三章 遠望心慮

(しるべ)指す道―

 夜の帳が下り、街は闇に包まれる。昼間の喧騒が嘘のように訪れた静寂は、アリアハン第二の都市とはいえ田舎には違いないということだろうか。
 レーベの街に辿り着いた一行は、昼間のうちに取っておいた宿へ向かった。部屋は三人部屋一つ、個室が一つ。シーザは四人部屋一つで済ませるつもりだったのだが、グラフトとイクスの、
「仮にも若い男女が、同じ部屋で眠るというのは関心せんな」
「そりゃあまずいだろ。仲間っつったって、最低限プライバシーは保つべきだぜ」
 という意見を尊重することになった。宿が取れない時はいつも野営をしているのだからいまさら関係無いだろうとは思ったが、特に反論する意思もシーザは持ち合わせていない。
 久しぶりのまともな食事で空腹を満たし、湯浴みをして戦いで付いた血と汗を流す。それらを済ませた四人は、今後の打ち合わせのため三人部屋の方に集まった。
 既に湯浴みを済ませているため皆、寝間着姿だ。イクスは濃緑色のローブを脱ぎ、いつもは後で束ねている金髪も今は無造作に肩へ流していた。グラフトも鉄鎧などのもろもろの武装を外して身軽な格好になっている。旅の最中は戦闘中ですら僧服を着たままのアリアも、今は淡色の上下に着替えていた。シーザはといえば、環に外套、上着、それに武装を外したくらいで、あとはいつも通りだった。勿論袖にはナイフを仕込んだままである。
「んでさ、結局これって何なんだ?」
 イクスはベッドに寝そべると、手の中の物を掲げて見せる。レーベに着いてから即座に向かった一軒の工房。そこで手に入れた物だ。
 掌に収まる程のそれは球状をしている。色は薄い赤。滑らかな質感は、遠くから見ればリンゴに見えるかもしれない。ただ、それには幾何学的な文字が刻まれたリングが巻かれており、これが果実などではないことを主張している。
「魔法の玉だ」
「それは渡された時聞いたよ。具体的にどういうモノなんだ?」
 手にした球体を、上に放り投げては受け止める。その繰り返しを横目に、シーザは簡潔に答えた。
「爆弾だ」
「ばっ……!」
 放り投げた物体を慌てて受け止める。再び手の中に戻ったそれを見て、彼は安堵するように息をついた。
「お前な……そういうことは渡す前に言えっ!」
「心配ない。それは火気ではなく、魔力に反応して爆発する。だからいくら衝撃を加えようが、火の中に放り込もうが、爆発の危険は無い」
 魔法の玉は爆薬を魔力によって封じ込めたもので、魔力を込めない限りは決して爆発する危険は無い。それによって爆薬を安全に運搬することを可能にしたのだ。この技術はレーベの街にいる一部の技術者しか保有していない、特殊なものだった。一時は軍事にも利用されようとしていたが、技術者が少なく、かつ生成に時間がかかるため量産が困難、という理由から見送られたらしい。
「それで、その爆弾を何に使うつもりなのだ?」
 椅子に腰掛けたグラフトがおもむろに訊く。アリアはどこかそわそわと室内を見回していたが、やがて意を決したように椅子に座った。男達の寝室に居ることに抵抗があるのかもしれない。皆所在を落ち着けたのを確認すると、シーザは自らのベッドに掛け、改めて切り出した。
「二十日程前だったか、大きな地震があったのを覚えているか?」
「そういえば、ありました。お皿がたくさん割れてしまって……」
 アリアの無関係な話題は流して、続ける。
「その地震で(いざな)いの洞窟が落盤を起こしてな。旅の扉が埋まってしまったらしい」
「はぁ……。そんで、それを爆弾で撤去するわけ? そんなの城の人間の仕事だろ」
「さぁな。都合が良かったんだろう」
 気だるげなイクスに、適当な相槌を打つ。実際、たいした問題ではない。
 アリアハンには船の便が無い。これは珍しいことではなく、現在船による交易はほとんど行われていない。理由は魔物の氾濫によるものだ。海の魔物は陸に比べて強力なものが多く、半端なものではすぐさま沈められてしまう。
 そのため、国外へ脱出するには旅の扉を利用するしか術が無いのだ。アリアハンを旅立つ勇者にそれを任せようというのは、合理的な判断だろう。
(それに、魔法の玉には興味があったしな)
 文献でしか知らなかったそれを実際に使用できるというのは、シーザにとって興味深いことであった。なにしろ、人の力ではとても動かせない量の瓦礫を吹き飛ばす程の威力だ。
 と、先程から落ち着かない様子を浮かべていたアリアが、控えめに口を開いた。
「あの……『旅の扉』というのは……?」
 未知の単語に戸惑っていたらしい。一般常識をわざわざ説明する必要はなかろうと思っていたが……どうやら予想以上に世間知らずのようだ。
「一種の転移装置だ。大陸から大陸までを一瞬で移動出来る。古代文明の産物らしく、仕組みは未だ解明されていないがな。ここから東、誘いの洞窟と呼ばれる場所にある」
「それはどこへ繋がっているんですか?」
「ロマリアだ。アリアハンから北西――船で一ヶ月くらいの場所だな」
 説明に彼女は感嘆の声を上げる。
「そんなに遠くまで移動出来るなんて、不思議ですね」
 確かに不思議ではあった。瞬間的移動であれば移動呪文でも事足りるのだが、あれは幾千年も昔から不変的に機能している。幾多の魔法使いらがその仕組みを解明しようと試みているが、未だ成果は挙がっていない。古代人の技術力推して知るべし、だ。
「そういやさー、そもそもどこを目指して進んでんだ?」
 魔法の玉を袋に仕舞い込んだイクスは、会話が途切れたのを見計らって話しかけた。
「無論、ネクロゴンドだ」
「そりゃ知ってるよ。どうやってそこに行くかって話」
 目指すは魔王バラモスの住まう城。かつての帝国、ネクロゴンドにそれはある。流石にその程度の知識はあったのか、アリアも話に参加してくる。
「船では行けないのですか?」
「無理だ。ネクロゴンドは周辺を高山に囲まれている。バラモスの台頭後、な」
 バラモスが現れてから、ネクロゴンド大陸は地形が変貌したという。海沿いに大地が隆起して、ほとんど船を着ける場所すら無いそうだ。それだけでも、魔王という存在の力量が伺える。
「じゃあ登山の準備もしないといけませんね」
容易(たやす)く登れるような高さじゃない。気温や気圧の変化も激しい上に、魔物も強力だ。バラモスの元に辿り着く前にのたれ死ぬのがオチだな」
 アリアの少しズレた意見に、それでも律儀に説明してやる。メンバー全員が現状を把握しておくことは、今後にとっては重要なことだ。
「おまけに、ネクロゴンド周辺にはバラモスによって強力な結界が張ってある。例え山を登ったところで、それを破らない限り先には進めない」
 まさに難攻不落だ。自らは鉄壁の要塞から動かず、世界を蹂躙(じゅうりん)する。理想的な戦略だ、と胸中で皮肉る。
「……ってか、何でそんなに詳しいんだよ、お前」
 絶望的な情報にうんざりした様子で、イクス。当然の疑問だ。バラモスについて、国によってはその名前すら認知されていない現状で、これだけの情報を手に入れることは通常不可能に近い。が、
「全て賢者ナジミからの情報だ」
 それだけで、皆一様に納得顔をする。肩書きというのはこういう時には便利なものだ。
 賢者ナジミの情報源など知る由もないが、少なくとも自分が彼に質問して、返答に困ったことは一度も無い。いわば賢者とは叡智の結晶であるのだ。
「………。しかしそうなると、ありていに言って不可能ではないのか?」
 グラフトが苦渋を浮かべる。勿論自分は、わざわざ士気を下げるためにこんな話をしたわけではない。
「そうですね……。陸からも海からも入れないなら、空でも飛ばないことには」
 またもアリアが間の抜けたような言葉を吐く。が、
「そうだ。空から侵入する」
 この場合、それが正解だった。
「空って……まさかバシルーラでも使おうってんじゃないだろうな」
 驚き半分、呆れ半分でイクス。
 バシルーラとは移動の魔法であるルーラの亜種だ。ルーラは術者を含む移動対象全員が移動先をイメージしなければ転移できないという特性があるが、バシルーラは自分以外の対象を術者が意図する方向・距離に飛ばすことが出来る。但し、それには相当の集中力・制御力を要するのだが。
「さっき言った通り、ネクロゴンドには結界が張ってある。移動魔法での侵入は不可能だ」
「んじゃ、どうすんだよ」
「ラーミアの伝説を知っているか」
 それにすぐさま反応したのはアリアだ。流石はルビス教徒といったところか。
「ラーミア……不死鳥ラーミアのことでしょうか。ルビス様が遣わされたという……」
「そうだ。ラーミアは聖鳥、魔王の結界も破れるはずだ」
 世界で最も広く信仰されている、精霊神ルビスを崇めたルビス教。その聖典の一節にこういう一文がある。

 ――魔王によって世界が暗黒に包まれた時、神々は力を合わせ、一つの命を創られた。

 太陽神ラーは絶えなき活力を。
 地母神ガイアは不変の肉体を。
 海神ネプトゥヌスは揺らぎなき安定を。
 風神ハヌマーンは空を制す翼を。
 雷神バールは溢れる知性を。
 そして精霊神ルビスは清浄なる心を、かの命に与えたもうた。

 その命はルビスによって『ラーミア』の名を与えられる。

 聖鳥ラーミアは雄大なる翼をもって大空を制し、浄化の息吹によって不浄なる闇を吹き払う。ルビスの使徒はラーミアと共に魔王への道を切り開いた――

 これは聖典の中でも有名な一説だ。ルビス教徒ならずとも知っている、一般常識に近い伝説である。
 それを聞いたイクスは露骨に顔を歪めて見せた。
「お前それは……。だってラーミアって、言っちゃ悪いけど伝説の話だろ? んなの当てにするくらいなら、まだ山中強行軍の方が現実的じゃないか?」
「夢物語だな。存在すら疑わしいものを使うなど、話にならん」
 それは全くもって正論だ。シーザも他から同じ話をされたら、即座にそう返すだろう。
 しかしそれを肯定するつもりは毛頭無い。何故ならこれは、自分がアリアハンで八年間、考えに考え抜いた末の結論だからだ。
「ラーミアの存在は伝説じゃない。史実だ」
 はっきりと断言する。自分の中でもこれといった確証が無いのに、だ。目を見張る三人に向けて、シーザは続けた。
「キメラという魔物がいるだろう」
「キメラって、キメラの翼のキメラだろ?」
「今でこそ凶暴な魔物だが、あれはかつて古代人が自らの手で創り出した人造生命体だ」
 キメラの翼。それは冒険者の必需品だ。何故ならそれを使うことで、魔法を扱えない人間であってもルーラと同等の効果を得られるのである。それはその名の通り、キメラという生き物の翼に相当する。
「キメラの翼に特殊な魔力が込められているのは知っているだろう」
「あ、ああ。その力でルーラと同じ効果が生まれるんだろ」
「その翼こそ、ラーミアの羽と同質のものだという説がある」
「……!」
 古代人は数種の生き物とラーミアの翼を組み合わせることでキメラを創り出し、それを簡易な移動手段兼ペットとして扱っていたという。勿論これも確証があるわけじゃなく、あくまでそういう説があるだけだ。しかし、言葉に惑いを含めるつもりもなかった。
 驚愕するアリアとイクスを他所に、グラフトはやはり幾分冷静だった。こちらの言い分の穴を的確に突いてくる。
「だが、あくまで説なのだろう。それだけでラーミアの存在を証明したことにはならん」
(全く、その通りだ)
 大きく頷きたい衝動を抑えつつ、淡々と返す。それでも口調は僅かながら沈んでいたのだが。
「全く根拠の無い話ではない、ということだ。結局のところ、雲を掴むような話なんだよ、この旅は」
「まあ当てが無いよりはマシ、か……」
 それが、シーザが八年の間で出した結論だった。
(我ながら情けないことだ。旅の指針にこんな案しか提供出来ないというのは)
 しかし他に(すべ)が思い当たらない。ならば僅かな可能性にでも賭けるしかないのだ。
「では、まずはラーミアを探しに行くということですか?」
 沈んだ場を盛り上げようとしてか、アリアがことさらに明るい声で言う。それに気を取り直し、
「いや、ますは宝珠(オーブ)を探す」
「オーブ……六神から与えられたラーミアの魂! 実在するのですか!?」
 興奮した声に、思わず内心苦笑する。こちらが聞きたいくらいだ。
「存在を確かめたわけではないが、伝承ならば各地に残っている」
「凄いです! 聖典そのままだなんて!」
 確かにルビス教の聖典そのままだ。だからこそ胡散臭いとシーザは思っていたのだが。
(やはり気になるのは夢の声、意識の呼び声だ)
 眠ったとき、ときたま聞こえてくる声。意識の世界。意識の言葉。あの言葉が、宝珠の探索という道を開かせたのだ。
 それを全面的に信用しているわけじゃない。しかし、少なくとも活路を開くことにはなった。もっとも、このことを仲間達に伝える気もなかったのだが。
「それじゃ当面の目標は、ラーミアと宝珠の情報収集ってことか」
「ああ。異存無いか?」
 異存はあるのだろうが、それを覆す意見もあるわけではないのだろう。グラフトもイクスも、不承不承ながら頷いた。アリアは、進路に何ら不安など無いかのように笑顔満面だったが。
「決まりだな」
 多難な前途にうんざりしつつも、シーザはそう締めくくった。




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