撃ちにする、という真似を平気でしてくる。下手な王宮騎士団よりもよほど優秀だ。
 おまけにそれが四チーム。何人かは倒すことが出来たものの、チーム自体を切り崩すには至っていない。盗賊一人一人の実力は大したものではないのだが、前衛がほとんど防御に徹した持久戦を仕掛けてきている。厄介なことこの上ない。
(カンダタがシーザ達を倒すまでの時間稼ぎ、といったところか……)
 グラフトは一時身を引くと、イクスと背中を合わる形で、周囲を四方向から囲む盗賊達と対峙する。
「どうする、グラフト?」
 いつもと違って真剣な口調のイクスに、
「シーザ達のフォローへ行け」
「ああ? おいおい、この人数を一人で相手するつもりかよ」
「そうだ」
「………」
 即答するのに、彼はしばし沈黙した後、
「ま、あんたが無茶無謀でンなこと言ったりしねーよな。りょーかい。あっちはまかせとけ」
 いつもの軽口で了承すると、すぐさま駆け出した。
 即座に盗賊らが道を塞ぐ。イクスはそれらに長い杖を突きつけると、高らかに叫んだ。
「イオ!」
 唐突な呪文に、相手はとっさに身を強張らせる。一瞬出来たその隙を突き、イクスは見事な足捌きであっさりと包囲を突破してみせた。
(どいつもこいつも、(こす)い手を使う)
 彼の後姿を見送りながら、グラフトは内心苦笑する。
 相手がようやく、さっきの呪文がハッタリだったと気付くその間に、背後を抜けたイクスに気をとられた盗賊三人を続けざまに斬り倒す。ざっと辺りを見回した。これで残りは十八人というところか。
 盗賊らはイクスを追おうとはせず、全員がグラフトへと矛先を向けた。まずはこちらを仕留めてしまおう、とでも考えたのだろう。周囲をくまなく包囲された形になった。
(俺にはあいつらのようなからめ手は使えんが……)
 それらに向けてグラフトは吼えた。
「貴様らごときに後れをとるつもりは無い!」
 それを合図に、周囲から一斉に矢が放たれた。数は八。グラフトは飛来するそれらの速度、角度、そこから想定される到達位置を瞬時に把握した。八本の内、三本は剣で切り払い、残り五本は立ち位置を一歩変えることで、あるいはかわし、あるいは鎧で受け止める。
「!!!」
 人間離れした芸当に、周囲に動揺が走る。理力を高めた戦士だからこその離れ業だ。
 理力によって高められた視覚、聴覚、皮膚感覚。それらは戦士に常人の何倍もの空間認識能力を与える。加えて筋力、反射神経も上昇させた肉体は、一瞬で到達する矢を視ることなく見切ることさえ可能にするのだ。
 グラフトが駆け出すのを見て盗賊達は我に返ると、一斉に襲い掛かってきた。
(予想通り、だな)
 いくら戦闘訓練を積もうが所詮は賊の集まりだ。上の命令を忠実に遂行する王宮兵士とは違う。こうしてこちらが一人になっても持久戦を続けられるような我慢強さなど、彼らは持ち合わせていなかった。

 そして、相手が接近戦を挑んでくるならばいくらでも対応できる。

 正面から二人、背後から一人が同時に武器を振ってきた。左から剣を上段に構えて、右より斧を振りかぶり、背後の得物は知れないが、気配は急速に近づいてきている。グラフトは最良のタイミングを推し量ると、渾身の気合を込めて長剣を薙ぎ払った。
 剣先が半円を描く。
 剣戟が響いたその一瞬後、長剣は左からの剣を真っ二つにし、右からの斧を弾き飛ばし、背後からの曲刀を受け止めていた。
 驚愕に顔を引きつらせる曲刀の男を剣で押し返し、二刀目であっさりと屠ると、さらにそのままの勢いで、後方にいた弓矢使いの二人を立て続けに斬り倒した。
 十五。
 包囲の一角を切り崩されて、敵部隊は混乱をきたしていた。ある部隊はこちらを再び囲いこもうと周り込み、またある部隊はそのまま突撃を始める。カンダタというトップが居ないこともあり、小隊の指揮官がそれぞれ好き勝手な指示を出しているのだろう。
(戦術はなかなかだが、状況判断力はお粗末だったな)
 グラフトは突撃部隊へ矛先を向ける。五人が扇形に展開して一斉攻撃を仕掛けてくるのに、それら全員に斬りつけるように長剣を大きく払った。
 そして払うと同時、真正面に向けて一気に加速をかける。攻撃に一瞬足を止めた盗賊は、猛進するグラフトに対応する間なく一撃をくらう。
 十四。
 倒れた盗賊の背後には弓矢部隊が待ち構えていた。部隊が合流したのだろう。現れたグラフトに向け、すぐさま四本の矢が襲い掛かってくる。
 しかしそれらに怯むことなく、グラフトは突撃した。体を僅かに傾けて致命傷となるものだけを避け、あとは全て体で(・・)受ける。矢を放たれても速度をまったく落とす気配の無いことに、弓矢使い達は慌てて散開しようとするが、既に遅い。左腕と右腿に矢を突き立てたまま、グラフトは長剣を存分に振るった。
 十。
 一分も満たない間に部隊を半分に減らされて、盗賊らは既に恐慌状態に陥っていた。もはや指揮も何も無く、ただ闇雲に突進してくる者、あるいは背を向けて逃げ出す者まで出始める。こうなれば後は掃討戦に近い。向かってくる者は薙ぎ倒し、逃げる者はそのまま捨て置いた。
 四。
 そうして残ったのは指揮官の四人だけだった。よくよく見れば、最上階でカンダタと共に居た奴らだ。
「やってくれたな……」
「まさか、こうもあっさり部隊を壊滅させられるとは、思っても見なかったぞ」
「ったく、根性無しどもが……。あ〜あ、後でどやされんぜ。俺たち」
「はっ! 今からまとめてブッ殺せばいいことだろうが!」
 四者四様の言葉を吐いて、四人は四方から四つの切先を向けてくる。その構えには先程の盗賊達と違い、隙が無い。
(強いな)
 柄を握る手に汗が滲む。前後左右を囲まれるという最悪の状態の上、グラフトは既に左腕と右腿に手傷を負っていた。深刻なものではないが、傷の痛みは確実に戦闘力を殺ぐことになる。
「いっくぜェ!」
 掛け声一つ、正面の男が鉄の剣を突き出して来た。一人一人を迅速着実に仕留めるしかない。グラフトは剣閃の軌道を読み、カウンターのタイミングで下段から突き上げるように剣を振るった。リーチはこちらに分がある。
(まずは一人――)
 しかしその思惑は外れ、男は剣先の一歩手前で大きく後に跳び退った。長剣は(むな)しく空を斬る。そして次の瞬間、右、左、背後から同時に剣が突き出された。
「っく……!」
 すぐさま剣を薙ぐが、その頃には三人は後退して、先程と同じく包囲陣を組んでいる。こちらの間合いのギリギリの線に立ち、武器を構えながらも追撃を掛けてくる様子は無かった。
(こちらが仕掛けるのを待っているのか)
 四人の内攻撃された者は身を退いて、残りの三人がその隙を突く。どんな達人であろうと、攻撃をすれば必ず隙が生じるものだ。
 しかしこちらが攻撃をためらっていれば、先程のように相手から仕掛けてくるだろう。それに合わせて反撃を狙っても、さっきの二の舞になるだけだ。
 攻撃は全て鎧の隙間を狙われている。加えて相手は先程の雑魚とは違い、連携も技量もかなりのものだった。仕損じを望むのは難しいだろう。
 左腕と右腿の矢傷。そして右脇腹、左大腿部、背の刀傷。理力で高められた肉体は常態に比べれば出血は少ないが、痛みは変わらない。長引けば長引くほど不利になる。
(覚悟を決めるしか、ない)
 その覚悟(・・・・)を決めて、グラフトはスッと剣を下げた。
「ははっ、もう降参かい?」
 盗賊の一人が嘲るように口の端を上げる。グラフトは答えず、ただ、集中する。
 戦闘体勢を解いたことを降参の意志と解釈したのだろう。四人は示し合わせたように、同時に剣を突き出した。四つの剣が、鎧の隙間からグラフトの体にもぐり込んだ。
 瞬間、グラフトは理力を最大限まで高めると、食い込んだ刃を強化した筋肉で挟み込み(・・・・)
「っうおおおおぉぉぉぉ!!!」
 そのまま体を捻転させる。筋肉で固定された鉄剣が鎧の隙間に引っ掛かり、回転に合わせて残らず盗賊の手から弾き飛ばされる。
「なっ……!?」
 信じられないものを見た盗賊達は顔を引きつらせ、呆然とした。そして、その隙は致命傷となった。
「はああああああっっっ!!!」
 体に剣が突き立ったまま強引に回転させるという荒業によって、グラフトの肉体には大きな傷が口を開けていた。一歩踏み出す度にそこから大量の血が噴出し、体中にまみれた血が足を伝って溜まりを作る。しかし、気迫だけはまったく衰えていなかった。
 渾身の一撃が武器を失った男を斬り倒し、
 三。
 我に返って慌てて剣を拾おうとする体に烈刃を叩き込み、
 二。
 武器を構えるもグラフトの壮絶な覇気に腰が引けている相手を薙ぎ払い、
 一。
「ひっ……く、来るなぁっ!!!」
 恐怖のあまり我武者羅に剣を振り回す盗賊に、最後の一閃。

 返り血と出血で外も内も血にまみれながら、しかしグラフトは倒れることなく、紅く染まった剣を掲げ、呟いた。

(ゼロ)……」


     ×××××


 形勢は圧倒的にカンダタに有利だった。
 こちらの渾身の一撃を、勇者はただただ防ぐことしか出来ない。もともとのパワー差に、斧と剣という攻撃力の格差。おまけに身を(かわ)すことすら叶わぬ状況では当然の結果と言えた。
 目の前の少年――シーザは、攻撃を躱せばこちらが背後に倒れる僧侶の少女を標的にするということを覚っているのだろう。そして勇者は、少女を犠牲に出来るほど冷徹にはなれていない。それは落とし穴で真っ先に少女を庇ったことから容易に知れた。だからこそカンダタは、全力攻撃を続けているのだ。
 一撃一撃を懸命に受け止める少年にカンダタは再度斧を振り上げ、
(よく防いだが――)
 全身の力を込め解き放たれた刃は、咬み合った瞬間、鋼の剣を半ばから折り砕いた。
(これで仕舞いだっ!)
 もう何者も斧の進行を阻むものは無い。牙を剥いた戦斧は、確かな手応えと共に少年の肩口へ深々と喰い込んだ。
「あっ……ぐ」
 平坦だったシーザの面が苦痛に歪められる。剣で衝撃が殺されたために一撃必殺とはいかなかったが、充分に致命的な打撃だ。
「シズ様……!」
 ようやく目を覚ましたらしい少女が悲鳴に近い声を上げる。だが、もう遅い。
(今度こそ、さようならだ。勇者様)
 膝をつく少年の頭蓋に向けて、カンダタは戦斧をゆっくりと振りかざす。
「ギラ!」
 まさに振り下ろさんとするその刹那、衝撃がカンダタを襲った。魔法の閃光が側頭部へ直撃し、巨体を左へ転がす。耐熱マントはギラの灼熱を阻めど、衝撃まで防いでくれるわけではない。
 すぐさま身を起こしたその視界に、第三の人物の姿が映る。
(あんの子分(バカ)ども……)
 部下達が総出で足止めをしていたはずの金髪の魔法使いを目にして、怒りに顔をしかめた。
(あれだけ人数が居て足止めすら出来ねぇのかっ!)
 部下の無能さを呪いながら、カンダタは眼前の男に身構える。
 理力に特化した戦士タイプと魔力に特化した魔法使いタイプ。両者が一対一で戦う場合、その戦闘は極めてシンプルなものになる。即ち、魔法使いが先に魔法を命中させるか、それまでに戦士が接近戦に持ち込むか。
 理力を高めた戦士は、筋力は元より動体視力、反射神経に至るまで常人を大きく凌駕する。魔力を扱う魔法使いにとってその差は致命的だ。接近戦において、魔法使いは戦士にけっして敵わないのである。
 つまり魔法使いは戦士に接近される前に魔法を放たなければならない。魔法の破壊力は初歩のものでさえ人間にとって脅威だ。例え理力で肉体を強化していようと、まともに浴びれば重傷は免れえない。
 しかし、魔法を放つためには一定のプロセスを踏まなければならないため、どうしても発動に時間がかかる。加えて戦闘中という極度のストレス下では、そうそう連発できるものではないのだ。ゆえに、どうしても魔法使いは一対一(タイマン)には向かない。
 が、
子供(ガキ)いたぶって喜んでんじゃねェ! 変態野郎!」
 魔法使いの男は杖を振りかぶり、あろうことか接近攻撃を仕掛けてきた。男の身長と同等もある長さの杖が、とっさに後退したカンダタの鼻先をかすめる。杖は虚空を斬り裂き、その先端が床を打ち砕いた(・・・・・)
「なんだと?」
 衝撃で陥没した床石に、カンダタは目をみはった。魔法使いであるはずの男の攻撃。しかしこの威力は戦士のそれだ。
(さっきの勇者(ガキ)みたく、コイツも両方使いやがんのか? いや……)
 そこでカンダタは男の持つ杖を注視する。先端に鉤のようなものが付いたそれは、杖というより槍に近い印象だ。鉤には高級そうな蒼い宝玉があしらわれ、それを金の紋で飾っている。
(まさか、理力の杖!)
 さきほどの竜鱗の盾よりさらに価値の高い、レア中のレア品だ。何しろ世界にたったの五本しか無いというのだから。
 詳しい理屈は知る由もないが、魔力を一時的に理力に変換できるという代物らしい。簡単に言えば魔法使いが戦士並みの腕力で扱える杖ということだ。
 今日は大収穫だ。舌なめずりしながら、カンダタは反撃を開始する。
 杖を再度振るう男に向け、戦斧を大きく薙いだ。彼はそれにあっさり後退して見せると、こちらが追撃に打ち下ろした斧へ向け、電光石火の突きを繰り出してくる。
「!」
 衝突の瞬間、杖先端の鉤が斧の柄と噛み合わさった。完璧なタイミングで突き出されたそれは、戦斧の一撃をものともせず拮抗を保っている。
 この状態で呪文を受ければひとたまりも無い。カンダタは斧を引き戻そうとするが、鉤を捻って固定され、ビクとも動かなかった。
「チィッ!」
 舌打ちして斧を手放すと、カンダタは肉弾戦に出た。接近すればあの長い杖は使えない。それに例え武器があろうが、魔法使いに格闘で負けるつもりは毛頭無かった。
 こちらの動向に気付いた男は杖を引き戻すと、腕だけの力で素早く旋回させた。カンダタはそれに合わせ身を乗り出すように踏み込むと、片手で杖の腹を受け止める。想定外であろう接近速度に動揺する金髪へ向け、カンダタは右の拳を振るった。
 豪腕がうなりを上げ、標的に向け一直線に繰り出される。岩をも砕かんその一撃に魔法使いは身を沈めてそれを避け、そのまま這いつくばるように両手を地面に投げ出した。前方に倒れこみながら、すれ違いざま(かかと)をカンダタの横腹へえぐり込む。
 低く呻いて、背後にまわった敵に再び向き合った。急所攻撃とはいえ、相手は理力を使っていない。体に鈍い痛みが走るものの、動くのに支障は無かった。
(あの野郎、ただの魔法使いじゃねぇな)
 相手は間違いなく、実践的な格闘術を学んでいた。それもかじったというレベルじゃない。体に叩き込まれていなければ、あのような動きは出来ないだろう。
(が……)
 が、先程の一撃は相手が魔法使いであるという油断によるものだ。あちらが格闘に長けることを認識した以上、こちらが負ける手は無い。おまけに男は杖を手放してしまっている。カンダタは嘲りの笑みを浮かべ、勝ち誇るように、
「やるじゃねぇか。だが、その杖無しで俺に敵うと思って……」
 その時、金髪が浮かべる不敵な笑み見て、カンダタの脳裏に警戒信号が走る。ほとんど反射的に身を捻った瞬間、背後から飛来したナイフが大腿を貫いた。
 弾かれたように振り向いた先には、先程致命傷を与えたはずの少年が短剣の二投目を放つ所だった。上段から正確無比に投じられた白刃が、足を負傷して動きの鈍ったカンダタの上腕を射抜く。
(馬鹿な! もう回復しやがったのか!?)
 僧侶の少女が治癒の魔法を扱えることくらい想定の内だった。しかし、あの大傷をこんな短時間に治せるはずがない。おまけに傷の回復には体力も消耗する。すぐさま動けるわけが無いのだ。
 理解不能な事態に、ついにカンダタの思考は混乱をきたした。大振りのナイフを右手に――いったいどれだけの武器を持っているのか――突貫してくる勇者に、拳を固め迎え撃つ体制を取った。左腕と右腿の傷が頭に響き、思考をかき乱す。
 そして、
「ヒャド!」
 背後の魔法使いのことを思い出した時には、氷の魔法がカンダタの両足を膝下から全て凍結させていた。
「――!」
 間合いに到達した少年は、こちらがあがく暇すら与えず、身動きの取れないカンダタの下腹部を容赦なく蹴り抜いた。そのまま背後にしたたかに倒れ伏す。勇者はカンダタの胸板を踏みつけると、こちらの喉元に刃を突きつけた。
 肉薄する彼の姿を視界に入れた時、カンダタはシーザがすぐさま動くことのできた理由を察した。
 少年は左腕をだらりと垂らしたままだ。息は荒く、激しく肩を上下させている。顔も青い。おまけに、斧の一撃を加えた左肩からは再び(・・)出血が始まっている。
(治っちゃいなかった……肩は傷口を塞いだだけで、左腕は折れたまま。こいつ、こんな状態であれだけの動きを……)
 こちらの手を読み、最適の判断を下す力。反撃の機を推し量り、最高の時に迷わず行動に移す力。そして、勝利を何が何でも掴み取ろうとする力。

(完全に――俺の、負けだ)
 凄絶な眼光でこちらを射抜く少年に向けて、カンダタは両手を上げた。


     ×××××


 カンダタの降伏によって、戦闘は終わりを告げた。イクスがカンダタを縛り上げている間に、シーザはアリアから治療を受けていた。
(さすがに――危なかったな)
 一歩間違えればやられていたのはこちらだっただろう。それほどに際どい一戦だった。
 アリアがかざした両手から淡い白光が広がり、傷口を優しく包みこむ。全身に心地よい温かさが行き渡って、強烈な眠気に襲われた。体力の消耗が著しく、肉体が睡眠を要求している。シーザは頭を振って睡魔を追い払った。まだやるべきことが残っている。
 そんな間に、傷口がみるみる塞がっていく。アリアが扱える治癒魔法はシーザと同じく初等のホイミだけだが、その回復力はシーザの比ではなかった。やはり彼女は回復呪文(こちら)の方が得意のようだ。
「シズ様……」
 アリアの呼びかけに、伏せていた顔を上げる。魔法の多用によるものだろう。彼女の顔には若干の疲れが見えた。それでも治癒の手は止めぬまま、続ける。
「あまり、無茶をなさらないで下さい。お願いです……」
 悲しそうに紡がれたその言葉に、シーザはどう返すべきか迷う。黙考の末、事実だけを端的に告げた。
「ああしなければ、こちらがやられていた。仕方ないだろう」
 一対一の肉弾戦でイクスに勝ち目が無いのは目に見えている。あの時無理にでもフォローしなければイクスは倒され、カンダタは再び斧を手にすることになるだろう。そうなればもう手の打ちようが無い。
 しかしアリアはその返答に首を振る。
「解ってます。でも、それでも、もっとご自分のことを大切にしてほしいんです。シズ様はまるで――」
 傷が塞がり、骨が繋がる。アリアの手から光が途絶え、その両手はそっと、シーザの左腕に添えられた。
 彼女は目線を横に移す。そこにあるのはシーザの、半ばから折れた鋼の剣。
「まるでご自分のことを、その剣と同じように扱っているみたいです」
「――!」
 想像すらしなかった言葉に、シーザは返す言葉を失った。突如として心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、頭は茫然とし、浮かんでくるのはただ、疑問だけ。
(なぜ……)
 なぜそう思う?
 なぜそんなことが解る?

 なぜ、俺の胸の内が読めるんだ?

 息を呑んで、少女を呆然と見つめる。アリアはこちらを潤んだ双眸で見返し、悲しそうにうつむいた。
 そのまま、場に沈黙が落ちる。シーザは目をきつく閉じると、何とかこの膠着(こうちゃく)を破ろうと言葉を繋ぐ。
「――ったく、思いっきり無茶無謀してやがるんだもんな〜」
 それを、イクスの呆れ声が遮った。
「信じらんねぇよ。剣を体に食い込ませて絡め取るなんて」
「だが、あれしか手が思いつかなかった」
「思いついてもやらねーよ。フツー。ンなことしてたらいつか死ぬぞ?」
「すぐに薬草で傷口は塞いだんだ。あの程度で死ぬほどやわではないよ」
「あの程度、ね……。あ、ちなみに盗賊達(あいつら)は? まさか皆殺し?」
「致命傷は与えていない」
「そいつぁすげぇな」
 シーザはそれを好機と、まるで逃げるように立ち上がり、二人の方へ視線を移した。アリアもそれ以上は何も言わず、合わせて起立する。
 グラフトは全身を真っ赤に染め上げていたが、足取りはしっかりしている。イクスの言から相当の傷を負っているはずだったが、理力を高めた戦士の回復力は常人とは比べ物にならない。薬草を使ったのなら、しばらくは問題無いだろう。
 対してイクスは、三人の中で唯一無傷だった。まったくもって要領の良い奴だ。もっともそれは実力に裏打ちされたものであるのだが。
「さーて、コイツはどうするよ?」
 そう言って指差した先には、腕を後で縛り上げられたカンダタの姿がある。負傷した脚であぐらをかきながら――凍結はイクスの手によって溶かされていた――ただただ無言で虚空を見上げていた。抵抗しようが無駄な足掻きだと解っているのだろう。その方がこちらとしてもやりやすい。
 シーザは腰から大振りのナイフを引き抜くと、大男の首筋に突きつける。
「宝物庫に案内してもらう」
「解った……」
 カンダタは驚くほど素直に肯いた。
「………」
 その言動に若干の違和感を覚えつつも、シーザはカンダタを先頭にして宝物庫へと向かった。
 階段を下りた先は二階だ。塔の入り口で聞き出した情報は偽りではなかったらしい。罠を警戒して、宝物庫の扉をカンダタに開けさせる。腕を縛られたまま、ドアに背を向けながら押し開くのを注意深く注視する。
「!」
 扉が口を開けるなり、きらびやかな財宝がシーザらを出迎えた。黄金の甲冑。装飾された剣。いくつも並ぶ宝箱には色とりどりの宝石が溢れている。他にも絨毯やら絵画などの美術品、骨董品の姿もあった。よくもまあこれだけ集めたものだ。
 そして、目的のものは部屋の隅に山のように積まれた金貨の上にあった。
 黄金色に輝くそれは、冠としてはかなりの大きさだ。純金製であればその重量は鉄の盾をしのぐであろう。あんなものをかぶっていたら首がおかしくなりそうだ。
「罠は?」
「ねぇよ……。こんなところにまで罠なんぞ仕掛けてた日にゃあ、おちおちお宝鑑賞もできねぇだろうが」
 たしかに理に適っている。だがそれを簡単に信用するほどシーザは単純ではない。
「取れ」
「解ってるよ……」
 力無く呟いて、後ろ手に冠を掴んだ。従順すぎる。まるで別人だ。
(何を企んでいる?)
 カンダタがこちらに背を向け、冠を差し出した。細心の注意を払いながらそれに手を伸ばしたその時、カンダタは手首の動作だけでそれを投げつけてきた。
「っ!」
 舌打ちして、顔面に飛んできたそれを払いのける。その間にカンダタは宝物庫の奥、壁際まで走っている。
「逃げられると――」
「思ってるんだよ」
 カンダタは嘲笑して、背後の壁を蹴りつけた。負傷した足では壁を蹴破ることなど出来はしない――その算段は、何の抵抗も無く崩れ落ちたレンガの音に掻き消される。
(なんだと……!?)
 とっさに追撃をかけようとした時には、カンダタは既に塔の外へ半身を乗り出していた。
「じゃあな。楽しかったぜ、勇者様!」
 言葉を残してそこから飛び降りる。
 シーザが外へ身を乗り出した時には、既にカンダタの姿は地上のどこにも見当たらない。
 してやられた。
 カンダタのあの態度は、いたずらにこちらを刺激して余計な傷を増やさないため、そしてこちらを油断させるためだった。油断したつもりは無かったが、宝物庫に脱出用の仕掛けを用意していたとは想定外だ。
 あっさりと穴を開けた石壁に目をやる。仕掛けというほどのものでもない。敷き詰められたレンガは、カンダタの蹴った場所だけ接着がされていなかったのだ。
「厄介な相手だ……」
 眼下に広がる平原を見やりながら、シーザは小さく呟いた。




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