二章 こころみ

―剣、交える―

 勇者オルテガとの出会いは十年前、グラフトがまだ駆け出しの船員だった頃だ。当時既に英雄として名を馳せていたその男に自分は憧れ、剣を教えてもらえないかとひたすら頼み込んだ。彼は船を手に入れられるまでの期間であればいくらでも構わない、と快諾してくれた。その時の喜びは今でも忘れられない。オルテガの懐の深さに大いに感激したものだ。
 約一季間、グラフトはオルテガに師事することを許された。その間の交流で、自分の価値観が大きく変わっていくのを感じた。
 オルテガは豪快であり、冷静であり、情に厚く、勇敢であった。不思議な魅力を持つその男は、場に居るだけで周囲の空気を変えてしまうような一種のカリスマ性があった。祖国の人間で彼を嫌う者は――少なくとも知る限りでは――居なかったし、何より共に時間を過ごすことで最も影響を受けたのが他ならぬ自分自身だったのだ。
 だから勇者オルテガはグラフトにとって、剣の師であり人生の師もであった。彼が国から去った後冒険者となった自分は、いつかオルテガの役に立つことを夢見て剣を振るってきたと言っても過言ではない。
 勇者オルテガの死を聞かされた時、自分はそれを唯の戯言と聞き流した。彼が、あの英雄が志半ばで倒れる筈がない。あの一季間の体験がそう確信付けていた。
(それは今でも変わらない。今でも俺は、勇者オルテガの死が信じられない)
 グラフトはオルテガを探し出す旅を始めた。しかしその旅を始めて一季も経たない内に、自分にとって大きな転機が訪れる。
 アリアハンより、オルテガの一人息子が旅立ちを宣言したのだ。
 これだ、と思った。自分はこのために今まで、戦士として生きてきたのだと。それからは、来るべき旅立ちの日に向けてより一層の精進に励んだのだった。



 ルイーダの酒場を出た四人はそのままアリアハンを出立した。その間勇者は「このまま出発する」の一言しか発しておらず、グラフト、イクス、アリアの三人は流されるままに付いていくだけだ。
 アリアハンとは、国の名であり都市の名でもある。アリアハン国。その国王ゼフィリア・クロクス・アリアハンの居城、そして城下町を含めたアリアハン国の主要都市もまたアリアハンと呼ばれるのだ。一行は今、王都アリアハンを囲む防壁の外、少し離れたところにいた。
「なあ」
 呼びかけに先頭を歩く少年――シーザは振り向く。
「何の説明も無しにそのまま出立は無いんじゃないか?」
 金髪の魔法使い、イクスはどこか試すような眼つきでシーザを見やった。
「何か問題があるか?」
「いや、準備とかさ」
「酒場に来た時点で出立の準備はしていたのだろう。それ以上何を用意する」
 それにイクスは、浅葱髪の僧侶、アリアを指して、
「こちらのお嬢ちゃんは武器も持ってきていないみたいだけど?」
「使えもしない武器など、重荷になるだけだ」
 アリアは遠まわしに責められたと思ったか、落ち込んだように目を伏せる。それに気付いてか、シーザは再び前方を見据え呟いた。
「……自分に出来ることをすれば良い」
 少女は安堵を浮かべる。どうやら感情が表に表れやすい性格のようだ。
(この少年とは違って、な)
 グラフトは胸中で嘆息した。少年を見やる。
 黒髪黒目、旅装に身を包んだその体はまだ未成熟で、女性のように細い。端正な顔立ちに表情は浮かんでおらず、感情の起伏が一切見られない。オルテガとはまるで正反対だ。オルテガの息子、そう聞いて想像していた人物像とはかけ離れた印象だった。
(だが、オルテガの息子であることに違いは無い。ならば……)
「待て」
 前進しようとしていたシーザは再び振り向いた。自分の方へ。
「手合わせ願う」
 グラフトは彼を真正面に捉えると、剣の柄に手をかけた。
「えっ……あの、どうされたんですか?」
 うろたえるアリアには答えず、シーザも向き直る。
「いいだろう。但し鞘打ちだ。依存は無いな」
「ああ」
 それぞれ剣帯を外すと、鞘に納まったままの剣を構える。
「お二人とも、止めてください! 仲間同士で争いなんて……」
「まあまあアリアちゃん落ち着いて」
「でも……」
「『仲間』として認め合うには、こういうことも必要なんだって」
「………」
 イクスに諭され、アリアは黙り込む。そのまま対峙する二人を不安げな様子で見つめた。



 グラフトは幅広の長剣を右手に、鉄製の盾を左手にそれぞれ構える。長剣の柄は長く、片手でも両手でも扱えるものだ。もう何年も使っている、既に体の一部といっていい愛剣である。
 対峙するシーザを観察する。彼も右に剣、左に盾を装備していたが、盾は自分の持つものと違いかなり軽量のようだ。外観から察するに、表面に硬いウロコを貼り付けた盾―― 鱗の盾(スケイルシールド) だろうか。彼は右手で剣先をこちらに向け、それに左手を添えている。妙な構えだった。両手で剣を使うのであれば、始めから両手で構えれば良いのだ。
(どういうつもりか分からんが、お手並み拝見といこうか)
 グラフトが気構えたその刹那、シーザは前挙動無しの突きを放ってきた。虚を突いた攻撃をとっさに剣で受け流す。並みの剣士ならば、この不意打ちだけで仕留められていたかもしれない。
 シーザは流された剣を手元に引き寄せると、今度は真横に薙ぐ。それを半歩身を引いてやり過ごすと、少年は返す刀で斬り返してきた。次々に繰り出される斬撃を、あるいは剣で、あるいは盾で回避する。
(妙な戦い方をする)
 彼は斬りかかる際、両手で勢いをつけ片手で振り抜いている。恐らくは、自らの腕力の無さを補うためのものであろうが、両手で扱わない道理が無い。
 剣と剣が合わさった瞬間、反動をつけて押し返す。体重の軽いシーザが押し負けて数歩後退するのを見て、グラフトは反撃に転じた。
 振り上げた剣を、シーザの脳天に向け真っ直ぐ振り下ろす。真剣ならば鉄製の盾をも両断できる勢いだ。鞘打ちとはいえ、頭に直撃すれば即死しかねない。少年はそれに斜めに構えた剣を合わせると、勢いを殺しつつさばいた。標的を失った剣はそのまま大地を打つ。
 攻撃はまだ続いていた。逸らされた剣を今度は斜め上に斬り上げる。シーザはそれを盾で方向を逸らし、またもかわしてみせた。
(上手い)
 絶妙の受け流しだ。こちらが手加減しているとはいえ、一撃一撃の攻撃力を完全に殺している。優れた動体視力、血の滲むような鍛錬、そして才能。三拍子揃っていなければ出来ない芸当だ。
(鍛錬は怠っていないし、頭も良い。それに何より才能がある。が、それに体が追いついていないな)
 確かに才気溢れる剣だが、それを充分に発揮するための体がまだ出来上がっていない。今はそれを何とか誤魔化し誤魔化しやっているといったところか。それにまだまだ実戦が足りない。勿論それらはこれから身に付ければ良いのだが……。
(が、手加減している俺に一本も取れないようであれば、この先付いていくことは出来ん)
 実力差から言えば無茶なこととも思えたが、それを覆すだけのものが無ければ到底魔王に立ち向かうなど不可能だろう。グラフトはそう考えていた。
「どうした! 防いでばかりでは勝てんぞ!」
 一声に、しかしシーザに表情は無い。いや……、
(何かを狙っている?)
 攻撃を防ぎつつも、視線は絶えず何かのタイミングを計るようにこちらを見据えている。
 と、何度目かの攻撃を受け流した瞬間、シーザは反撃に転じた。袈裟懸けに振ったこちらの剣をさばくと、そのまま体を捻ってカウンターの突きを放ってくる。
(甘い!)
 その突きに合わせてグラフトは左の盾を構えると、思いっきり横に払った。衝突の瞬間、力で劣るシーザの剣は真横に弾かれる。おまけに体勢を崩した。完全な隙だ。
(もらった)
 シーザは左手を突き出すが、盾で防げる体勢じゃない。グラフトは勝利を確信して剣を振った。
 しかしその刹那、
「メラ」
 突き出したシーザの掌より握りこぶし大の火球が生まれると、それが真っ直ぐこちらへ飛んできた。真っ直ぐ、顔面に向けて。
「!」
 とっさに首を曲げる。紙一重、火球は頬を焦がすだけに留まった。しかしそれは、こちらの体勢を崩すには充分だった。シーザはその隙に剣を引き戻すと、それを喉元に突きつけてくる。
 彼は勝ち誇るでもなく、淡々と告げた。
「勝負あり、だ」



「勝負あり……だと?」
 剣を喉元に突きつけられたまま、グラフトは唸るように言った。
 油断は確かにあった。自分とシーザの力の差は明らかだったし、何より戦士として十年生きていたという自負もある。負けるつもりなど無かった。
「これが真剣であれば、お前は死んでいる」
「だが! 魔法を使うなど……」
 そう、彼は魔法を使ったのだ。そうでなければ自分が負けることなど無かった。
 抗議の声に、少年は突きつけた剣を下ろし淡々と返す。まるでこういう言い合いになることを予測していたかのように。
「俺は鞘打ちだと言っただけだ。魔法を使用しないなどと一言も口にしていない」
 それにイクスが横槍を入れてくる。
「けどさー、流石に顔面はやばいんじゃないの? 下手したら死ぬだろ」
「あれを避けられない人間に前線は任せられない」
 シーザの言うことはいちいちもっともだったが、それだけにグラフトはこの結果に納得いかなかった。鞘打ちとしか言っていないとは言えど、それは命のやりとりはしないという暗黙の了解ではないか。それを逆手に取って奇襲するなど外道だ。勇者のやりくちとは思えない。
(これが……オルテガの息子か!?)
 憤りを顕にする自分に、シーザは落ち着いた口調で語りかけてきた。
「剣を交えずとも、お前が俺より強いことは解っていた。自分より強い相手を倒すために一計を用いるのは当然だろう。勝つためにはな」
「勝つためには何をしても許されると思っているのか」
「目的と手段のバランスさえ保たれていれば、な。勝たねばならない戦いを制するには、正攻法ばかり選んではいられない。俺はバラモスに『勝つ』ために旅を始めたんだ。バラモスと相対した時、例え相手より力量が劣っていたとしてもだ」
「………」
「バラモスを倒さねば世界に先は無い。話はそれだけだ」
 そう言って向けられた眼差しは――認めたくはなかったが、オルテガそのものだった。




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