一章裏伝 もう一つの旅立ち

―選ばれにし者―

 扉が音を立てて閉じられる。それは静寂とした酒場に嫌というほどに響き、場の沈黙を際立たせてくれた。まるで葬式の最中のように押し黙った一同を見渡して、ルイーダは嘆息をもらす。
 シーザの『面接』が終了し、戦士、魔法使い、僧侶の三人を酒場から連れ出してしばらく。失格者の烙印を押された六人――戦士ガルガ、盗賊エリッサ、魔法使いレプター、商人ブラン、僧侶クローディオル、武道家セン。彼らは皆、それぞれに複雑な感情を面に浮かべ、押し黙っている。
(気持ちは解るけどね)
 ルイーダは眼差しに同情をこめながら、冒険者達を眺めた。
 シーザの面接、パーティの選出はお世辞にも厳正公平とは言い難かった。明らかに突飛なメンバーでありながら、その判定基準も失格の理由も説明しないのだ。魔王討伐という壮大な目標を掲げてやってきた彼らにしてみれば、納得のゆくはずがない。
(勝手なんだから、あの子は)
 しかし、ルイーダの口元に浮かぶのは僅かな笑み。あの出来の良すぎる弟に手を焼かされるというのも、悪くない。少なくとも、人形のように冷めた心を見せられるよりは。
 ガタッ。椅子を鳴らしてガルガが立ち上がる。彼は筋肉質の体をいからせ、吐き捨てるように、
「チッ、時間を無駄にしちまったぜ」
 そう言って、とっとと酒場を出て行った。
 勘定を済ませていない、が、どうせ彼は常連客だ。わざわざ引き止めて感情を波立たせることもない。ルイーダはこっそり帳面にツケておく。
「さて」
 次に言葉を発したのは意外な人物、クローディオルだった。壮年の僧侶は漆黒の聖服を揺らし、ゆっくりと立ち上がる。皆の視線が集まるのを待って、彼は言った。
「あの少年に言われるまでもなく、私は独りでもバラモスを殺すつもりだ。だが、勝機を得るには力が要る。私と協力して、バラモスを討とうと言う者はいないか」
 静かな口調の裏に殺意を漂わせて、復讐の信徒は言葉を紡ぐ。穏やかな湖面に投げかけられた言葉は、波紋となって皆の行動を呼び起こす。
「まぁ、いいわ。あのボーヤには、アタシの魅力が伝わらなかったみたいだし」
 最初に共鳴したのはエリッサだった。銀髪の盗賊はしなやかな肢体を豹のように伸ばし、立ち上がる。僧侶の深い闇をたたえた瞳を挑戦的に見返し、彼女は音無く歩み寄った。
 彼女の行動に波紋は一層広がりゆく。
「私も連れていって欲しい」
 次に口を開いたのはセン。ジパングの衣装に身を包む彼女は、揺らぎ無い双眸をクローディオルに向けた。その立ち振る舞いは毅然として隙が無く、精悍さが感じられる。
 これで二人。続いて商人であるブランは席を立つと、独特のイントネーションで語り出した。
「ワタクシは遠慮しておきまショウ。勇者ドノのパーティに参加できないノであれば、旅に出る理由はアリませぬ。アナタ方では、資金力に不安アリ。ワタクシとしては、故郷の商売ヲ捨ててまで、貧乏パーティに旅費をテイキョウする気はありませんユエに。夢はユメ。ゲンジツは現実。ソレを割り切ること、商売の鉄則」
 長々しい口上を締めくくると、髭面の商人はお代を置いて、酒場を去る。
 残る一人。押し黙ったままのレプターへ、クローディオルは静かに問いかける。
「君は、どうするのだ」
 言葉に彼はすっくと立ち上がり、エリッサへと鋭い視線を送った。
「フン。この女と共に旅をするなど、ごめんだな」
 唾でも吐きかけるようなレプターの言葉に、エリッサの目が僅かに細まった。
「女狐め。貴様のような奴に界隈を歩く資格など無い。犯罪者は犯罪者らしく――」
 ヒュンッ。風切り音と共に、飛来したナイフがレプターの外套を貫き、壁に縫いとめる。彼は唖然としてそれの主を見やった。
 ノーモーションでナイフを投げ放ったエリッサは、いつの間にか両手に一本ずつの短剣を握っていた。まるで手品だ。彼女は勝ち誇るように笑んで、
「確か、ベギラマが使えるとか言ってたわね。あなたがそれを放つ間に、アタシはナイフを十本はプレゼントできるわよ?」
「……っ!」
 辛辣な言葉にレプターは歯噛みして、壁のナイフを強引に引き抜いた。それを投げ捨てた彼は激高したように、手にした杖をエリッサに突きつける。
「あら、ホントにやる気?」
 エリッサは余裕の表情で、ナイフを一本、今度は大きく振りかぶった。
(はあ……)
 ルイーダは胸中で嘆息し、両手のもの(・・)を投げつける。
 両者の攻撃がまさに放たれんとしたその刹那、二つの赤い影が二人に向かって飛来した。それ(・・)は呪文を叫ぼうとしたレプターの口に飛び込み、エリッサの放ったナイフの刃を受け止める。
「むごっ!」
「!」
 二人はそれに思わず――あるいは強制的に――動きを止める。驚愕をあらわにする両者へ向けて、リンゴ(・・・)を投げたルイーダは鋭く告げる。
「あなたたち、ここがどこなのか解っているの」
 ここは冒険者の聖地、ルイーダの酒場。武器の持ち込みは許可していても、その使用、私闘は固く禁じられている。とはいえ、荒くれ者の集まる場所だ。こういうトラブルは日常茶飯事。それをこうやって制止するのもまた、店主であるルイーダの役目なのである。
「んぐっ……」
「アラ、ごめんなさい」
 リンゴを口にくわえたまま呻くレプター。悪びれた様子も無いエリッサ。
「そんなに暴れたければ、街の外に出て思う存分やりなさい。魔物を相手にね」
 ぴしりと言うのに、レプターはリンゴを噛み砕き、舌打ちしてきびすを返した。そのまま酒場を出ようとしてふと立ち止まり、何を思ったか再びこちら、カウンターの方へ歩み寄る。傍目にもわかるほど怒りに沸騰した形相のまま、彼はルイーダの目の前に、世界共通の貨幣であるゴールド硬貨を数枚、叩きつけた。
 レプターは「フンッ!」と鼻を鳴らすと、今度こそ酒場を後にした。それだけ怒っていても勘定を忘れないあたり、律儀な男だと言える。
 力任せに閉められたドアがけたたましい音を立てる。これで酒場に残ったのは三人だけだ。
「あなた達はどうするつもり?」
 問いに、壮年の僧侶が答える。
「今後について話し合うこととしよう。ここで」
 ルイーダは溜息をついた。そろそろ店を開く準備にかかりたいのだが。


     ×××××


 ルイーダは開店の準備にと、店の奥に引っ込んだ。今、カウンターには別の女性――クローディオルに言わせれば少女だ――が待機している。ルイーダの酒場の従業員には女性がすこぶる多いらしい。それで大勢の荒くれ者を御しているのだから、女の強さというものを思い知らされる。
 三人は改めて同じテーブルを囲った。武道家セン。盗賊エリッサ。そしてクローディオル。勇者から選ばれなかった者達による、魔王討伐パーティ。
(勇者を味方に付けられなかったのは残念だが……当然の結果とも言える)
 クローディオルは内心、一人ごちる。
 魔王バラモスの討伐。魔王バラモスへの復讐。一見同じ目的のようで、その実は正反対だ。

 勇者は周囲から一身に期待を受けた、世界の希望を背負った戦い。
 対する自分はただただバラモスの死を望むだけの、誰からも疎まれ目を背けられる戦い。

 勇者が光なら自分は闇だ。目指す場所は同じでも、いきつくまでの道程、いきついたその先に続く道は、全く違う。

 勇者が目指す道は、世界を救うための希望の道。
 自分が目指す道は、魔王を殺せばそこで途絶える絶望の道。

(それが交わる筈もない)
 だが、それでも、クローディオルの目的は変わらない。たとえ何が起きようと、何を犠牲にしようと、必ず、この手で、バラモスを――
「それで、座ったっきり黙り込んでるけど、どうするわけ?」
 (くら)い思考に、からかうような響きが割り込んでくる。クローディオルは声の主――エリッサを見据え、内心の闇を毛ほども感じさせない、淡々とした声を返した。
「まずは目標を確認しておこう」
 そう前置いて、
「我々の目的は唯一つ、魔王バラモスの殺害(・・)だ」
 断言するのに、センはうなずく。対してエリッサは不満そうに顔をしかめ、
「そんなことは解ってるわ。私が訊きたいのは、あなたが具体策を持っているか、ってことよ。まさか、今のネクロゴンドに行くことがどれだけ大変か、知らないわけじゃないでしょ?」
「私の知る限り、ネクロゴンドに行く方法は皆無、と聞いているが」
 横からセンも会話に加わってくる。二人とも魔王討伐を志しているだけあって、事前の情報収集を怠っていないようだ。
 現在のネクロゴンドは、自分が若い頃暮らしていたものと比べ、見る影も無く変貌している。地は枯れ、木々は異形に変貌し、毒の沼地が大地の至る所に穴を広げている。大陸と海の境は船を着ける場所すらないほどの絶壁で分かたれ、その内には高山が、ネクロゴンドを取り囲むように連なっている。世界から物理的に孤立した、魔王の大陸。それが今のネクロゴンドだ。
 だが、
「私がネクロゴンドの出身であることは、既に知っているはずだが」
 その言葉に、エリッサが指を鳴らした。
「なるほどね。ルーラで入ろうってわけ」
 うなずいて肯定する。陸からも海からも無理なら、空から入るしかない。ネクロゴンドの人間は、魔王軍によってほぼ全滅させられている。しかし、自分ならばそれも可能だ。崩壊したネクロゴンドを鮮烈なまでに目に焼き付けた、自分だけは。
「ふむ、流来(ルーラ)か。転移の秘術(まほう)だったな。しかし確か、移動する者全員が行き先を記憶していなければ使用できないのではなかったか?」
「その通りだ。だから、バシルーラを併用する」
 バシルーラとは転移魔法であるルーラの亜種で、自分以外の対象を遠隔地に飛ばすことができる。移動先を精密に指定するには、相当の精神集中を要するが、クローディオルにはそれが可能だった。
「つまり、行こうと思えばいつでも魔王の城に殴りこめる」
 そう口にして、エリッサは舌なめずりをする。まるで今すぐにでも倒しに行ってやると言わんばかりだ。
 その様を見てクローディオルはたしなめるように、
「だが、今の我々の力ではバラモスの居城に辿り着くことさえ出来ないだろう」
「……アタシの力を、あなたがどれだけ知っているというの?」
 エリッサの不服そうな顔に構わず、続ける。
「私は実際にネクロゴンドへ行った(・・・・・・・・・・・)。だから解る。あそこは世界のどこよりも強力な魔物がはびこっている。私は何度もあそこで死に窮する目に遭っている」
 有無を言わせぬ口調に、エリッサも口をつぐんだ。入れ替わるように今度はセンが口を開く。
「では、何を目指して旅をするのだ?」
「明確な目標地点は無い。私が、我々が求めるのは、『力』だ」
 魔王の城を突き進み、バラモスの肺腑に刃を突き立てられるだけの、『力』。
「形は何でも構わない。協力者でも、武器でも、魔法でも。バラモスに抗するだけの『力』さえ手に入れば、あとは実行に移すだけだ」


     ×××××


「なるほどね」
 僧侶の話に、エリッサはうなずいてみせた。
 既にバラモスへ続く道はできている。あとはそれを打ち破るだけの力を手に入れるだけ。
(案外勇者(あっち)のパーティよりも近道だったかもしれないわね)
 だとしたら自分は運が良い。
「そうそう簡単な話じゃないけど、強力な武器や道具の話ならいくつか知ってるわ。職業柄、ね」
 仕事(・・)のために世界中を回ったエリッサの耳には、意識するせざるに関わらず様々な情報が入ってくる。強力な武具の噂、伝承は各地に幾百とある。しかし大半はデマで、信憑性が高いと言えるものがいくつかある、という程度だ。
 中にはそれ一つで戦争の局面を変えてしまった――と語られるものもある。魔王などという伝説でしか登場しないはずの輩を倒すには、同じく伝説の武器をもってするのが筋なのかもしれない。
「ま、それはそれでいいとして」
 話を区切って、エリッサは蒼い瞳を隣に座る少女、センの方に流した。きょとんとこちらを見返す黒目に、彼女の『面接』の時から抱いていた疑問をぶつける。
「あなた、確か武術の伝播が目的とかいってたわね。それって魔王を倒して流派の名を上げたいってわけ?」
 嘲るような言い様にセンは僅かに眉を吊り上げ、
「私が師父から言いつかったことは、確かに麗牙流の伝播だ。しかしそれは、流派を世界に広めて名を上げるといった(よこしま)な考えからではない」
 さっきまでの大人びた物腰とは打って変わって、センは両眼を燃え上がらせんばかりの眼差しで、それと同じくらい熱い口調で語りだす。
「この武術はジパングにこの人ありと呼ばれた武術家、レンキによって編み出された、対魔物との戦いを想定した武術だ。この技で、師父は千を越す魔物(もののけ)どもを葬ってきた。これを広めるということは、ひとえに魔物に対する対抗力を世界に広めることに等しいんだ」
 頬を上気させて語るその姿は、彼女を年相応に、あるいはより幼く見せる。対するエリッサは、それに冷ややかな視線で応じながら、
「魔王を倒そうっていうのは?」
「それは最終目標だ。魔王を倒せば、魔物の力も弱まるのだろう?」
「フーン。本当にそれだけ?」
「なに?」
 センが顔をしかめるのに構わず、エリッサはさらに追求した。
「本当に、そんな慈善事業めいた理由だけで、わざわざジパングくんだりまで来たのかってこと。ここの勇者君じゃあるまいし。アタシには信じられないわね」
「………」
 沈黙する少女を見て、エリッサは自分の指摘が的を射ていたことを確信した。
 そもそもジパングという国は、他国との干渉を頑なに拒み続けている閉鎖された存在である。外からの訪問者はことごとく門前払いされるし、反対にジパングから外へ出るという人間も、国の許しを得たごくごく僅かな人間だけなのだ。
 つまり彼女はジパング王の許しを得た上で、国を発っている。いわば国の意志の元に動いているのだ。なのに、魔物が出てきたからそれに対抗する武術を広めようなど、いささか話が突飛に過ぎた。
 センは確実に、魔王討伐の他に何か別の目的を持ってこの場に居る。それが何かを確かめもせず旅を共にしようと思えば、知らぬ間にこの少女に利用されてしまう恐れもある。
(そんなこと、許さないわ)
 誰にも利用させはしない。利用するのは自分の方なのだから。
 エリッサは目を細めて、沈黙したままうなだれる少女を鋭く見据える。
「そうだな。我々は今後、共に旅する仲間なのだ。本来ならこれは極秘の事項だが、あなた達にだけは話しておこう」
 逡巡の後、センは顔を上げる。左右に束ねた黒髪を揺らして、決意を宿した瞳でエリッサとクローディオル、双方に語りかけた。
「私は、祖国ジパングより一つの命を受けて旅立った。国宝である八咫鏡(やたのかがみ)を盗み出し外国へと逃亡した咎人、その捕縛と宝の奪還だ。」
「八咫鏡……三種の神器ね」
 さらりと返した言葉に、センは目を剥いた。
「知っているのか!」
「名前だけね。八咫鏡に天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、それに八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)だっけ? それが盗まれたの」
「そんな……ジパングでも一部の者しか知らないはずのことを――」
 信じられない。そんなセンの顔を見て、エリッサの胸にある考えが浮かび上がった。
(まさか……ね)
 そんな偶然があるわけない。そう思いつつも胸が予感にざわめいて、確かめずにはいられない。
「ねぇ、その宝を盗んだ犯人って、どんな奴なの?」
小太助(こたすけ)という、三十路半ばの男だ。身長は私と同じくらいで、痩せ型。始終背を丸めている様が、まるでネズミのようだったと聞いている」
 それを聞いた瞬間、エリッサは吹き出した。
「な、何が可笑しいんだ」
 憮然とするセン。今にも笑い声を上げそうな口元をおさえながらエリッサは、自分にジパングのことを教えてくれたネズミのような男を思い浮かべ、
「それって、バコタのこと?」
 目を丸くしたセンを見て、今度こそエリッサは声を上げて笑った。奇妙な巡り合わせに、皮肉をこめて。




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