二章 こころみ

―心、交える―

 グラフトが駆け、振るった剣が 魔物(モンスター) ――大アリクイの腹部を断ち割った。続くシーザがその背後にいたもう一匹の喉を貫く。それぞれ致命傷を与えた二人に残った三匹が襲い掛かるのに、彼らは示し合わせたように横へ跳んだ。そこへ、
「イオ!」
 イクスの構えた杖先から光球が飛ぶ。光球は大アリクイらに触れるや、爆発を引き起こした。その後には、吹き飛んだ魔物達の死体が転がるだけだ。
 一連の戦闘を、自分は後方で見ているだけだった。ただ安全地帯で、戦いの勝利と死者への冥福を祈るだけ。
(私は何のためにここへ来たの……?)



 勇者の旅に同行したい。最初にそれを告白した時、周囲のシスター、僧侶達から猛反対を受けた。
『あなたは優しすぎる……。戦いには向かないわ。戦いは命を奪い合う行為、つまり殺しの罪を犯すということなのよ。それを承知で言っているの?』
『行っても足手まといになるだけよ』
『無理! 絶対無理よ! 旅の生活がどれだけ大変かわかってんの!?』
『あんたドジだし、どっか抜けてるところがあるし……。悪いけど、こればかりは賛成できないわね』
『あなたの気持ちは解る。でも、人にはそれぞれ神から与えられた役目があるの。私たちの僧侶の役目は、神に平和の祈りを注ぐことよ』
『アリア、もし旅先でお前を失うようなことがあったら、私はお前の両親になんと詫びればよいのだ? そんなことを許可出来るはずがないだろう』

 どれも当然の言葉だった。でも、引き下がるつもりは無かった。

『承知しています。旅の中で命を奪う覚悟も、罪を負う覚悟も、罰を受ける覚悟もあります』
『足手まといになるのなら、役に立てるよう努力するまでです』
『無理かどうかはやってみなければ解らないわ』
『確かに私はドジだけど、それだって頑張れば改善出来る。御免なさい。引き下がるつもりは無いの』
『祈りは旅の中でも出来ます。私は少しでも、勇者様の助けがしたいのです』
『叔父様……私は、もうこれ以上魔王のために不幸になる人を見たくないのです。その気持ちはきっと、両親だって解ってくれると思います』

 旅立ちの日ギリギリまで反対していた叔父も、最後には『旅のメンバーに選ばれなかったら諦める』という条件で納得してくれた。選ばれるはずが無い、という算段もあったのだろう。かくいう自分も選ばれる自信があったわけではないのだが、挑戦する前に諦めたくはなかった。

 そしてアリアは選ばれた。念願を叶えたのだ。なのに――



 パーティは暗い洞窟を進んでいた。先頭にグラフト。その後ろにシーザ、アリアと続き、最後尾をイクスが務める。グラフトとイクスはそれぞれカンテラを手にしており、前後から暗がりを照らしていた。
「しっかし、いつになったら着くのかねー」
「まだ入ったばかりだぞ」
 不満顔で愚痴をこぼすイクスをシーザが諫める。
「洞窟はそうだけどさぁ……アリアハン出てからもう六日だぜ? 何でこんな面倒なトコに塔なんか建てんだよ」
「元々は世界暦制定以前に建てられた見張り台を、賢者ナジミが改修させたものだからな」
 その言葉にアリアは驚く。ナジミの塔はアリアハンの一つのシンボルのような存在だったが、それが建てられた年代や理由などはまったく知らなかった。つまり三百年以上も昔の建築物だったということか。
(そんな塔に住んでらっしゃる賢者様……一体どんな方なのかしら)
 『賢者』とは勇者と同じく、一種の名誉称号のようなものだ。溢れる叡智。絶大な魔力。そして大いなる功績。これらを手にした者にのみ、賢者の称号たる、中心に紅い宝玉の入った (サークレット) が与えられるという。その数は歴史上でも数えるほど。勿論アリアは、今まで賢者と呼ばれる人物を目にしたことは無い。
「シズ様。その賢者様というのは――」
「敵だ」
 言葉を遮り、彼は抜剣した。前方を見やると、巨大な蛙の魔物――フロッガーが三体、行く手を阻んでいる。魔物達は敵意を剥き出しにして、今にも跳びかからんばかりだ。
 グラフトは既に攻撃を仕掛けていた。大きく振りかぶった剣の一振りであっさりと一体が屠られると、動揺した残り二体にシーザとイクスの攻撃が降り注ぐ。
 わずか十数秒。またしても決着はあっという間だった。
「この辺の魔物はやけに弱いよな」
 杖の石突で地面を叩きながら、イクス。軽い口調には、疲労など欠片も感じさせない。
「アリアハン大陸は、魔物が最も脆弱な所だろう」
 床に置いたカンテラを拾い上げながら、グラフト。息一つ乱していない。
「賢者ナジミが強力な結界を張っているからな」
 剣を背の鞘に収めながら、シーザ。若干肩を上下させているものの、表情には表れていない。
(皆、強い……)
 魔物が弱いということもあるのだろうが、それを差し引いても三人の実力が相当なものであることはアリアにも分かった。そしてその中で自分が何の役にも立っていないことも。
(結局私は祈ることしか出来ないの? これじゃ教会に居るのと変わらないじゃない……)
 手を組み合わせ黙考する。それにふと、シーザが振り返った。彼の仕草に気付いたイクスが怪訝そうに問う。
「どうした? シズ」
 言葉に、先行していたグラフトも振り向く。シーザは考えこむように口元に手を当てると、おもむろに左手の手袋を外す。視線はアリアへと向いたままだ。意図の解らない行動に戸惑っていると、彼は突然右腕を振り上げた。
 次の瞬間、まるで手品のように、さっきまで何も無かったはずの右手にナイフが握られていた。イクスは感心するように、あるいは呆れるように呟く。
「隠しナイフかよ……勇者のクセに」
 シーザはナイフの鞘を外す(指一本で外せる形状になっていた)と、それを逆手に構える。周囲の怪訝な眼差しには答えず、彼はそれをおもむろに左手に突き刺した。
「!!!」
「なっ」
「うげ」
 アリアは思わず小さく悲鳴を上げた。ナイフは掌を易々と貫き、その刃は根元近くまで食い込んでいる。見る間に溢れ出る鮮血が、地面を赤く濡らした。
「イカレてやがる」
 シーザは激痛に顔を歪めるが、殆んど乱れの無い口調でアリアへと呼びかけた。
「癒してみせろ」
「は……はいっ!」
 彼の行動の意図は解らないものの、アリアは慌てて駆け寄った。シーザの血で濡れた左手を、触れるか触れないかの間合いで両手で包み込む。動揺を抑え、精神を集中させ、魔力を掌へと集結させると、そのまま呪文を唱えた。
「ホイミ!」
 言葉と共に、シーザの左手が淡い光に包まれる。僧侶の得意とする治癒の呪文だ。
(精霊神ルビス様、どうか彼の者をお救い下さい……)
 胸中で祈りの文句を唱える。果たして神への祈りが通じたのか、傷はみるみる内に塞がっていった。それに押し出されるように刺さっていたナイフが地に落ちる。
 光が収まった後には、左手の傷は跡形も無く消え去っていた。
「ふむ。なかなかのものだな」
 シーザは左手を確認しながら、感心したように言ってきた。しかしアリアはそれを喜ぶことなど出来ない。
「シズ様! 自分で自分を傷つけるなんて……」
 アリアの戒めを、しかしシーザは左手で制した。
「お前の回復呪文の力がどの程度のものか、確認する必要があった。パーティ全員の実力を把握していなければ、作戦も立てられんからな」
「だからって、あそこまでなされなくても」
「たいした怪我じゃないさ。この先のことを考えれば、な」
 彼はナイフを拾い上げると、何事も無かったようにさっさと歩みだした。



「もうすぐだ」
 洞窟内は、カンテラを必要としない程に明るくなっていた。出口が近い証拠だ。長い時間洞窟に潜っていると時間間隔がおかしくなってくるが、早朝に出発したのだから時刻はだいたい正午過ぎといったところだろう。
 出口へ向かう間にも魔物が襲い掛かってくるが、それらもあっさり蹴散らす。アリアはと言えば、やはり何も出来ないままだ。せめてもと命果てた魔物達へ鎮魂の祈りを捧げる。
「優しいねぇ」
 顔を上げると、イクスが目元を緩ませて笑んでいた。いつも飄々とした態度を崩さない彼だが、からかっている訳でないのはこの数日間で承知していた。旅慣れていないアリアを真っ先に気遣ってくれるその青年に、笑顔を返す。
 と、再びシーザがこちらを見つめていた。先程の出来事を思い出し気構えるアリアへ、何かを放ってくる。慌てて受け止めたそれは――大振りのナイフだった。
 疑問符を浮かべてシーザを見やると、彼はアリアの左手の方向を指差した。その先に居たのは……額に鋭い角を持つ兎の魔物、一角兎だ。肩口から胸元までを斬り裂かれているものの、まだ息はあるようだった。先程の戦いで運良く生き残ったのだろう。視線を再びシーザへ戻すと、彼はあくまで淡々と言った。
「殺してみせろ」
「……!」
「んなっ……」
 思いもよらない言葉に絶句した。ゾッと全身を寒気が襲い、胸が締め付けられたように苦しくなる。立ちすくむアリアに変わり、イクスがシーザに詰め寄った。
「てめぇ! トチ狂うのも大概にしろっ! よりにもよってアリアちゃんに――」
「待て、イクス」
 イクスの猛烈な抗議を、グラフトが横から制止した。
「何でだよ!」
「いいから、見ていろ」
「っ……!」
 納得いかないイクスはしかしグラフトの拒絶を許さない眼差しにあてられ、不承不承ながら沈黙した。
 その一連のやりとりを黙殺し、シーザは言葉を続ける。
「この魔物を殺してみせろ。それが出来ないのなら、アリアハンへ帰れ」
 ドクン。心臓が高鳴る。渡されたナイフの重みがぐっと増したような気がした。
「慈しみの心は人間として大切なものだ。が、同時に戦いとは相反する。命を奪う覚悟が無い者を、この旅に連れてはいけない」
 体が震える。鼓動はますます激しくなる。それを抑えるように、アリアは胸に手をあてた。倒れる魔物に目をやる。一角兎は苦悶を浮かべ、息も絶え絶えという様子だった。
(殺す……この魔物を……。でないと置いていかれる……)
 ナイフを持つ手に力が入る。その様子を、シーザは真っ直ぐ見据えていた。澄んだ黒い双眸。強く、深い眼差し。
 アリアは息を呑むと、それを決然と見つめ返し、はっきりと言った。
「出来ません」
 視線がぶつかる。彼の表情は、少しだけ変わったように見えた。それが何なのかまではまだ解らなかったが。
「命を奪うことが怖いか?」
「怖いです。でも、それが理由じゃありません」
 そう、自分の気持ちは既に固まっていた。それが例え勇者の言葉であっても、この意思を曲げることは出来ない。
「旅立ちを決めた日から、命を奪う覚悟はしてきました。でもだからといって、奪わなくてもいい命を奪うつもりはありません。この魔物にはもう戦意はありません。だから、殺せません」
「置いていかれることになっても、か?」
 その言葉に、一瞬胸がつまる。アリアは、言葉を搾り出すように答えた。
「……はい」
 言ってしまった。もう後戻りは出来ない。シーザは変わらず、こちらを見据えている。アリアは瞬きすら忘れて見つめ返す。
 場に張り詰めた緊張。それを破ったのはシーザだった。
「……それだけの覚悟があるなら、俺にそれを強制させることは出来ないな」
 そう言って相好を崩すと、アリアの肩に手を置き、
「いいだろう。合格だ」
(合……格……)
 その言葉が意味することを覚り、アリアは緊張の糸が切れてへなへなとその場に座り込んでしまう。目には涙すら滲んでいた。イクスが慌てたように駆け寄るが、それより先にシーザが右手を差し伸べた。
「出口は近い。行くぞ」
 アリアはそれをしっかりと掴むと、少し上ずった声で答える。
「はい……。ありがとう、ございます」

 暗い洞窟を抜けると、そこには光が溢れている。アリアはそれを、神に感謝した。




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