二章 こころみ

―儀の始まり―

 もう何年前になるのか――
 日が南中し、やや西へ傾きかけた頃。狭い室内から暗闇を追い出そうと、一つしかない窓からひしめくように光が入ってくる。穏やかな風が部屋へと吹き込み、長い年月を重ねてすっかり白くなった髪を揺らした。
(八年前……か。あの少年がここへやってきたのは)
 正確ではなかったかもしれないが、正しい数字が必要だったわけでもない。重ねた時の数は覚えていなくとも、過ごした日々を忘れることはない。
 八年――少年にとってはそれまでの人生の半分だが、それでも充分な時間とは言えなかった。否、彼にとってはそれでも充分なのだろうか。
(オルテガの息子……オルテガと同じ血を継ぐ者。勇者たる宿命を負う者達)
 一目見てオルテガの息子と解った。外見的に特別似ているわけではない。勇者の魂は他のものとは輝きが違うのだ。それは血の宿命であり、世の必然であった。
『私に、バラモスを倒す (すべ) を学ばせて下さい』
 八年前の少年の言葉を思い出し、賢者ナジミは感慨に耽った。


     ×××××


 雄大にそびえる塔は、高さだけならアリアハンの城をゆうに越している。元は見張り台なのだから当然ではあるのだが、初めて間近に見たときは天にまで届いているのではなどと錯覚したものだ。
 洞窟を抜けてからは自分が先頭に立ってパーティを先導していた。シーザが入り口の扉まで歩みだすと、後ろの三人もそれに習う。いや、
「アリア」
 未だ塔を見上げたままのアリアへ呼びかけると、慌てた様子で駆け寄ってきた。少し頬を赤らめて言ってくる。
「遠くから見たことはありましたけど、近くで見たらこんなに大きいなんて思いませんでした。天まで届いているんじゃないでしょうか」
 思わず吹き出しかけるが、何とか平静を保つことには成功した。こちらの思考を読まれたような気持ちで、シーザは足早に門へ向かう。しばらく歩くと門前に人が立っているのが見える。彼はこちらに気付くと、大声を上げた。
「シーザ! シーザじゃないか!」
「ああ」
「どうしたんだよ、旅立ちからもう六日だぜ? 途中で魔物にやられちまったかと思って心配してたんだぞ」
「岬の洞窟から来たからな」
「はあ? 何でまたそんなトコから……」
 簡単な挨拶を交わすと、中へ通される。そのまま彼へ入り口で別れを告げると、シーザは塔の最上階に向けて再び歩みを進めた。
「オイ。シーザ」
 がしっ、と後ろから肩を掴んできたのはイクスだ。それにシーザは涼しい顔で返す。
「何だ」
「不穏な言葉を聞いたんだが」
「何か問題があったか?」
「『岬の洞窟から来た』って言葉に『何でまたそんなトコから』っつー返答を耳にしたんだ」
「それが?」
「ってことはだ、他にもっと楽に進める道があったってことじゃないか?」
 半眼で睨みやるイクス。やはりきたかと思ったが、シーザは敢えて淡々と返した。
「当然だろう。元々見張り台として建てられた塔へ行くのに、アリアハンから六日もかかるわけがない。城から塔まで直通する道があるさ」
「オマエな……だったら何でこんな面倒くせーことしたんだよ」
 抗議にシーザは足を止めると、イクスだけでなく三人に向かって言った。
「ルイーダの酒場でも言ったが、俺は先入観だけでパーティメンバーを決めるつもりは無い。言わばあの時の面接は一次選考。そしてアリアハンからここまでの道中、二次選考でこの先連れて行けるか判定させてもらった」
 それにアリアだけが、驚いた顔をする。グラフトもイクスも、試されているということは察していたのだろう。あちらから試してきたくらいだ。
「んで、結果は?」
「三人とも合格だ」
 イクスは皮肉気な笑みを浮かべる。グラフトは当然だというように頷く。アリアはホッと胸を撫で下ろす。
(俺を含めたこの四人で、必ずバラモスを倒す)
 不安が無いわけではない。しかし最善は尽くしたのだ。あとは、やるしかない。
(そして、必ず全員で生還する。誰一人として死なせやしない)
 シーザは心中でそう、誓った。



「あの、シズ様」
 塔は高い。そして、賢者ナジミの自室は最上階だ。上り始めてしばらく経つが、まだ半分といったところだろう。階段は塔の壁面に沿って螺旋状になっている。来るたびに思うが、この塔の設計者は機能性という概念を持ち合わせていなかったのだろうか。
「何だ」
 階段を上り続けながら、顔だけで振り向く。
「賢者様とは、どういった方なのでしょうか?」
 同じく階段を上りつつ、疑問を口にするアリア。そういえばしばらく前に、そんな質問をされていたことを思い出した。あの時は途中で魔物の襲撃にあったのだった。
「簡単に言えば、四大賢者の一人だ」
「四大賢者?」
「歴史上で、世界的な偉業を成した賢者四人の総称だ。世界最初の賢者、始祖賢者ガルナ。歴史上最強の魔法使いと言われる、魔導賢者シャンパーニ。道具に魔法を封じる法を見出した、封魔賢者アープ。そして、回復・身体強化などの様々な新しい魔法を発見した、守護賢者ナジミ。彼等はそれぞれ、ダーマ神殿から魔法の研究機関として塔を所持する権限を与えられている。ここもその一つだ」
「そんなに偉い方なのですか」
「ああ。賢者ナジミは回復魔法や防御・補助魔法のような、非戦闘用呪文を数多く発見し、発表した。今でこそ当たり前のように使われているが、彼の功績なくしては有り得なかったことだ。城や街に張ってある結界魔法もそうだ」
 ナジミによって回復魔法というものが発見されるまで、魔法は主に戦闘・戦争の道具、言わば殺しの術という意味合いが強く、生まれつき魔力の強い子供などは周りから嫌忌の目で見られることが少なくなかったという。そのイメージを覆す、傷を癒す・身を守る手段としての術として発表したことは、当時では一大改革だったらしい。それらはダーマ神殿の協力もあり、特に僧侶を中心として物凄い勢いで世界に浸透していった。発表から五十年余り経った今では、小さな村落でさえ教会があれば回復魔法を扱える神父がいる。
 また結界術の発見という意味でも、ナジミの功績の大きさを伺うことが出来る。バラモス台頭から十八年、今や世界中の至る所に跋扈する魔物達から城、街を守るために、ナジミは魔物などの邪悪な者を退ける結界を創り出す術を見出した。これが無ければ、魔王軍の侵攻が無くとも魔物の氾濫だけで世界は滅亡していたかもしれない。そういう意味では、人類の救済者とも呼べる。
 ただ、結界に関してはいくつかの欠点があった。まず魔法自体の難度が高すぎて、広範囲の結界術はナジミにしか扱えないこと。彼は東奔西走し各国の主要都市に結界を張ったが、流石に小さな村落までは手が回らない。おまけにナジミはアリアハン大陸そのものにも結界を張っている。そのおかげで、アリアハンは『世界で一番魔物の脆弱な場所』と成りえたのだが、同時に行使できる力が著しく限定されることとなった。
「凄い方なんですね」
「少なくとも、現存する賢者の中では最高の人物だろうな」
「んで、その賢者様とどういう関係なんだ? お前」
 イクスが横から口を挟む。
「さっきの門番と、やけに親しそうだったじゃんか。何度も足を運んでるんだろ?」
 彼の推理を、頷いて肯定する。
「八年前から、三日に一度は通っていた。バラモスを倒す (すべ) を得るために」
 そう言うのと、最上階に到達するのはほぼ同時だった。



 コン。コン。コン。
 三回のノックの後、静かに扉を開く。
 そこは、名だたる賢者のものとは思えないほど質素な場所だった。面積は手狭で、机と本棚を置けば余分なスペースはほとんど無くなってしまう。窓もたった一つだけだ。部屋の中央にある肘掛け椅子に、その人物は腰を下ろしていた。
 年齢はもう八十を超える筈だ。色を失った頭髪に長い髭。体をゆったりとしたローブで包んでいるが、額に賢者を象徴する (サークレット) はない。シーザはこれまで、この老人が環を身に付けている姿を見たことが無かったが、しかしそれは些細なことだ。環など無くとも、彼が賢者であることを疑うものなど居はしない。自分のようなお飾の勇者とは違うのだ。
 彼はただ目を閉じている。が、寝ているわけでないのは承知していた。
「賢者ナジミ。シーザです」
 いつも通りの挨拶を告げると、彼はゆっくりと目を開いた。
「シーザ。ついに、旅立つのか」
 瞼の下から澄んだ碧眼が現れる。八年前から何ら変わらない、全てを見通すような視線を真向から見返し、頷いた。
「彼らは?」
 ナジミが目線で背後を示す。シーザは迷うことなく即答した。
「私の仲間です」
「そうか……お前にも仲間が出来たか」
 感慨深げなそのセリフはまるで『友達の出来ない息子を心配する親』のようだと思い、苦笑する。いや、実際に自分の友人関係は希薄だったのだが。
 反れた思考を振り払うと、改めて賢者に目を向ける。もともとここへは、特に用事があって来たわけじゃない。三人を仲間にするか否か道中で判定するために目的地が必要であっただけだ。挨拶は済ませた。あとは、別れだけだ。
「賢者ナジミ。貴方に学んだこと、決して忘れません」
 勿論本心だった。彼がこのアリアハンに居なければ、現在の自分は有り得ない。感謝してし足りないくらいだ。
 それを聞いたナジミはおもむろに立ち上がると、シーザの両肩を掴む。向けられた視線に穏やかならぬものを感じて思わず息を呑む。彼はそのまま、重々しい口調で言った。
「……シーザ」
「はい」
「お前の心は、お前のものだ。お前の下した決断は他の誰でもない、お前の意思によるものだ。それを決して忘れるな」
 ナジミの言葉は、しかしシーザには意味が解らなかった。彼が無意味に言葉をかけるわけがない。何がしかの意図を含む筈なのだが。
「意味が解りかねます」
 疑問を返すが、彼は表情を変えず、
「いずれ解る」
 今は教えるに値しない、ということだろうか。ナジミがそう予見するのならば、それが違えることはあるまい。シーザは素直に「はい」と返すと、仲間達を促して退室する。
 シーザは扉に手を掛けると、一度振り返り、
「必ず、戻ります」
「ああ」
 一言残して部屋を後にした。


     ×××××


 勇者と仲間達が部屋を出て行く。閉じられた扉をしばらく見つめながら、ナジミは再び瞼を下ろした。

「儀が――始まる」

 呟きは風にさらわれ、誰の耳にも届くことはなかった。




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