一章 鳥が羽ばたく
―選びし者―
十。それが最終的な数字であった。
朝から昼への境目に当たる、そんな時間。その酒場には十人の客と一人の店主が居た。この時間帯の酒場にこれだけの客が集まっているのは、別にアリアハン国民が特別に怠惰だとか、酒豪が多いという訳ではない。ただ、この場所が特別なのだった。
(さて、果たしてこの中にあの
男
のお気に召す人材がいるのかしらね)
酒場の女店主ルイーダは、どこか悪戯っぽい微笑を浮かべた。
野にある魔物の退治。旅の護衛。遺跡、洞窟の探索。未開地の開拓……。それらを目的に街の外へと旅立っていく猛者――冒険者のため、初代店主ルイーダ・サフランによって創設された冒険者補佐機関。それがこの『ルイーダの酒場』である。冒険者への情報提供は勿論、依頼の斡旋、仲介。冒険者間の交流促進も促している。創設から百年余。今では「冒険者の中で『ルイーダの酒場』を知らぬ者はモグリだ」と言われるほどの知名度を誇り、全国の冒険者の聖地とも呼ぶべき存在となっている。
その十五代目店主、それが自分だ。
ボリュームのある青紫色の髪を背に流し、白く、それでいてどこか鋭さを醸す肢体を薄紅色の着衣で包んでいる。この衣装は初代店主が身に着けていた物とまったく同じデザインで仕立てられたもので、ルイーダの名とともに代々受け継がれていた。勿論、初代から今まで店主は例外なく女だ。
酒場は昼夜問わず多くの人間が集まっていたが、しかし今日に限っては特別だった。今日ここに集まった人間は、いずれも同一の目的で全国から馳せ参じたのだ。酒場は喧騒に包まれていたが、それと同じくして、形容し難い緊張が漂っている。
十。多いと見るか。少ないと見るか。
「――で、見たことあるのカネ?」
「いや、無い。俺は毎日
酒場
に来てるが、一度として見かけたことが無いぞ? 普通に考えたら、毎日足を運んでいても良さそうなものじゃないか」
「今日で成人なのデショウ。それはムリというもの」
喧騒の中からそんな会話が漏れ聞こえた。恐らくは彼の事だろう。確かにあの男は酒場にはあまり立ち寄らない。来たとしても朝。店を開ける前がほとんどだった。もっとも理由は未成年だからという殊勝なものではなく、単に酒と煙草の匂いが嫌いだからだそうだが。
先ほどの会話に割り込む形で、別のテーブルの男が口を開く。
「俺は見たことあるぜ。何か陰気そうな……ほそっこい優男だった。あれが本当に勇者オルテガの息子か、って疑いたくなるくらいな」
「ふぅん。……実際、どんな奴なんですか? ルイーダさん」
先に話していた方の一人がこちらに話を振ってくる。それにルイーダは微苦笑を浮かべ、
「そうね……。一筋縄じゃ行かない
男
よ。その辺りは覚悟しておいた方が懸命かしら」
そう言うと同時、入口の扉が音を立てて開かれた。
喧騒が途絶え、十一人の視線は一斉に扉へと注がれた。
入ってきたのは想像通り彼――シーザだった。旅装束に包まれた姿は、なるほど、若き日のオルテガを思わせる。容姿はどちらかと言えば母親似であったが、全身から放つ雰囲気は父親そっくりだ。
シーザは冒険者達に目を走らせると、無言でカウンターの端に座る。そのまま、
「ルイーダ。茶を」
言った言葉に、酒場全体がぎょっとなる。無理も無い。ルイーダの酒場店主と言えば、冒険者の畏敬の的だ。だから年齢に関係無く冒険者であれば「ルイーダさん」やら「姐さん」と呼ぶ。間違っても呼び捨てなどしてはいけないというのが、冒険者間での暗黙のルールだ。
だがシーザは特別だった。もともとオルテガと親しかったため、ルイーダはシーザの出産に立ち会ったこともあるほどで、言わばシーザは、年の離れた弟のようなものだ。だから普段も互いに呼び捨てだったし、『ルイーダ』を襲名してからは、酒場では「ルイーダ」の名で呼んでくる。
「酒場に来てお茶を注文するなんて、冒涜もいいところね。今日からお酒飲めるんでしょ?」
「脳を侵す液体を摂取する気は無い」
「営業妨害に来たわけ?」
そう返しつつも、ルイーダは笑顔を浮かべていた。この
弟
は勇者になっても何も変わっていない。
シーザは出された紅茶に口をつけると、背後を見やって、
「これ、全員が?」
「ええ。皆、魔王討伐を志願してやってきた冒険者達よ」
オルテガの悲報が届き、シーザの旅立ちが決まった時。アリアハン王は来るべき出立の日に向けて、全国各地へ勇者の旅立ちを宣言した。それは絶望に包まれる者達に希望を与えると同時、勇者の仲間を募るためでもあった。だからここに居る十人は、魔王討伐を志した冒険者達なのだ。
「それで、何人くらい連れて行くつもり?」
「有能な人間がいるならばいくらでも連れて行くし、いなければ一人でも行くさ」
さらりと言うと、シーザは紅茶を飲み干し、立ち上がる。そのまま今度は空いているテーブルに着き、淡々と告げた。
「今から面接を行う」
「面接だって?」
「旅に同行させ得るか否かを判定する。誰からでもいいから来い」
挑発的とも取れる物言いに、何人かがむっとした表情をする。それに、
「へェ……つまり偉大な『勇者様』が凡人である私共を審査して下さるという訳ですか?」
冒険者の一人――金髪の男魔法使いが、明らかに皮肉めいた声を上げる。
しかしシーザは眉一つ動かさず、返した。
「人命を左右する問題だ。必要な措置だろう。それとも第一印象だけで判断しろと?」
「いえ、光栄に痛み入る次第で御座います」
男が恭しく頭を垂れる。シーザは何事も無かったかのように無反応。場に嫌な緊張が漂う。
と、その緊張などまるで気付いていないかのように、大男然とした戦士がシーザの向かいの席にどかりと座った。先程の会話で、シーザのことを優男呼ばわりしていた男だ。
「俺はガルガ。巷では『烈腕』のガルガと呼ばれてる。見りゃ解るだろうが、戦士だ」
にやにやとした笑みを浮かべつつ、簡単な自己紹介をする。しかしシーザはそんな事には興味は無いとでも言いたげに、
「何故志願した?」
そう訊いた。ガルガは待ってましたとばかりに、威勢良く返す。
「もちろん、世界を救うためさ。俺はアリアハンでは少しは名の知れた冒険者でな。この鉄の斧で何匹もの魔物をぶち殺してきた。頼りになるぜぇ」
右手の斧を掲げて見せる。ルイーダの酒場ではその特性上、武器の持込を許可していた。勿論、使用は固く禁じられているが。
ガルガの事はよく知っていた。『少しは名の知れた冒険者』ではある。しかし言い換えれば、『少ししか名の知られていない冒険者』だ。『烈腕』などと仰々しい二つ名を誇ってはいるが、実際はアリアハンの中で護衛や魔物退治を行う程度の、そこそこのレベルの冒険者だ。一応二つ名は自称では無いらしいが。さしずめ、慢心した英雄気取りの男と言ったところか。
「解った。次」
「あ? もう終わりかよ」
「ああ。次」
気勢を削がれた様子で席を立つ。ガルガのことをシーザに話したことは無かったが、あれだけの時間で器を見切ったらしい。どうやら勇者のお眼鏡には適わなかったようだ。
「じゃ、次はアタシね」
鋭く、それでいて冷たい声音が響く。シーザの真向かいに座ったのは褐色の肌をした女盗賊だ。彼女は今日初めて登録したため素性は知れないが、物腰一つ一つを見れば相当の実力者であるのが解る。何より、先ほど酒場の奥からテーブルまで歩くのに物音一つ立てていなかった。
「エリッサ・スパニエル。これだけで何者か解るんじゃない?」
女はどこかシーザを試すように名乗る。それに、
「ちょっと、登録名と違うわよ」
ルイーダは横槍を入れる。彼女の登録名は『ネイル・レティ』だ。つまりは偽名を使っていたことになる。ネイル――エリッサを睨みやると、平気な顔で肩をすくめて見せた。
エリッサ。聞いたことのある名前だ。他の冒険者達も、何か思い出すような仕草を見せる。確かエリッサ・スパニエルといえば……、
「盗賊バコタの相棒か」
「!!!」
あっさり言うシーザの言葉に皆、思わず絶句する。偽名を使うはずだ。名前を聞けば三人に一人は思い当たるだろう。
二年前このアリアハンを騒がせた盗賊、それがバコタだった。武器屋の商品から貴族の財産、果ては王宮の財宝まで盗み出し、莫大な懸賞金を懸けられた大盗賊だ。それが捕らえられたのがつい半年前。宮廷の宝物庫を漁っていた所を警備の兵に見つかってお縄と、アリアハンを騒がせた盗賊も最後はあっけなかったと言われたものだが……。
エリッサはシーザの言葉に、心外だとでも言うように表情を歪めた。
「
元
相棒と言って欲しいわね」
「それはそうだろうな。何しろ、その相棒を陥れたんだから」
そう。バコタが捕らえられたのは、他ならぬ相棒――エリッサの裏切りによるものだった。もともと直接盗みに入るのがバコタ。エリッサは盗みに入るためのサポート役だったのだ。そのエリッサが、宮廷に盗みに入ったバコタのことを警備の兵に密告したため、大盗賊と呼ばれた男はあっけなく捕まることとなった。
(その裏切った相棒が、何でこんな所に?)
「どうかしら。盗賊としては一流のつもりだけど」
「確かに実力は申し分無いな」
サポート役とはいえ、あのバコタの相棒だった女だ。盗賊として必要な
技能
は全て習得していることだろう。確かに盗賊の仲間としては申し分無い。が、
「馬鹿な。お前には懸賞金が懸かってるんだぞ。そんな奴が勇者の旅に同行など出来るか!」
先程の会話でルイーダに話しかけてきた男――黒髪の魔法使いが叫ぶ。そうなのだ。バコタが相棒の存在を吐いた時から、エリッサにもバコタ程ではないにしろ多額の懸賞金が懸けられている。
「なら、捕まえてみる? 言っておくけれど、ここにいる全員が束になってかかってきても逃げきる自信はあるわよ」
挑発的に言う。その言葉に何人かがエリッサに向けて身構えた。が、シーザはその言い争いを無視し、
「何故志願した?」
ガルガにしたものと同じ質問をした。エリッサは心なしか表情に陰を落として答える。
「アタシは……この盗賊としての技能を、魔王退治に役立てたいと思っただけよ」
「『魔王討伐』によって罪を償いたい――ということか?」
「違うわ。アタシは自分の力を、世界を救うことで証明したいの。そのためには、魔王退治くらいしないと駄目なのよ」
そう言ってシーザを見つめる。それはとても手配犯とは思えない、真っ直ぐなものだった。
「解った。次」
それにシーザは何の感慨も得ない様子で促した。
「んじゃ、次俺ね」
エリッサが席を外れるのを待って、今度は金髪の魔法使いが座った。男は優雅に足を組んでみせると、先程の慇懃無礼な態度は何処へやら、さばさばとした口調で話しかける。
「俺の名前はイクス。見ての通り魔法使いだが、これになる前は遊び人だった。その前は武闘家。そのまた前は盗賊やってた」
「三回も転職しているわけか。理由は?」
「なんだか性に合わなくてね。けど、今の職業は割りと気に入ってるぜ」
薄笑いを浮かべつつ、軽薄な調子で語る。真剣さに欠けた態度に、何人かの冒険者が顔をしかめるのが見えた。
「何が出来る?」
「初等魔法を一通り。他の職業での経験もあるから、そっちの面でも役に立つかもな」
初等魔法とは、攻撃、補助、回復の中で最も初歩的な呪文のことを指す。魔法使いであれば、火炎、氷結、閃光、爆裂系の初歩呪文と、移動、補助呪文を幾つか、といったところだ。
「何故志願した?」
三度シーザは同じ質問を繰り返す。それにイクスは、やはりヘラヘラとしながら返した。
「別に。何か暇だったし? 面白そうだと思ってね」
「ふざけるな! お遊びのつもりか!? これは命懸けの旅なんだぞ!」
先程エリッサに怒鳴った黒髪の魔法使いが、今度はイクスに絡む。男の激昂した様子にイクスは、
「おいおいそんなに怒るなって。別にそれであんたに迷惑かけたわけじゃないだろ? 皆が皆、あんたみたく理想に燃えて来てるわけじゃ無いしさー」
苦笑しながら言う。男はますます怒気を強めたが、それに水を注すようにシーザが、
「解った。次」
やはり先程と同じ言葉を繰り返した。イクスは一度、シーザに一瞥をやってから立ち上がると、さっさと元のテーブルに着く。男は気勢を削がれた様子だったが、やがてシーザの向かいに腰を下ろした。
「レプター・アイマン。魔法使いだ。魔法はベギラマを習得している。先程の魔法使いよりは幾分か役に立てるつもりだ」
イクスの方に視線をやって、皮肉を言う。イクスはただ苦笑するだけで、何も返しはしなかった。
ベギラマ。初等魔法であるギラの一つ上ランクに位置する閃光系呪文だ。初等魔法より高度の集中と高い魔力を必要とする。これが扱えるということは、なるほど。大口を叩くだけのことはあるだろう。
レプターはシーザが口を開く前に、続けた。
「志願した理由は唯一つ、世を混沌に陥れた魔王を倒して、世界を救うことだ」
力強い言葉に、僅かにシーザが目を細めたように見えた。
「解った。次」
しかし次の瞬間には、またいつもの無表情に戻っている。気のせいだったのだろうか?
次に立ち上がったのは、赤髪の男戦士だった。屈強な肉体は、一目見て鍛え抜かれているのが解る。ガルガとは、発する威圧感が違う。間違いなく一流の戦士だ。
「グラフト・オデュッセ。戦士をかれこれ十年間やっている。最も愛用する武器は剣だが、斧、槍も扱える。前線での活躍を約束しよう」
自信に満ちた声が、彼の迫力を一層際立たせる。戦士歴も長いし、実力は申し分無いだろう。かくいうルイーダも、シーザに推薦しろと言われたらこの男を薦めるつもりだった。しかも彼は……、
「私は剣を勇者オルテガに学んだ」
今度は間違いなく、シーザが目を細める。冒険者達も瞠目した。オルテガはアリアハンのみならず、世界的に周知な英雄である。この志願者の中にも『オルテガの息子』が旅立つ、と聞いてやってきた者も少なくないだろう。しかもシーザにとっては、死んだ実の父親だ。
「一季の間ではあったが、私はその間に多くの事を学んだ。その恩義を返すため、私は戦士になることを決意したのだ。だが――」
グラフトは痛みを堪えるように目を伏せ、
「オルテガ殿は亡くなられた。だから私は、息子である君の旅に同行することでこの恩義を返したい。勇者オルテガから授かった力で、魔王を倒したい。そのために今日、ここに来た。それが理由だ」
猛々しい眼差しでシーザを見つめる。それを無表情に見返しながら、シーザは決まったセリフを吐いた。
「解った。次」
今度は三十過ぎの商人風の男だった。頭にターバンを巻き、口には髭を蓄えている。
「ワタクシはブランと申すアッサラームの商人。商人続けて十五年。朝から晩まで商売商売の毎日。そんなワタクシの夢は世界最高の秘宝を見つけることデス。秘宝といっても伝承だけでも世界各地に幾百ありき。賢者アープの傑作『雷神の剣』。神器の名を持つ『ガイアの剣』。『ラーの鏡』。ピラミッド最奧に眠るとされる『黄金の爪』。エルフ族の至宝、『夢見るルビー』等々、数え上げればキリが無し。それら秘宝の中でも最高のモノを見つけ出すこと、それがワタクシの生き甲斐。しかしそんな秘宝が簡単に手に入るハズが無し。そこで、勇者の旅に同行すれば世界各地に眠る秘宝に出会えるのではないか、とワタクシは考えマシタ。よってこの旅に同伴させてイタダキたく参った所存」
立て板に水が如き口上を発するブラン。それに反比例するように、言葉少なにシーザは返す。
「何が出来る?」
「ワタクシの専門分野は武器・防具。それらに関する知識は勿論、扱いにおいても並の戦士に退けはトリませぬ。それは武器・防具を誰よりも理解しているため。商売柄、道具に関する知識も豊富でアリマス。店頭での値引き交渉もお手の物。各地の商人仲間とも幅広い交流があるため、情報源も豊富。さらには――」
「解った。次」
放っておいたらいつまでも続きそうなその口上を、シーザは即座に打ち切った。
「宜しいかな?」
ブランが席を立った後、僧服を着た壮年の男が冒険者達に声をかける。十人の中で最年長であるその男は、黒地に銀の紋様が入った、このアリアハンでは滅多に見ることのないバール教の聖服を身に着けている。
残り三人の冒険者達から異論が挙がらないのを認め、男はシーザの向かいに座った。
「私はクローディオル。雷神バールに仕える僧侶だ。初等魔法に加え、バギマが扱える」
魔法使いと僧侶では、呪文の性質の違いから、初等魔法の範囲も異なる。僧侶の場合は回復呪文、真空呪文、補助呪文の初歩的なものが初等魔法に分類される。バギマとは、真空呪文であるバギの上位呪文だ。かなりレベルの高い僧侶と見ていいだろう。
「何故志願した?」
シーザの問いに、クローディオルの眼つきが平静なものから一転、険しくなった。場の空気が一気に緊張を増す。それは僧服の男より発せられる、殺気によるものだった。
「私はバラモスが現れるまでの二十一年間を、ネクロゴンドで過ごした」
「なっ……」
驚愕に皆、凍りつく。ネクロゴンドといえば、バラモス台頭によって滅亡した、かつてアリアハンの一大脅威であった帝国だ。そのネクロゴンドに住んでいた人間は、魔王の力で一人残らず死に絶えたと思われていたのだ。その生き残りがこんな所に……。
クローディオルが一言発する度に、場に殺気が張り詰めていく。まるで男の憎悪が空気中に溶け出していくように。
「十八年前、私は妻と娘をバラモスに殺された。私の眼前で……妻と娘は、狂死した。私が二十一年間育った国は、一夜にして廃墟と化した。妻、娘、故郷……。私から全てを奪い取ったバラモスを、例えこの身が朽ち果てようと、必ず、この手で滅ぼす」
憎悪に顔を歪ませて、悲愴な面持ちで語る。その驚くほど冷徹な声音は、聞くものに深い恐怖と悲しみを与えた。
真っ向から殺意を浴びるシーザは、しかし表情を変えない。
「――解った。次」
が、長い付き合いのルイーダには、シーザの視線に労りの念が込められているのに気付いていた。
クローディオルが席を立った後も、しばらく場には沈黙が残った。あまりに凄惨なその言葉に、誰もが表情暗く、苦渋や悲しみに顔を歪めて――
「そいじゃ次はボクね〜。ヨロシクぅ♪」
――いない輩が一人居た。
不謹慎極まりない、底抜けに明るい声を上げたのは、原色で塗りたくられたいやに派手な服を着た遊び人の男だった。遊び人の何処が冒険者なのか、と誰もが思うだろうが、公的に冒険者の職業として認められている。実際、遊び人として収入を得、生活している者がいるわけだから全くの役立たずと言う訳ではないのだ。が、
「ボクはねぇプロスコって言うんだ。三十六歳の独身でぇ、趣味はしりとり! ハイ。じゃボクからね。『しりとり』の『と』から。と……と……とりのからあげ!」
「……何故志願した?」
「この場合は『げ』でも『け』でも良いんだよ〜。思いつかない? 思いつかない? んーじゃ、ヒント。甘〜い食べ物。三文字。クリームたっぷり」
「……何が出来る?」
「解らないの? 正解はケーキでしたぁ! 弱いな君ぃ〜。まだまだボクの敵じゃないねぇ」
「帰れ。次」
が、どう考えても命懸けの旅に同行させるべき者ではなかった。
プロスコは本当に帰ってしまった。
帰れと言われてもさほど気に留めた様子は無かったのだが、さりとて情熱があったわけでもないらしい。陽気に口笛を口ずさみながら、場の雰囲気をぶち壊しにした遊び人は酒場を出て行った。
何となく嵐(いや、荒らしか)が過ぎ去った後のように、さっきとはまた違った沈黙が立ち込める中、シーザは無駄な時間を取ったとでも言いたげに急かした。
「次」
それに答えたのは、黒髪を左右二つに分けて束ねた、女の武闘家だ。武闘家といっても見た目には筋肉質であるようには見えない。かといって未熟なわけでもなく、佇まいには洗練されたしなやかさがあった。力よりも技で相手を制するタイプだろう。
「私はセン。麗牙流開祖レンキの弟子だ」
麗牙流……聞いたことの無い武術だ。ルイーダは職業柄、武術の流派にも精通している。それが全く耳にしたことが無いということは、新興の流派なのだろうか。
それはシーザも同じだったのか、訝しげに返す。
「聞いたことが無いな」
「……アリアハンでは知名度が低いかもしれない。だが、祖国ジパングではレンキの名を知らぬ者はいないぞ」
「なるほどな。ジパング出身者か」
ジパングとは、アリアハンから北に位置する島国だ。長年国交が途絶しているため、その文化・風習はほとんど知られていない。センの衣装も、アリアハンで普及している衣服とは異なる、独特のものだった。
「そうだ。私は修行のため、そして麗牙流を世界に広めるために国を発った。バラモス討伐に志願したのも、それがためだ」
迷いの無い眼差しをシーザに向ける。彼はそれを真っ向から見返し、
「解った。次」
表情無く瞑目すると、次を促した。
十人目、即ち最後の冒険者は、酒場に居る十人の視線を受けながら、緊張した面持ちでシーザの向かいに座る。
それは少女だった。年の頃はシーザとそう変わらないだろう。青地に黄色い聖十字が刻まれた僧服――ルビス教徒の僧服に身を包む、線の細い儚げな印象の少女だ。およそこんなところには似つかわしくない。
少女はそれまで組み合わせていた手を解くと、シーザに目を向け、そのまま口を開いた。
「わ……私は、アリア・ルマティアと申します」
上ずった声に、ルイーダは思わず苦笑を漏らした。あまりに初々し過ぎる。こんな少女が命懸けの旅に?
「何故志願した?」
「えっと、私は……その……」
緊張の所為か、それとも単に口下手なのか。二の句が次げないでいる少女を、ガルガが茶化す。
「おいおい嬢ちゃん、来る場所間違えたんじゃないのかい?」
それにアリアは可哀相なくらい赤面して、俯いてしまう。
しかし、彼の言い分ももっともではあった。こんな内気な少女が、死と隣り合わせの旅に同行出来るとはとても思えない。
ガルガは薄笑いを浮かべながら、今度は先ほどより強い口調で、
「命があるうちにママの所に帰んな。ここはお前みてえな――」
「黙れ」
その軽口を遮ったのは、他ならぬシーザだった。ガルガは冷厳とした視線で貫かれ、思わず息を呑む。彼が黙したのを確認すると、シーザは再びアリアへと視線をやり、
「続けろ」
「は、はい!」
シーザの声音は平坦なものだったが、少女を安心させるには充分だったようだ。アリアは先ほどより幾分落ち着いた声で続けた。
「私は……アリアハンで九年間、ずっと教会のシスターとして生きてきました。その間、魔王のために不幸になった人たちを、何人も何人も見てきたんです。そして、そんな人たちに対して私は……何も出来なかった。ただルビス様に祈ることしか――」
アリアはシーザを一心に見詰める。その眼差しは、つい先程赤面していた少女とは思えないほど、強いものだった。
「でも、それだけじゃ駄目だと思ったんです。ただ神の祝福を待っているだけじゃ、何も変わらないって。私の力なんてちっぽけなものだけど、それでも、この現状を変えたいんなら、変えるために行動しなきゃって、そう――思ったんです」
ほう、と思わず感嘆する。ただの内向的な少女かと思っていたが、なかなかどうして、自分の意思を持っている。
「何が出来る?」
「回復魔法が……出来ます」
「それだけか?」
「……はい。それだけです」
しかし、回復魔法しか使えない、戦闘経験も皆無であろう僧侶。シーザが何を基準に選んでいるかは解らないが、少なくとも自分は薦められない。命を失ってからでは遅いのだ。いくら志が強くても、それだけで乗り切れるほどこの旅は甘いものではない。
「解った」
シーザはそれだけ言うと席を立った。それに釣られてアリアも席を――立とうとして椅子ごとひっくり返った。足がもつれたらしい。それには無反応に、シーザは再びカウンターの方へ歩む。
「どう? 誰を連れて行くか決めた?」
ルイーダの問いに、彼は紅茶の代金をカウンターに置きつつ、ああと答えた。
シーザはルイーダに背を向け、酒場の出口へ向かう。その扉の手前で振り返り、冒険者達に向けて言い放った。
「合格者を発表する。呼ばれた者から来い」
彼は
三人
の名前を挙げた。
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