二章外伝 冷たく鋭く
―冷たい瞳―
眼。
眼。
眼。
眼。
期待の眼。羨望の眼。
嫉妬の眼。侮蔑の眼。
悲哀の眼。批難の眼。
忌諱の眼。畏怖の眼。
向けられる視線に含まれる感情。全てが手に取るように解った。相手が何を思っているのか。何をしたいのか。何を求めているのか。意識せずとも自ずと知れる。
俺に求められるもの。それは『勇者』であること。
×××××
大人二人が何とか並べる程の幅しかない、狭く薄暗い通路。ナジミの塔からアリアハンへと続く地下道は、やはり塔と同じく三百年以上昔に造られたのだろうか、レンガ造りの壁面が風化してボロボロになっている。生まれて初めての旅。歩き詰めの毎日にそろそろ足が悲鳴を上げ始めていたアリアは、目の前の――通路の終りを告げる――階段を見て安堵の息をついた。
階段を登った先は、今までとは打って変わって明るい室内だった。
「へェ……。こんなトコに繋がってたのか」
「アリアハン城の地下だ。利用者は少ないがな」
ナジミの塔での用件を済ませた一行は、シーザの提案で一度アリアハンへと帰還することとなった。地上からは八日の道も、地下からだと半日とかからない。
「けどお前は、ここから頻繁に通ってたんだろ。……あれ? つーか行き帰りで一日経っちまうよな。あっちに泊まってたのか?」
首を傾げるイクスに、シーザは「まさか」と返す。
「ルーラを使えば簡単なことだ」
「んえ? お前ルーラ使えんの?」
驚きに変な声を上げるイクス。ルーラというのは、確か移動のための呪文だったように思うが、魔法使いの呪文を学んだわけではないアリアには、詳しいことは知れなかった。イクスの反応からして難しい魔法なのだろうか。
「十一の頃からな。それまでは祖父に送迎を頼んだのだが」
「十一って……。俺、まだ使えねーぞ」
「俺とお前の呪文取得に何の関係がある」
「いや、何つーか魔法使いとしての面子ってもんが……」
がっくりと肩を落とすのに、シーザは素知らぬ顔で部屋に一つある扉へ手を掛けた。
扉の先もやはり洞窟とは違い、しっかりと整えられた石畳が続いている。シーザに先導されながら城内を進むと、すれ違った王宮兵士らしき一団がこちらを驚いたように見た。その中で口元に黒い髭を蓄えた兵士が声を上げる。
「ゆ……勇者殿!? 何故このようなところに」
「塔の帰りだ」
「陛下に謁見されますか? しかし……」
「一旦立ち寄っただけだ。必要無い」
「はっ……。承知しました」
短い言葉を交わすと、足早に去ってゆく。どこかぎこちない対応を不思議に思い、アリアは兵士達の方へ目を向けると、彼らもまた自分達を見つめていた。いや、自分達をでは無い。彼らの視線は全て、シーザへと向けられていた。
(何で……そんな眼で見るんだろう)
それは戸惑うような、あるいは恐れるような眼差しだった。彼らはアリアと目が合うと、慌ててその視線を逸らした。そのまま逃げるように通路の反対側へ消える。
不可解な気持ちのまま、先へ進む勇者の後を追う。横目で見やったシーザの横顔は、いつも通り平静そのものだった。
城を出ると外はもう夕暮れ時になっていた。街にある人影はまばらで、家路に着く者、あるいは早々に酒場へ向かう者など、それぞれが夜を迎える準備を始めている。遠くから微かに
夕餉
の香りを感じて、アリアは思わず空腹を自覚した。道中は野草や携帯食が主だったために、まともな食事が恋しい。もっとも教会に居た間は粗食が当たり前であったから、この生活が苦痛であるというわけでもないのだが。
「で、どーすんだ。これから」
「俺の家に行こう」
「へェ……。招待してくれんの?」
「わざわざ宿を取ることもあるまい。三人くらいなら寝る場所もある」
イクスの意外そうな顔に、彼が淡々と応じる。それを横目で眺めながらアリアは物思いに耽った。
(シズ様のお家……どんなところなのかしら)
客が三人寝られるということは少なくとも小さくはないのだろう。漏れ聞いた噂では街の西側、アリアハンを囲む外壁に沿った場所にあるというが、自分の居た教会からはかなりの距離があったため、アリアはまだ目にしたことは無い。
と、
「見られているな」
唐突にグラフトが口を開くのに、「えっ」と漏らしてアリアは周りに目をやった。
見られている。
街にあるまばらな人影。その一つ一つ、一人一人から例外無く視線が注がれていた。様々な人間が、様々な表情を浮かべて見つめるは一点、一人の人間。勇者シーザを。
それらの視線を受けながらも、シーザは何事も無いかのように、平然と闊歩していた。イクスが小声で「人気者だねぇ」と呟くが、彼はそれも黙殺する。
「勇者様!」
突然声を上げ駆け寄って来たのは一人の女性だった。見た目、四、五十代くらいのその女性は、瞳を潤ませるとシーザにすがりつく様に身を屈めた。思わぬ行動に――シーザを除いた――三人は呆気に取られた。
彼女は声を張り上げる。
「勇者様! どうか! どうか、魔王を……! 息子の……息子の仇を……どうかっ……」
後は言葉にならず、うなだれ、そのまま涙を流した。その姿を見て、アリアは思わず胸が苦しくなる。
肉親を魔物に殺される――それは、今の時代どこにでもある出来事だ。魔物に襲われ、教会に運ばれた人がそのまま息を引き取るという光景を、自分は何度も何度も見てきている。しかし、それに慣れることは出来なかった。悲しみに慣れるためには、心を殺さなければならないから。
辺りには女性の嗚咽だけが響く。気が付くと、周囲には僅かな人だかりが出来ていた。誰もが女性に憐憫、或いは同情のこもった表情を浮かべ、対する勇者の動向を見守っていた。
いくつもの視線を受けながら、シーザは片膝をつくと、女性の両肩に手を置く。涙にまみれた顔を上げる彼女を真っ直ぐに見つめると、落ち着いた口調で言った。
「承知しました。必ずや魔王を倒して、ご子息の無念を晴らしてみせます」
それに女性は再び涙をあふれさせると、ひたすらにお礼を言った。群集から喝采が湧く。シーザのただその一言で、皆の顔が悲壮なものから一転、希望に満ちたものへと変わった。
(やっぱりシズ様は凄い……)
言葉一つで皆に希望を与えることが出来る。勇者とはそれだけ人々にとって大きな存在なのだ。
やがて女性は礼を述べながら立ち去り、群集も解散すると、イクスが皮肉気な笑みを浮かべて、
「いっやぁ、意っ外だな〜」
「何がだ」
「悲しみに暮れる女性に向かって、あんな優しい言葉をかけてやるなんて。万年無表情無感動男のお前が。何? 実は年上趣味?」
「イクスさん!」
からかいの言葉に思わず大声を上げる。イクスは本気で言っているわけではないのだろうが、それでもシーザの優しさを踏みつけられたようで、我慢ならなかった。彼はそれに驚いたような顔をして、
「え……いや、その、ごめん。冗談のつもりだったんだよ。いや、ホント。……悪い」
慌てて謝罪をする彼のばつの悪そうな顔を見て、アリアはかえって申し訳ないような気分になった。それに、
「あの場合、ああ言うしかあるまい」
シーザの冷たい声が走る。アリアは何の話をしているのか、すぐには解らなかった。
「あの女性は息子を亡くして絶望していた。あのまま放っておけば碌でもないことにしかならないだろう。ああ言うことで再び希望が湧くのなら、安いものだ」
(えっ?)
アリアは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。それは、つまり、
「演技……か、先程のやりとりは」
重々しい口調でグラフトが呟く。シーザは答えず、無言で再び歩みを進める。
(演技なの? あの人が悲しんでいたから、そうならないように振舞っただけなの? そんなのって……)
人が悲しければ自分も悲しい。悲しむ人がいたら、その人の悲しみを取り払ってあげたいと思う。それは自分にとって当たり前の感情だった。相手の気持ちを理解出来るからこそ、相手を労わることが出来る。シーザも悲劇を悲しむ心があったからこそ、そうしたと信じたのだ。
「シズ様!」
我知らずアリアは叫んでいた。彼が振り返る。何も映さない面を向けて。
「あの
女性
を見て、シズ様は……悲しいと、可哀相だと思わなかったのですか?」
見つめるアリアに、シーザは視線を逸らすと、小さく呟いた。
「……そんな
感情
、とうに忘れた」
街外れとは言わないまでも、他の住宅からは一線引いたようなその場所に、かの家は悠然と佇んでいた。
二階建てのそれは、やはり一般的な家屋にくらべると若干大きい。敷地も広く、庭に離れ家がもう一軒建てられるほどだ。シーザは玄関のドアノブに手を掛けると、静かに押し開けた。
「ただいま」
シーザに続いて、何となく緊張しながら入るのに、アリアは「お邪魔します」と言ってお辞儀をする。と、シーザの声に気付いたのか、奥から一人の女性が姿を現した。
背丈はアリアより若干高いくらいか。シーザと同じ黒髪黒目で、長い髪を編んで、胸元まで垂らしている。澄んだ双眸は優しく緩められ、見ただけで心が温かくなるような笑みを浮かべていた。
「お帰りなさい」
と、それを見るや否や、唐突にイクスが前に出て、
「こんにちは。私、シーザ君の大の親友にして掛け替えの無い仲間、イクス・ルーグと申します。シーザ君のお姉様、このたびはお招き頂きありがとうございます。これはお近付きの印です」
優雅に会釈すると、どこからともなく一輪の薔薇の花を差し出した。
「まあ、シーザのお友達ですか。こちらこそ、シーザがお世話になっております」
女性は花を受け取ると、恭しく会釈を返す。
「それにしても、お美しい。こんなお姉様と一緒に暮らせるなんて、シーザ君は幸せ者ですね。叶うことなら、その幸せを私にも」
ゴン。鈍い音と共に、女性の手を取ったイクスの体が横に倒れた。シーザの持つナイフ(鞘は付いたままだ)がイクスの側頭を殴打したのだ。
「何をする
義弟
よ」
「誰がだ。
他人
の母親を誘惑するな」
憮然として告げるのに、イクスはあんぐりと口を開けた。
「は……母!? マザー!? お母様!? マジで!? 若っ!」
「ふふふっ。イクスさん、面白い方ですね」
狼狽するイクスに女性――クレアは上品に笑って見せた。
「それに、アリアさんにグラフトさんですね。ようこそいらっしゃいました」
「? 失礼ですが、何処で名前を?」
「テレサに……ああ、皆さんにはルイーダと言った方が良いのでしょうか。彼女から訊いたのです。あの子とは数年来の付き合いでして」
グラフトが得心すると、クレアは「どうぞ」と言って三人を居間へ案内する。ちょうど夕飯を作るところだということで、アリアは手伝いを申し出た。
やがて、食卓に六人が並ぶ。シーザ、クレア、祖父のルーク。その向かいにアリア、イクス、グラフト。六人はそれぞれ自己紹介を終えると、旅の話に華を咲かせた。
食事を終え片付けを済ませると、皆はそれぞれ湯を浴び、その後居間に集まってくつろいだ。と、しばらくしてシーザが唐突に席を立つ。
「シーザ、どうしたの?」
クレアが訊ねるのへ、
「寝る」
明快な一言。
「そう。おやすみなさい」
それにクレアも当たり前のように返した。傍から見るとそっけない対応に見えるが、おそらくは昔から繰り返されていた会話なのだろう。シーザはそのまま二階の自室へと向かった。アリアは慌てて声を掛ける。
「シズ様、おやすみなさい」
一瞬無視されるかと思ったが、彼は顔だけ振り向いて「ああ」と返してくれた。シーザが階上へ消えるのを見届けると、クレアが微笑を浮かべて語りかけてくる。
「シズ……
様
?」
シーザへの呼び名に疑問を持ったらしい。アリアは、
「あ、はい。そう呼ばせていただいてるんです」
少しはにかんでそう答えた。
「私は、シズ様のことを尊敬していますから」
「そうですか……」
クレアは少し嬉しそうな顔をする。と、
「皆さん、シーザの仲間になっていただいて、本当にありがとうございます」
改まったように頭を下げる彼女に、三人は恐縮した。特にアリアなどは仲間になったというよりもしてもらったという気持ちが強い。
「あの子、皆さんに迷惑を掛けませんでしたか?」
「いえ、ご子息は本当にしっかりしています。とても十六になったばかりとは思えない」
真面目な口調で、グラフト。シーザに対しては何かと反感のこもった態度の多い彼だが、これは彼なりの本心なのだろう。アリアにはそう思えた。
その言葉に、クレアはどこか寂しげな顔を見せた。
「……シーザは、昔は
ああ
ではなかったんです。活発な方ではありませんでしたけど、それでもおかしかったら笑うし、悲しければ泣くことが出来た……」
「……失礼ですけど、ちょっと想像出来ませんね。あいつが笑ったり泣いたり……か」
「………」
少し前のやり取りを思い出してアリアは憂鬱になってしまう。悲しみを忘れた、そう言った時のシーザの顔が脳裏をよぎった。そして自分が未だ、彼の『表情』というものを見たことが無いことに今更ながらに気付く。
クレアとルーク。シーザの二人の肉親は、同様に沈痛な面持ちを浮かべていた。それを姿を見てなぜかふと、神へ懺悔をする者の姿をアリアは思い起こす。
「あの子が感情を失くしてしまったのは、八年前……夫が、オルテガが死んでからなんです」
クレアは重い口調で、シーザの過去を語り始めた。
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