挿話 憩いの日


 ばんっ
「我々は休暇を要求する!」
 木机を両手で叩き、イクスが大声を上げた。宿屋一階の酒場兼食堂は、早朝ということもあり四人以外に客の姿は無い。円卓を囲んで軽い朝食を終え、そろそろ出立しようという矢先の発言である。
「何の話だ」
「アリアハンを出て早三ヶ月! 我々は魔王討伐という過酷な任務に際し、これまで過重ともいえる激務に従事してきた。だがしかぁしっ! 日々の超過労働に対して当然与えられるべき休暇という権利を、ああ何ということだろう。この三ヶ月の間、一日として我らは与えられていないのだ! 故に我が労働組合は、人間が人間として生きるために必要不可欠な要素――即ち休養という名の安息を要求するものである!」
 拳を掲げ上げての演説に、シーザは無表情、アリアは目を丸くし、グラフトは苦笑した。
「……その組合には俺も含まれているのか?」
「当然! 俺たちは運命共同体さ。あの酒場での熱い誓いを忘れたか!」
「知らん知らん」
 芝居がかった言い回しにいいかげん煩わしくなったのか、グラフトの返答はいささかぞんざいだ。
 その掛け合いを無視して、シーザは冷たく告げる。
「この旅に、時間を浪費するような暇は無い」
「人間に休養は必要だぜ。急がば回れって言葉、知らねーのか?」
「そもそも休暇なら、ロマリアで一ヶ月間、充分すぎるほどとっただろう」
「ちっ、気付いたか」
「………」
 しゃあしゃあとしたイクスの態度に無言を返すシーザ。
「でもロマリアの時は、私達はともかくシズ様はお休みではありませんよね?」
 会話の合間を縫って、アリアが気遣わしげに言った。
「旅立ってからずっと、気を張ってらしたのでしょう? 一日くらい休まれた方が……」
「いらぬ心配だ」
 さらりと一蹴するシーザ。それを諌めるように、グラフトは強い口調で言った。
「いやシーザ。お前には休養が必要だ。どれだけ弓を引き絞っても、天空の竜に矢は届かん。いつかつるが切れる前に、手を休めておくべきではないか」
「そうそう、エルフの問題もようやく解決したんだしさ。一日くらい休んだって罰は当たらないぜ?」
「む……」
 便乗してイクスが畳み掛けてくるのに、シーザはしばし黙考して、
「解った。ただし一日だけだ。明日の朝には雨が降ろうが雪が降ろうが、必ず出立する」
 意見は三対一。多数決というわけでもないが、こういう場面でリーダーの権限を振るい、我を押し通すのはシーザの本意ではない。それに休暇が必要というのも一理あるのだ。シーザとしては早く先へと進みたかったが、
(焦っても仕方ない、か)
 イクスの歓喜の声を聞き流しながら、シーザは心中で溜息をついた。
 不承不承ながら了解の意を示したシーザは、席を立ち、階段の方へ歩き出す。
「どこ行くんだシーザ〜」
 間延びしたイクスの声が呼び止めてきた。シーザは顔だけ振り返って、
「剣を取りにいく」
「なんで」
「鍛錬のためだ」
 イクスはこれ見よがしに溜息を付いた。
「お前さー、休暇の意味解ってる?」
「俺が何で時間を過ごそうと自由だろう」
「駄目。今日だけは絶っ対に剣には触れないこと! いいな」
 断固とした言葉。シーザは些か呆れた。
「では何をしろというんだ」
「んーそうだなぁ」
 イクスは考え込むように――しかしその実、結論は既に用意しているのではないかとシーザには思えた――沈黙すると、ぽんと手を打って、
「よし、アリアちゃん!」
「え?」
 唐突に振られてきょとんとするアリア。
「シーザと一緒に買い物に行ってきてくれ」
「買い物ですか? かまいませんけど」
 旅に必要な物はロマリアであらかた買い揃えている。今更何を買うのかと尋ねるのに、イクスはにやりと笑って見せて、
「夕御飯の材料さ」
「あ、晩御飯を作るんですね」
 破顔するアリア。ロマリアに居た時も城の厨房に手伝いを申し出ていたくらいだから、料理好きなのだろう。実際に今までにも何度か、宿の台所を借りたこともある。
「俺、またアリアちゃんの“愛”のこもった手料理が食べたくてさ〜」
 冗談めかしたイクスにアリアは照れたように笑うと、うかがうようにシーザの方を向いて、
「ではあの、シズ様。付き合っていただけますか?」
 首を傾げて控えめに訊いてくる。
「……好きにしろ」
 今さら拒絶する意思も理由も無く、シーザは諦めるように肯いた。


     ×××××


 二人が宿の外へ出るのを見送って、グラフトは一つ息をつく。
(さて、俺は何をしようか)
 シーザほどではないにしろ、グラフトは暇さえあれば剣の鍛錬をしていた人間である。いざ自由な時間が与えられると、何をするべきか思いつかないのだった。
(旅に出る前は何をしていたか……そういえば、故郷にいた頃にも何か趣味を持てと指摘されたな)
 ふと郷愁に駆られる。思えば故郷を出てもう十年になるか。
 黙考するグラフトへ、それまで同じように押し黙っていたイクスが思いついたように声を掛けてきた。
「なあなあ」
「うん?」
 テーブルの向かいから体を乗り出して、ひそひそ声で言う。
「お前はあの二人、どう思う?」
 二人――シーザとアリアのことだろうか。
「どう、とは?」
「そのままの意味だよ。年若い男女二人が長い時間を共に過ごすっていうシチュエーションなら、何かを期待するのが人間ってモンだろーが」
 何かと思えば。グラフトは苦笑した。
あの・・シーザが、か?」
 普通の少年とは一線も二線も画するシーザという男。彼が異性に恋愛感情抱く姿など、グラフトには想像だに出来ない。
「そうなんだよなぁ。あいつはホント、そういう色気みたいなのが全然無いんだよ。街でとびっきりの美女とすれ違ったりしてもさ、全く見向きもしないんだぜ」
「妙なところを見てるんだな」
「ちなみにグラフトは大丈夫だった。ちゃんとさりげなーく目線が追ってたからな」
「………」
「怒るなって。男ならそれがフツーだよ」
 グラフトは咳払いして、
「ともかく、シーザはまず人間らしさといったものを身に付けなければな」
「人間らしさ、ね……。シーザも恋愛の一つでも覚えりゃあ、少しは改善するんじゃねーかと思うんだけどよ」
 普段に増して饒舌なイクス。本人のことも含めて、恋愛沙汰には関心の深い男である。
「それにさ、あの二人って案外釣り合うんじゃないか? 頭が切れるけど冷血で無愛想なシーザと、おおらかで優しいけど何かと危なっかしいアリアちゃん。凸凹な感じでイイ感じな気がすんだけどなー」
 その意見を否定する気はなかったが、グラフトはあまりこの手の話題は得意ではない。
「それは当人同士の問題だ。俺達が口出しすべきことじゃない」
 冷たく話を打ち切るのに、案の定イクスは不満を満面に浮かべる。
「なんだよつまんねー男だなー。お前絶対、恋人とかに『あなたって、本当につまらない男ね』とか言われたことあるだろ」
 声色まで使って軽口を叩くイクス。それを冷たく睨みやっても、彼はただ肩をすくめるだけだった。
「ま、どの道気が早いのかもしれねーけどな。まだたったの三ヶ月だし。一年もすりゃあ案外……」
 そう語るイクスの口調は面白がっているようで、真剣みを帯びていた。ふざけた調子の多い男だが、決して悪い人間ではない。おそらく彼なりに、シーザのことを案じてのものなのだろう。
(休暇をことさらに主張したのも、シーザを気遣ってのことなのだろうしな……)
「よーし、んじゃ俺はご婦人がたと甘いひとときを満喫してくるかっ」
(……というのは買いかぶり過ぎか)



 そうしてグラフトは、小さな町をどこへとなく歩いていた。王都ロマリアから東へ二日ほどにあるここは、街道沿いのために冒険者が立ち寄ることは多いにしても、それ以上ではない。昨日の昼間に到着し、その日の夜までに情報収集を終えてしまえるほどの規模。もうあらかたの場所は見終えてしまったのだ。
(どうしたものか)
 故郷を出て十年の間、一貫して戦士として生きてきたグラフトは、空いた時間を見つければ剣を振る生活を送ってきた。そしてそのために、趣味らしい趣味を一切持ち合わせていないのである。
(まさか朝方から酒場に行くわけにもいかんしな)
 それに酒とてそれほど好きというわけでもない。飲みはするし、飲めもするが、せいぜい嗜む程度だった。
 熟考しながら黙々と、あてもなく歩く。休暇を使うのに頭を悩ませるというのは、どうにも自分は苦労性らしいと自嘲していると、
 にゃあ
「?」
 甘えるような鳴き声が耳をくすぐって、何気なく辺りを見回した。声の主はすぐ見つかる。グラフトの足元に、一匹の猫が擦り寄っていた。
 にゃーん
(ネコか。久しく見てなかったな)
 その場に屈みこんであごを撫でてやると、猫は気持ちよさそうに目を細める。その様子に思わず頬をほころばせた。
(何か、買ってくるか)
 そう思い立ち、グラフトは商店の方へ足を向けた。


     ×××××


 連れだって出かけた二人は、アリアの頼みで買い物の前に教会へやってきた。町にただ一つという教会は、老僧侶が一人いるだけの小さなものだった。
 教会最奥に鎮座されたルビス像へ、アリアは膝つき手を組み合わせて、一身に祈りを捧げている。シーザは出入り口の扉に背を預けながら、その後姿を眺めていた。
 幼い頃母親に連れられ何度か教会に来たことがあったが、神の存在を否定も肯定もしないシーザは、一度として祈りという行為をしたことがない。神がいないのなら、それを祈ることに意味は無い。神がいるのなら、信仰のない人間の、形だけの礼拝などやはり意味が無い――そう考えるシーザは、狭い教会で特にすることも無く、暇をもてあましている。
 穏やかな日和、静寂とした空間、そこで何もしないでいると、自然にシーザは思考の渦に没頭していった。考え事の種は机上に山を為している。魔王バラモス、オーブ、コリドラス、シャンプ、アラストル……。それら一つ一つを反芻、分解、再構成して、脳内で整理させていく。
「……様。シズ様?」
 呼びかけに、シーザは思索の渦から抜け出した。いつの間にか目の前に立っていたアリアに「ああ」とだけ返事をする。
「お待たせしました」
「何を祈ってたんだ」
「えっと、今日という日を迎えられたことへの感謝と、明日からの旅を無事過ごせますようにと……それから、いつか平和な世界が実現しますように、と」
 思い出しながら語るアリアの顔には一片の陰も無い。虚偽も迷いも一切無く、心から純粋にそう願い、祈ったのだろう。シーザにはそう感じられた。
「では、お買い物に行きましょうか」
「それはいいが、夕飯の買出しにはまだ早いだろう」
 時刻はまだ早朝。どう考えても出発が早すぎた。普段なら宿屋を出る前に気付いただろうが、なにぶんシーザは、朝はあまり頭が働かないのだ。
「あ、それもそうですね。どうしましょう?」
「どうと言われてもな」
 思えばシーザは余暇というものを経験したことがほとんど無い。特に八歳から以降は、勇者となるための鍛錬として、異常と呼べるほど過密な時を過ごしてきている。暇な時の過ごし方など考えたことも無いのだった。
「えーっと……」
「………」
「それじゃあ、お散歩でもしませんか」
「解った」
 教会を出るアリアの背を、シーザは言われるままに追った。


     ×××××


「犬かよっ!」
 イクスが虚空に裏手を叩きつけ、叫ぶ。その行動に、たまたま目の前にいた女性が目を丸くした。
「な、なんですか」
「いえお気になさらず。ちょっと第六感が働きまして」
「はあ」
「ところで私は旅の魔法使い、イクス・ルーグと申します。美しいお嬢さん、よろしければお名前を教えていただけますか」
「あー急いでるんで」
「つれないお方だ」
「そうそうツレナイんです」
「でもそんな、クールな貴女も素敵です」
「ていうかあんたみたいな自分が美形って自覚してる男見てると反吐が出るんだよドグソが」
「ぐはっ」
 胸を押さえて地面にくずおれるイクス。それに女性は目もくれず、さっさと立ち去っていく。
「うう、ここまでなじられたのは久しぶりだぜ……」
 よろよろと起き上がりながら、イクスはふと古傷を思い返した。
「でもやっぱり一番きつかったのは『失せろ色狂い猿』だな。ありゃあストレートに胸にきた。いや、『この世界が犯した最大の失敗、それはお前を生み出したことだ』もなんか哲学的なダメージが……。『私には反吐が出るほど嫌いなものが三つあるの。一つ目はゴキブリ。二つ目はナメクジ。三つ目はあなた』とか婉曲なのもキツイけど。まああれらに比べりゃあな……うう」
 自分で傷口に塩を塗りつけたイクスは、さらに凹む。今日はまだ三人にしか声を掛けていないのだが、さすがにこれ以上する気にはなれない。
(ああ、愛が足りない)
 飢えた浮浪者のような眼つきでふらふらと歩き出した。
 すると視界に見慣れた二人組の姿が映る。
「あ」
 思わずイクスは身を隠した。誰であろう、朝無理やりに送り出したシーザとアリアの二人である。
 連れ添って歩く二人。どうやらあてどなく散歩でもしているらしい。
 イクスの死んでいた目に輝きがよみがえる。
(こいつは愛の伝道師である、イクス様の出番かな)
 ていのいい暇つぶし対象――もとい、うら若い男女の未来のために。イクスはニヤリと口の端を上げた。


     ×××××


 日が昇ったばかりのうっすらとした街中。少し冷たく、しかし清々しい空気を、アリアは深く吸い込んだ。
 空を仰ぐ。今日も快晴だ。
 まだ早朝、どこか静寂とした街並みを眺めながら、シーザとアリアは言葉少なに散策する。
「いい天気ですね」
「ああ」
「静かな町ですね。何だか心が落ち着きます」
「朝だからな」
「そうですね。朝ですもんね」
「ああ」
「………」
「………」
(か、会話が続かない……。どうしよう)
 アリアは焦っていた。先ほどから色々と話題を振ってみるものの、さっぱり発展の糸口が見つからないのだ。
 シーザは必要が無い限り、ほとんど喋らない。思い返せば日常会話にしても、こちらからの呼びかけには反応しても、彼の方から話しかけてきたことは無かったような気がする。
 アリアの方としても、どちらかと言えば聞き役タイプだ。人の悩み相談なら幾度もしてきたが、自分から積極的に話を盛り上げるのは苦手なのだった。
(無理に会話しなきゃならないわけじゃないけど……)
 ただ静かに、ゆるやかに時を過ごすというのは嫌いじゃない。むしろシーザにはそういった時間こそが必要なのだろう。しかし、アリアは気付いていた。ただ今、この時でさえ、シーザは緊張状態を保っていることを。
 例えば今、突然背後から何者かに襲われたとしても、シーザは一瞬の遅れも無く対処するだろう。常に物陰などの死角へ視線を、周囲の気配に意識を巡らせる、ほとんど無意識にやっているだろうその行為にアリアが気付いたのはつい最近だ。
 確かに街中といえ、いつ何時、何が起こるか分からない。が、
(今日一日くらい、戦いのことを忘れて、ゆっくりしてほしい)
 というのがアリアの願いだった。
 イクスもきっとそのことを案じて、今回の休暇を提案したのだろうとアリアは思っている。そして、自分にその任が与えられたのだとも。
 なんとしてもシーザを休ませなければ。使命感に燃えるアリアは、気を取り直して再度、話題を振った。
「シズ様」
「なんだ」
「今日の晩御飯は何にしましょう? 何かリクエストがあった方が作りやすいのですけど」
「なんでもいい」
「えっと、じゃあ好物はなんですか?」
「特に無い」
「……嫌いなものは」
「特に無い」
「そうですか……」
 がっくりと肩を落とす。早くも挫けそうなアリアだった。


     ×××××


(あー、もう! 何やってんだよシーザの奴はっ!)
 シーザとアリアの二人を尾行し始めて半時ほど。イクスは二人の、あまりの会話の無さにイラついていた。
 以前、盗賊をやっていた頃のスキルを生かした追跡術。二人の姿はもちろん、風下に陣取ることで会話すら聞き取ることができる。
(いたいけな少女が頑張って話しかけてるってーのに、なんだその言葉少なな反応はっ! あんの朴念仁め。くそ、根性叩きなおしてやらねーと)
 考えるうちに二人は路地を曲がる。見失うまいと慌てて追いかけて、
「イクス」
「のひょうおっ!?」
 路地先に立っていたシーザの姿に、イクスは意味不明の叫びを上げた。
「さっきから後をこそこそと、何のつもりだ」
「は、ははは……。いつから気づいてた?」
「始めからだ」
 シーザの警戒力を甘く見ていたらしい。どうしたものかと思考を巡らすイクスへ、アリアが朗らかに話しかけてくる。
「あれ、イクスさん。どうされたんですか?」
 尾行してましたとは言えない。
「いやぁ実はだねー。あーえーっと……そうそう! シーザ君にだ・い・じ、な話があるんだよ!」
「何だ」
「んじゃアリアちゃんちょっとシズ借りてくねー」
 勢いだけで誤魔化して、そのままシーザの片手を引っ張っていく。
「はい。いってらっしゃい」
 きょとんとしたアリアの言葉を耳に残しながら、イクスは物陰にシーザを引きずり込んだ。
「おい、シーザ」
 据わった目で睨みつけるイクス。それにシーザはいささか呆れたように、
「だから、一体何の用だ」
「いいかよく聞け。お前はコミュニケーション能力が低すぎるっ!」
「何の話だ」
「さっきから見てれば、せっかくアリアちゃんが楽しくお話しようと頑張ってるのに、お前ときたら!」
「それが、お前が尾行していたのと何の関係がある?」
 その問いは無視して、イクスはとくとくと説教を続ける。
「コミュニケーションってのはだな、互いが何気ない会話を交し合うことで親交を深めようってもんなんだよ。それなのにお前はアリアちゃんの呼びかけにただ返答するだけじゃねーか」
「質問に回答しただけだ」
「それじゃ一方通行だろーが。話しかけられたなら、その話題をさらに膨らませるような努力をしろよ」
「必要性を感じないな」
「だから必要性とかそういうんじゃ……だーっもう!」
 さっぱり話の通じないシーザに、イクスは地団太を踏んだ。らちが明かない。
(ったく、ここまで重症とはね)
 胸中で溜息ついて、そこでふと、シーザは幼少の頃から他者と親密に交流した経験がほぼ絶無であるという事実を思い出す。特に友人のような、対等な立場で腹を割って話し合うという経験が。
(だからってこのままそれを放置ってのも、これから先色々と辛いしなぁ)
 そうは思うのだが、改善を求めるにもシーザをまともに説き伏せようというのはまた難しい。考えあぐねた末、イクスは話のベクトルを変えてみることにした。
「実はだな、お前がそうやって普通のコミュニケーションが取れないことに、アリアちゃんが心配してるんだよ」
 まるっきり嘘ではない。本人に確認はしてないものの、あの娘なら心配していないはずがないだろう。イクスはそう思っていた。
 シーザは少し目を細めてみせ、
「アリアが?」
「ああ。女の子に心配掛けっぱなしでいいのか?」
「あまり好ましいとは言えないが」
「だろ。とにかく、次はお前の方から話題を振ること。いいな」
「………」
「い・い・な!」
「……善処する」
 渋々ながら首肯するシーザを見て、イクスはふうと息をついた。そうしてふと思う。
(おっかしーなー。俺は確か愛の伝道師としてこの場に参上したはずだったのに……。いつの間にシーザの保護者になったんだ?)


     ×××××


 イクスがシーザを連れて行ってしまい、残されたアリアは一人、ぽつねんと立ち尽くしていた。
(えーっと、どうしよう)
 イクスの行動が唐突すぎて、次にどう行動するべきか判断つかないのだった。シーザがいつ戻ってくるのか分からないから、うかつにうろちょろするわけにもいかない。
「あっ」
 さまよう視線にふと、路上をてけてけ歩く一匹の子猫が映る。思わず顔をほころばせた。アリアは猫に限らず、大の動物好きなのだ。その姿につられ、自然とゆらゆらゆれる尻尾を追いかける。
 と、
(あれ? あれは……)
 猫の行く先に見慣れた後姿が見えた。
 普段のような鎧姿ではないにせよ、このがっちりした体つきはどこにでもあるものではない。短めの赤髪となればなおさらだ。
「グラフトさん、何されてるんですか?」
 呼びかけに、彼はびくりと体を震わせた。そうしてなぜかゆっくりと、恐る恐るとでもいった風にこちらを振り返る。
「ア、アリアか」
 半分引きつったような笑い顔のグラフトを不思議に思いつつ、アリアは辺りの様子を見て歓声を上げた。
「わあ!」
 地べたに座り込んでいるグラフトの周りには、五匹もの猫が集まっていたのだ。猫たちは大きめの皿に注がれたミルクを舐めるのに一生懸命になっている。その姿がまた愛らしい。
「ねこにミルクをやっていたんですか?」
「う、うむ。まあ、その、なんだ」
 口ごもるグラフト。視線が泳いでいる。まるで何かやましいことでもあるようだ。妙に感じつつも、アリアは気にせず思ったままを口にした。
「もしかしてグラフトさん、ねこ、お好きなんですか?」
「いや、そんなことは……」
「え?」
 首をかしげる。てっきり猫好きなものと思っていた。
 なぜか険しい表情のグラフト。その足元へ、ミルクを飲み干した猫達が催促するように擦り寄ってきた。
 にゃあ
 なう
 ふにゃあ
「くっ……!」
 彼は苦しそうにうめく。そのまま葛藤するように頭を抱えていたが……やがて諦めたようにうなだれた。
「そうだ……俺はネコ好きだ」
「わあっ、やっぱりそうだったんですね。私もねこ大好きなんです。可愛いですよね」
 グラフトの意外な一面を知ることができて嬉しかった。しかし反面、彼は深刻な眼差しで、
「アリア。一つ頼みがある」
「なんでしょう」
「このことはシーザや、特にイクスには秘密にしておいてくれないか」
「? 構いませんけど、なんでですか?」
 ことのほか真剣なグラフト。猫好きなことが知られると、困るような事情でもあるのだろうか。
「……理由は聞かないでくれ。とにかく、特に! イクスには絶対に言うな。頼んだぞ」
「わ、わかりました」
 すごい剣幕で迫られて、アリアはこくこくとうなずいた。これほど切羽詰った表情で頼まれるからには、よほどの理由があるのだろう。ひとまずアリアは気にしないことにした。


     ×××××


 イクスに解放されたシーザはアリアと合流し、再びあてどない散歩を始めた。
「………」
「………」
 二人に会話はない。
 シーザとしては、別段要件も無いのに会話をする必要などないと思っている。しかしイクスの意見――他者との交流の重要性というのに無自覚であるわけでもないし、アリアがそのことを心配して、余計な心労を負っているというなら、解消しておくという必要・・があるのかもしれない。
(かといって、何を話せばいいものか)
 日常会話がどういうものなのか、解らないわけではなかった。しかし例えば、今日の天候について感想を述べたところで、一体何が得られるというのか……。
 考えあぐねた末、ようやくシーザは話しの切り口を見つけた。
「先ほど、今日の夕飯について話していたが……」
「ふぇ?」
 こちらから話題を振ったのがよほど意外だったのか、アリアは間の抜けた声を上げた。
「俺の好物について訊いてきただろう」
「ああ、さっきの話ですね」
「そのことだが、お前の好物はなんなんだ?」
「私の、ですか。でも……」
 提案に、アリアは逡巡を見せた。
 以前から思っていたことだが、アリアはあまり自分の意見を主張しない。他人の要望を尊重し、周りに歩調を合わせ、自分のことは二の次なのだ。
「誰に気を遣う必要もないだろう。お前の好きなものを作ったらどうだ?」
「シズ様がそう仰るのなら……」
 アリアはしばし頭をひねって、
「じゃあ、野菜スープはどうでしょう? ここは新鮮なお野菜がとれるみたいですし」
「それがいい。そうしてくれ」
 一も二もなく、すぐさまうなずく。それにアリアは嬉しそうに微笑んだ。
「はい!」



 そうして二人は市場へ向かった。
 昼前とあって結構な人で賑わう市場を、連れ添って歩く。食材を買いつつあちこちの店を周るのに、アリアは見るもの一つ一つに興味を示し、シーザはそれに淡々と、しかし丁寧に応じる。

「あ、シズ様見てください。木彫りの人形ですよ。これは……人? それとも牛でしょうか」
「この辺りの土着信仰の神像だな。半獣半人の農耕の神と言われている。右手が豊穣を、左手が安寧を表しているらしい」
「そうなんですか。なんだか可愛いですね」
「……そうか?」

「あっ」
「どうした」
「ここに……ねこじゃらしが」
「エノコログサか。別に珍しいものでもないと思うが」
「いえ、せっかくだから、グラフトさんに持ってかえってあげようかと」
「? グラフトに?」
「はい。……って! ああ、ええっと、いえ、その、なんでもないんです」
「???」

「シズ様、何でしょうこのトゲトゲの……果物? は」
「ドリアンだ。ここの地域で生産されているという話は聞かないから、行商人か何かが運んできたんだろう。臭みが強くてクセの強い味だが、美味い奴には美味いらしい。食べたことは無いが」
「初めて見ました」
「食べてみるか?」
「そうですね。せっかくですからデザートに買っていきましょうか」
「ああ、いざとなればイクスに食わせればいいしな」
「えっ」

 始めのうちはぎこちなかった会話も、次第にスムーズに、ごく自然にできるようになっていく。シーザは少し意外だった。戦うことしか能が無いと思っていた自分が、こうやって普通の人と同じように話すことができたということが。
(……妙な気分だ)
 シーザは今までに味わったことのない何かを感じた。それが何なのかは想像もつかないが、
「これでもうだいたい揃いましたし、そろそろ宿に戻りましょうか」
 それが、隣で微笑む少女のもたらしたものだということは、なんとなく解った。



 宿に戻った二人は、さっそく台所を借してもらい調理に取り掛かった。それにシーザは手伝いを申し出る。なんとなく、そうすべきなように思えた。
 下ごしらえをするうちに戻ってきたイクスとグラフトも捕まえて、全員で準備をすることになった。

「シズ様、これを千切りにしていただけますか」
「わかった」
「おっ、やっぱ上手いなー。刃物の扱いが」
「お前も切れ」
「えー俺ってばフォークより重いもの持ったことないからさー……って! わかったわかった! わかったから包丁を置け!」
「調理中は無駄口を叩くものじゃない」
「なんだよグラフトまで。……へぇ、意外。あんたもなんかやけに手馴れてるな」
「故郷にいた頃は、毎日のようにやらされてたからな」
「あっ、無駄口叩いた無駄口叩いた」
「………」
「ちょっ、冗談だってじょーだん! ったく、どいつもこいつもユーモアってもんが解ってねーよな」
「イクスさん、ジャガイモは切っていただけましたか?」
「あっ、はーいただいま」
「………」
「………」

 やがて出来上がった夕食。パンに野菜スープ、サラダという食卓を四人で囲む。

「それでは、今日の食事をいただけることに、食材となってくれたお野菜とそれを作ってくれた農家の方々、それに台所を貸してくれた宿のご主人に感謝を捧げて」
「それに料理を作ってくれたアリアちゃん、それを見事な手さばきでサポートした天才料理人イクスとその他二名に感謝して」
「いただきます」
『いただきます』
 それぞれにスープを一口。グラフトは顔をほころばせ、イクスは口笛を吹き、シーザは目をしばたかせた。
「うんまい! めちゃめちゃ美味いよ! やっぱアリアちゃんの愛情料理は一味違うね! ロマリアで食べた高級料理とかよりもさ、なんていうの、質素だけど慎ましやかっていうか、あんまり主張しないけど全身に染み渡る味っていうかさあ」
「まったくだ。貴族の食べるような小洒落た料理よりも、よほど口に合う。久しぶりにまともな食事にありつけた気分だ」
「皆さんが手伝ってくれたからですよ」
 アリアは照れたように、しかし嬉しそうに微笑む。
 確かに美味い。イクスやグラフトの言うように、宮廷で出された料理とは違う、舌に優しい親しみやすい味だった。
 アリアの料理を食べたのはこれが初めてではない。しかしなぜだろう、今日は普段の何倍も美味しいように、シーザは感じた。



 目的もなく静かな街を散策。
 何気ない会話をしながら、市場での買い物。
 仲間で食事を準備し、談笑しながらの夕食。

 たまにはこういうのも、悪くない。








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