一章裏伝 もう一つの旅立ち

一先(ひとま)ずの指針―

 冷たい床石に腰を下ろし、寝転んで腕を伸ばせばたちまち壁にぶちあたる窮屈な空間。周囲は薄暗く、狭いのにかかわらず部屋の隅まで見通すことができない。その暗がりにはかさかさと黒い影が(うごめ)いている。
 王都アリアハン最大規模の牢獄。独房の中、バコタは漂う(かび)臭い空気を肺に吸い込むと、陰鬱な気持ちとともに吐き出した。

 大盗賊。裏の世界で名を馳せ活躍する盗賊のことを、その手の人間は敬意と嫉妬を込めて、そう呼ぶ。

 望むもの全てを手中に収めたとされ、神の手(ゴッドハンド)と崇められた『賊帝(マイスター)』ブレンターノ老。
 表の世界で一度として名を語られることのなかったと言われる盗賊、『虚手(ハーミット)』。
 絶対死地と呼ばれたネクロゴンド洞窟から宝を持ち帰ることに成功した、秘宝盗賊『銀風(シルバーゲイル)』。
 エジンベアの王侯貴族を手玉に取った裏の異端者、義賊『捨猫(ストレイ・キャット)』。
 その腕力と奸智で近年急速に力を付けてきた、『殺鬼(エリミネーター)』カンダタ。
 魔物をものともせず海原を駆け抜けるスカルブレイク海賊団の長、女海賊『大壊(マッシャー)』ネイル・レティ。

 いずれも劣らぬ強者たち。大盗賊の名を欲しいままにする、最高の栄誉を受けた者。
(俺もその中の一人になるはずだった。あの女さえいなければ……)
 それ(・・)を思い出すその度に、バコタははらわたを煮えくり返らせ、歯ぎしりする。

 かつて自分がまだ小太助の名で呼ばれていた頃。ジパング国の宮で偶然『三種の神器』の存在を知ったバコタは、それを盗み出す決意をした。
 理由は極めて単純、ジパングという国が嫌いだったからだ。
 外の世界を知ろうとすることすら許されない、徹底的に閉鎖された国。女王の絶対的統治により築かれた数百年もの平穏は、その実女王を神と崇める、一種民の洗脳行為によって保たれたものだった。
 バコタはその政治が時代遅れの産物であることを、ジパングへと漂流してきた異人によって知らされる。脱国を決意したのはそれがきっかけだ。
 生まれつき手先が器用だったバコタは、自力で宝物庫の鍵を複製し、首尾よく神器の一つ『八咫鏡(やたのかがみ)』を盗み出すことに成功する。危険を冒してまで宝を持ち出したのは、異国で金を得るためでもあり、またジパングという国への反抗からでもあった。
 用意していた小舟で何とか隣の大陸までたどり着いた時の感動は今でも忘れられない。
 異国の地にて、外の世界を何も知らないバコタがそうそう職にありつけるはずも無く、また宝を売るつて(・・)を得るために、自然と裏の世界に出入りするようになった。

 そして脱国から二年が経ったある日。盗賊として生きてきたバコタは、いつものように貴族の屋敷へ忍び込む。すると獲物を物色している最中、唐突に背後から声がかかった。
「へぇ……あなた、いい腕してるじゃない」
 心臓を跳ね上がらせて振り返ったその先にいたのが、誰であろう、その女だ。
 浅黒い肌に漆黒の瞳。それとは対称的に、鮮やかな銀髪が暗闇に映える。宝箱に腰掛け脚を組むその姿が、鋭利な刃物のような雰囲気をかもし出していた。
 狼狽するバコタへ、女は艶のある笑みを浮かべた。
「アタシね、腕の立つ相棒を探していたのよ。そこで、たまたま盗みに入ったところにあなたと出会ったってわけ。どう? アタシと組んでみる気は無い?」
 バコタはこの提案を快諾した。女の放つ妖しい魅力に、不覚にも囚われてしまったのだった。

 約二年間、バコタはその女とコンビを組むことになった。女が仕事場(ターゲット)の情報収集や侵入ルートの確保などのお膳立てをし、バコタが実行する。その間、失敗は数えるほどしかなく、特に集中して活動したアリアハンにおいては、ついに巷で大盗賊とさえ呼ばれるようになった。このまま行けば裏の世界で名を馳せるのも遠い話ではない。バコタはその時本気でそう思っていた。
 その相棒に裏切られるまでは。
「?」
 その時、茫洋と前方に向けていた視界に、鉄格子以外の何かが映った。先が暗くてはっきりしない。まじまじと開いたその目に映ったものに、バコタは唖然とした。
「あ……あ、ああああ……」
「ハァイ、バコタ。元気にしてる?」
 闇の中、うっすらと浮かび上がる銀色の髪。バコタをこの牢獄に堕とした女。
 『銀狐(シルバー・ライア)』エリッサ・スパニエル。


     ×××××


 バコタは小さな両目をこれ以上に無いというほど広げ、化け物でも見たように言葉を失っている。エリッサはその仕草をせせら笑いながら、正気を取り戻すのを待った。やがて彼は息を呑むと、噛み付くように身を乗り出してくる。
「エリッサ! てめぇ、どの面下げて来やがった!」
 鉄格子を握り締めながら浴びせられた罵声に、自分の後ろに佇む武道家の少女を一瞥して、
「別にアタシが用があったわけじゃないんだけどねー」
 大物の犯罪者(アリアハンでは、一応そういうことになっている)に、一般人が直接面会することはできない。バコタに直接尋問をするために、エリッサとセンはこの牢獄へ潜入した。
 しかし別に、直接の用があるのはセンだけで、自分が入る必要は無かった。潜入工作はお手の物だが、わざわざこの娘に付いていってやる義理は持ち合わせていない。入ったのは単純にバコタのその後に興味があったのだ。もちろん、ただの好奇心だ。
「あの時はよくも……この裏切り者が!」
 顔を真っ赤にして唾を飛ばす男をエリッサは鼻で(わら)った。
「裏切り者? どこからそんな言葉が出て来たのかしら。組む前に言ったはずよ。『互いに利益関係を築きましょう』って」
 バコタのことを知ったのは二年前。たまたま仕事場に決めた街で活躍している盗賊の話を耳にし、それを使う(・・)ことを思いつく。裏に表に情報を集め事前にバコタが盗みに入る場所を特定して先回り、先手を打って勧誘した。
 計画性が無く行き当たりばったり、短気で慎重性に欠ける。盗賊としての腕だけを見るなら、バコタは二流以下だった。エリッサが目をつけたのは彼の手先の器用さだ。ジパングに居た時にもその腕で細工師などをやっていたらしい。
 ともあれ、それから二年の間エリッサはバコタのサポートとして仕事に当たる。盗賊としての最低限の教育をした後、行動の際には侵入経路の確保などのあらゆるお膳立てをした上で最後の実行部分だけをバコタに任せた。そうすれば万に一つもエリッサが捕まる心配は無いし、バコタも自分の名を上げることができる。
「アタシが盗みの場を整えてあんたが盗む。儲けは山分け。これのどこに不満があったのかしらね」
「ふざけるんじゃねえ! 俺の方が危険な分、儲けも多く取んのは当然だっ!」
(やれやれ、つくづく救えない男ね)
 そう、こいつは盗みの度重なる成功をあろうことか自分の実力と勘違いして、取り分を6:4にしろと言ってきたのだった。その時点で、エリッサの中からバコタの利用価値は消えた。
「原因はそっちの契約破棄。それに、名を上げられたんだから本望でしょ。小ネズミさん」
 嘲りにバコタは血管を浮き上がらせ、ゆでダコのように顔を紅潮させる。小ネズミが赤ネズミになった。
 アリアハンで盗みを続ける間に、主犯格であるバコタは当然名を上げた。そしてそのバコタがエリッサの手によって捕らえられることで、自然エリッサ・スパニエルの名も表裏に渡って広まることとなる。すべてはエリッサの思惑通りに。
 エリッサにとって、バコタは所詮自分の名を広めるために利用したに過ぎないのだった。
「……エリッサ殿、宜しいか」
「ああ、忘れてたわ。バコタ、主賓のご登場よ」
 背後から現れた緑衣の異邦人を目にして、赤ネズミは青ネズミになった。


     ×××××


 鉄格子の向こう側で、顔を青ざめさせた一人の男。見た目三十の半ば過ぎ。身長は自分と同じくらいだが、痩せ細った体をくの字に曲げているために実際よりも低く見える。鉄格子によりかかった姿がまるでネズミのようにみすぼらしい。
 四年間捜し求めたその相手を、センは烈火の如き眼差しで貫いた。
「小太助、だな」
「そ……その格好、あああんた、まさかっ」
「そうだ。私は火巫女(ヒミコ)様の命を受け、ジパングより貴様を追って来た」
 それを聞いた小太助――バコタは「ひぃっ」と情けない声を上げる。
(ジパングの恥さらしめ……!)
 怒りに震える体をぎりぎりのところで自制しながら、センは視線に一層の力をこめる。
「八咫鏡をどこへやった」
「勘弁してくれっ! 俺は……で、出来心だったんだ!」
「答えろ!」
 我慢ならずついに怒声を上げる。悄然とするバコタに向けて、センは胸元の勾玉を突きつけた。バコタが蒼白になる。
「そ、そそそれは」
「八咫鏡を盗み出した貴様なら、これ(・・)のこともよく知っているだろう。消し炭になりたくなければ、早々に吐け!」
 とうとう堪えられなくなったのか、バコタは尻餅をついて這うように逃げ出した。といって、牢は狭い。隅の方にうずくまったとてこちらからは丸見えだった。
「すまねえ! 本当にすまねえ! 後生だ! 殺さないでくれっ!」
 顔面から汗やら涙やら洟やら涎やら、色々なものを垂らしながら必死で懇願するバコタの姿を見て、今にも爆発しそうだった怒りがしぼんでいく。あまりにも情けない。こんな小悪党を捕らえるために、自分は世界を駆けずり回ったのか。
 と、隣で尋問の様子を眺めていたエリッサが、センの右手、勾玉に視線を送っていた。こちらの目線に気付いたのか、彼女がそのまま訊いてくる。
「もしかして、それが八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)?」
 鋭い。彼女が三種の神器を知っているのは、きっとバコタが喋ったのだろう。ジパングでも一部の者しか知らぬ秘事なのだ。異国の者がそれ以外の方法で知るはずがない。
 もはや誤魔化しようがない。センは肯定した。
「三種の神器は、それぞれ惹かれあう性質を持っているんだ。神器探索のため、火巫女様に預けられた」
「ふうん」
 エリッサの目が一瞬、ギラリと光ったような気がして、センは無意識に勾玉を胸元へ戻した。琥珀色の石の感触を確かめて、溜息つくと、泣き喚くバコタへの尋問を再開した。


     ×××××


 センとエリッサ。二人が盗賊バコタの尋問から帰ってきた頃には、街は既に薄暗くなっていた。
「遅かったな」
 アリアハンでとった宿で待っていたクローディオルは、二人の姿を見て淡々と言った。
「すまない。バコタ(やつ)を吐かせるのに時間がかかってしまった」
 疲れた顔で、セン。盗賊が強情でなかなか口を割らなかったのか、それとも別の理由か。クローディオルに察せられるはずもない。対してエリッサは平然としたものだ。そういうことには慣れている、ということだろう。
 彼女らが椅子に座るのを待って、尋ねる。
「仔細を聞かせてもらえるか」
「ああ」
 センは、バコタから聞き出した情報を要約して述べた。
 バコタはジパングから逃げ出した後、各地で盗賊として仕事を重ね、裏の世界にも頻繁に出入りするようになった。そこで得たつてを使い、とある街で八咫鏡を闇市場(ブラックマーケット)に売り払ったという。
「商都アッサラーム。奴が鏡を手放したのは、そこだ」
 アッサラームといえば、世界で数少ない自治都市だ。商業が盛んで、世界のあらゆるものが集まる場所と言われている。
「けど、もう三年も前の話でしょ。例えそのマーケットを特定できたとしても、それを買った客の居場所までは解らないんじゃない」
 エリッサの指摘に、センは渋面を浮かべる。闇市場というのは、物品の流れが解らないよう二重三重の隠蔽工作を施してある。三年も前の話では、確かに見つけ出すのは絶望的だろう。
「……そうかもしれない。だが、調べてみる価値はあるだろう」
 陰を落とした表情で、しかし彼女は希望を失ってはいなかった。それまで闇雲に探すしかなかったものが、不明確にでも道筋を得たのだ。当然なのかもしれない。
 どの道、明確な進路は無いのだ。世界の情報が集まる都市。一先ずの指針としては、これ以上に相応しい場所は無い。
「では、まずはアッサラームを目指すということで、異存無いか?」
 言葉に二人の女はそれぞれうなずく。

 勇者に選ばれなかった者達による、魔王討伐パーティ。三人の旅は、ここからようやく始まった。




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