序章 終わりと始まり



 かつての大国、ネクロゴンドの王都より北東に位置する、ネクロゴンド地方最大の活火山。それがここ、グルシャラ火山だった。火口ではマグマが赤々と滞留し、今にも噴火せんばかりだ。灼熱が大気を、剥き出しの地肌を、そして火口にいる者達を焦がす。
 火口には幾つかの人影があった。否、一人の男と、複数の人ならぬ者の姿が。
 男は三十代後半くらいだろうか。逆立つ黒髪に引き締まった顔付き。隆々とした体躯を簡素な鎧で包み、右手には斧、左腕には盾を付け、さらに腰には長剣を差している。額に中央に蒼い宝玉の入った環――サークレットをした、雄々しい雰囲気を持つ男だった。
 その男を取り囲む複数の影があった。人間の骸骨に武具を持たせた姿をした異形の 魔物(モンスター) だ。死せる肉体に仮初めの魂を与え操る、傀儡の力によって生み出された戦士達だった。
 男は手に持った斧を振り下ろした。
 ガシャン。骨が砕ける無機質な音を立てて、最後の一体が崩れ落ちる。
 火口には無数の骸骨が死屍累々と横たわっていた。全て男の持つ斧によって破壊されたものだ。
「信じ難いな」
 男の頭上より、重低音の声が響いた。彼が見上げるとそこには、悪魔そのもののような風貌をした漆黒の魔物がいた。禍々しい二本の角に両手に生える鋭い爪。背にある大きな翼で滞空しながら、魔物は語りかけた。
「骸骨剣士五十体の奇襲を受けて生きていられるなど、考えられんことだ。お前は本当に人間なのか? 勇者オルテガよ」
「傀儡の力など、あてにはならんという事だ」
 オルテガと呼ばれた男は魔物を睨み据えると、右手に携えた大降りの斧を構える。
「貴様……以前アリアハンを襲った者だな」
「そう。十一年前にお前の国を襲った部隊を率いていたのは、紛れもなくこの私だ。あの時の失態で、私は随分と信用を失ったのだよ。バラモス様のな」
 魔物の両眼が黒々とした輝きを放つ。甘美と憎悪が混ざり合ったような、禍々しい視線。
 その視線に真っ向から相対して、
「皆の仇、討たせてもらう」
 オルテガは駆けた。魔物へと向かって一直線に疾走し、斧を振り下ろす。魔物は翼を一度打ち、上空へと舞い上がると、そのまま滞空しながら口腔よりオルテガに向けて黒い炎を吹く。
 それを身を引いて難なくかわすと、オルテガは魔物に向けて左手をかざした。
「ベギラマ!」
 言葉と同時、オルテガの掌より閃光が走った。魔法と呼ばれる、魔力を原動力に、呪文によって発動する超常の力だ。迫り来る熱線を、魔物は翼をはためかせ避ける。
「ベギラマ! ベギラマ! ベギラマ!」
 立て続けに呪文を放つ。連続して放たれた三条の光線は、その全てが翼を狙ったものだった。やむなく降下する魔物へオルテガはすぐさま間合いを詰め、再び斧を振る。
「下らん」
 魔物はその巨体に似合わず、まるで鳥のように三度上昇し、斧をやり過ごした。さらに翼を打って急上昇した後、急降下。そのまま両手に生やす鋭い爪を繰り出した。オルテガはそれを盾で受け止めると、斧を横に薙ぐ。が、空振り。
 火口を挟んで反対側。魔物は嘲笑した。
「オルテガよ。貴様ほどの男なら解るだろう。貴様のやっていることは何の意味もない。一人、バラモス様に逆らって何になる?」
「この戦いが無駄だとは思わない」
「何のために戦う?」
「魔王によって狂わされた世界を正すためだ」
「逆だ。世界が狂ったから我々が居る。それが摂理だ。世界はこのまま、滅ぶべきなのだよ」
 オルテガは魔物を睨みやった。憎しみではなく、信念に燃えた瞳。
「人は変われる。世界も変えられる。それを信じて、私は戦う!」
 斧を構え直し、疾駆した。
「これは、とんだ夢想家だな。どうやら私の買い被りだったようだ」
「何とでも言うがいい!」
 火口の反対側へと左手をかざす。それに合わせるかのように魔物は両翼を広げ、オルテガに向け疾駆する。
「バギマ!」
 オルテガの掌より旋風が巻き起こる。魔物は翼を取られまいと下降した。彼はそれに向けて素早く間合いを詰める。
「何度やろうが、同じことだ!」
 魔物はオルテガに向けて火炎を吹いた。それを盾で回避するオルテガに向け、一気に加速をかけると鋭い爪撃を繰り出した。
 交錯。
 魔物の爪はオルテガの腿を捕らえていた。鮮血が大地を紅く染める。傷口が赤黒く変色していた。毒だ。
 オルテガは慌てることなく怪我の部分に手をかざすと、
「キアリー」
 解毒を、
「ベホマ」
 治療をした。
 先程までの傷が嘘のように消え、肌の色は正常を取り戻す。
 オルテガは休む間もなく走った。間合いを詰め、斧を振り下ろす。魔物は再度、翼を打って後退し……、
 オルテガは、そのまま斧を投げ放った。
「!」
 虚を突いた攻撃を避けきれず、斧は翼の根元に深々と突き刺さった。オルテガは左腰の剣を抜いた。翼に痛手を受けて体制を崩した魔物へ向けて、疾駆する。
「貴様ァァァァ!!!」
 魔物の怒号と、
「終わりだ!」
 オルテガの叫びが唱和した。火口の淵で跳躍したオルテガは、魔物を横薙ぎに両断する。

 火口に、絶叫が響き渡った。
 
 火口の反対側に着地する。
 オルテガは手の甲で、額の汗を拭った。
 息を吐く。と、
「勝ったつもりか?」
 突如、オルテガは羽交い絞めにされた。
「なっ!?」
 背後を向く。言うまでもない。先程の、漆黒の魔物だ。魔物は胴体を両断されているにもかかわらず、翼で滞空しながらオルテガに取り付いていた。そのまま後方へと引きずる。背後の火口へと。
「貴様……!」
「言っただろう……私は……もう失敗が赦されんのだよ!」
 咄嗟に剣を地面に突き立てるが、凄まじい力で、ジワリとジワリと背後へ引き寄せられる。既に翼もまともに動かせない筈なのに、だ。
 魔物はオルテガに囁いた。悪魔の微笑を浮かべて。
「私と共に……地獄へ堕ちようじゃないか」
 オルテガの右肩に噛み付いた。
「!!!」
 手が……離れた。

 灼熱の火口へ、二つの影が落下していった。


     ×××××


「……間違い無いのか?」
 アリアハン国王ゼフィリア十三世は、沈痛な面持ちでそう問うた。
 アリアハン王宮謁見の間。そこには五人の人間が居た。玉座に座す国王。その脇に立つ大臣。王の眼前に平伏す騎士団長。それから少し離れた場所に、母親らしい女性が息子らしき少年に寄り添っている。
 騎士団長は苦渋を浮かべて肯いた。
「……はい。先遣隊の内、『鷹の目』――遠視の使い手が目撃しています。オルテガ様が魔物と共に火口へと落下するのを。残念ながら私どもでは火口まで近づけなかったため、遺品の回収は出来ませんでした」
「何という事だ……!」
 大臣が悲痛な声を上げた。騎士団長も暗澹としている。王ですら、絶望を隠せずにいた。無理もない。勇者オルテガはこの国、この世界にとっての、最後の希望だったのだ。
 王はそれまで黙していた女性の方に顔を向ける。三十代になるかならないかの、穏やかな雰囲気を持つその女性は、今は悲壮な表情で我が子の両肩を掴んでいる。
「クレア殿。申し訳ない。オルテガをみすみす死なせてしまった」
 そう言って王は頭を垂れる。
 それに対し、女性はゆっくりと首を振った。
「……いいえ。夫は自分の意志で旅立ちを決め、自分の意志で戦ったのです。きっと本望だったと思います」
 その気丈な言葉に、王は胸を痛めた。妻である彼女の方が、本当は何倍も辛いだろうに。
「オルテガでさえ、バラモスの下に辿り着くことすら出来ないとは……」
 場を重い沈黙が支配する。悲しみ。怒り。嘆き。憤り。そして絶望。渦巻く負の感情に誰もが飲み込まれ、誰もが言葉を失う。
 その暗澹を破るように、
「陛下」
 凛とした、力強い声が響いた。
 ゼフィリアは顔を上げる。その眼前には、まだ十にも満たない、幼い少年が跪いていた。突然の行動に驚きつつ、王は彼に尋ねる。
「どうした。シーザ?」
 オルテガの息子、シーザは、その年齢にそぐわない精悍な眼差を向けた。それに込められているのは、強い意志。
 彼は表情は変えないまま断言した。
「ご安心下さい。魔王バラモスは私が討ちます」

 それは、新たな勇者が誕生した瞬間だった。




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